女性労働に関する 専門家判例コラム

 

第10回 男女雇用機会均等法の制定経緯について  君嶋 護男

 

 男女雇用機会均等法の成立から40年を迎えました。私は、同法の立法作業の際、内閣法制局に所属して、立法の審査についての担当ではないものの、至近距離でその経緯をつぶさに見ていました(野球に喩えれば、ネット裏で観戦していたような立場でした)。
 法律を作る場合、それが新規立法であれ、既存法律の改正であれ、必ず法律番号が付されます。一般の方は、法律番号など興味がないでしょうが、男女雇用均等法の法律番号は、実は「昭和47年法律第113号」なのです。同法は、昭和60年6月に成立し、翌昭和61年4月に施行されたとどの解説書にも記載されていますが、にもかかわらず法律番号が昭和47年とはどういうわけでしょうか。その理由は、同法が勤労婦人福祉法の一部改正として成立したことにあります。したがって、勤労婦人福祉法の法律番号がそのまま男女雇用機会均等法の法律番号となっているわけです。
 では、何故そのような異例の措置を執ったかといえば、当時、①男女雇用機会均等法(当時は男女雇用平等法と言っていた)を制定すること、②労働基準法の中の女子保護規定を縮小し、母性保護規定を充実することをミッションとしていたことによるものです。もちろん、男女雇用機会均等法を新規立法として、労働基準法の一部改正を改正法として、それぞれ別個の法律案として国会に提出する方法もありましたが、その場合、一方だけが成立し、他方が廃案となる可能性もあり、特に労働基準法改正だけが成立した場合、女性にとっては、均等対策がないまま、女子保護の縮小だけが実現することになることから、当時の労働省は1本の法律にまとめることを至上命題としていました。法律を1本化する場合、既存の法律の改正だけであれば、「A法及びB法の一部を改正する法律」あるいは「A法等の一部を改正する法律」とすることが可能なのですが、一方が新規立法の場合、立法技術上、1つの法律にすることはできないこととされていたため、法律の1本化のため勤労婦人福祉法が引っ張り出されたというわけです。

 
 

男女均等

  「そんな面倒なことを言わなくてもいいじゃないか」との意見もあろうかと思いますが、仮に「男女雇用機会均等法の制定等に関する法律案」として、第1条「男女雇用機会均等法の制定」、第2条「労働基準法の一部改正」とした場合、新規に成立した男女雇用機会均等法の法律番号を付けられない(新たに成立し番号が付された法律は、労働基準法改正部分がくっついている)という問題が生じることになります。  もっとも、そうしたことを免れる方法として、「男女の雇用機会の均等及び女子労働者の保護に関する法律」とでもして、男女雇用機会均等法に労働基準法から引き抜いた女子保護を合体することとすれば、1本の法律案で均等対策及び女子保護部分の改正を行うという上記のミッションは達成できたし、女性労働に関する規定が1本の法律に集約されることから使い勝手も良いと考えられるのですが、何故そうしなかったかは今も謎といえます(当時の労働基準法を担当する幹部が「労働基準法から女子保護規定を抜くと労働基準法が寂しくなる」と言って、その方法を抑え込んだとの噂も非常に信頼できる筋からありました)。

 

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