判例データベース
事業部電子メール事件
- 事件の分類
- セクシュアル・ハラスメント
- 事件名
- 事業部電子メール事件
- 事件番号
- 東京地裁 - 平成12年(ワ)第12081号(本訴請)、東京地裁 - 平成12年(ワ)第16791号(反訴請)
- 当事者
- 原告(反訴被告)個人2名
被告(反訴原告)個人1名 - 業種
- 分類不能の産業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2001年12月03日
- 判決決定区分
- 本訴、反訴とも棄却(確定)
- 事件の概要
- 原告Aは、平成9年10月からF社事業部営業部長の直属のアシスタントを務めており、被告は平成11年4月にF社に入社し、事業部長を務めていた。原告Bは平成11年6月に原告Aと婚姻した夫である。
被告は、平成12年2月、原告Aに対し、「一度時間を割いて頂き、Aさんから見た当事業部の問題点等を教えていただきたい。」というメールを送信したところ、原告Aはこれが仕事にかこつけた誘いであるという強い反感を持ち、同日被告からの勧誘メールを引用した上で、「夫へ 日頃のストレスは新事業部長にある。細かい上に女性同士の人間関係にまで口を出す。いかに関わらずして仕事をするかが今後の課題。全く、単なる呑みの誘いジャンかねー。胸の痛い嫁」というメールを夫である原告Bに送信しようとしたが、操作を誤り、被告宛に送信してしまった(誤送信メール)。その後原告Aは原告Bに「会社をやめるかも知れない。」というメールを送信したが、原告Bは「これはセクハラである」「やめる必要はない」というメールを送信した。
被告は同年3月1日に誤送信メールを読み、原告Aのメール使用を監視し始めたが、その過程で原告Aが同僚Fに対し、被告に関して「スキャンダルでも探して何とかしましょうよ。このままじゃ許せん。絶対!」というメールを送っていたこと、誤送信メールに気づいた直後には被告に謝って退職しようと考えていた原告Aが、その後被告をセクシャルハラスメントで告発しようと動いていることを知り、警戒感を強め、原告A及びF宛のメールを被告宛に自動転送することによりメールを監視した。
同月2日、原告Bは、被告が原告Aに対し、(1)「ホテルの室を取ったから」等の誘いをかけた、(2)宴会の場で酔いながら後ろから抱きついた、(3)たびたび飲食の誘いをかけたことを指摘して、今後被告をセクシャルハラスメント行為で告発することも辞さないという内容のメール(警告メール)を作成し被告に送信した。被告は警告メールの作成に当たって、事業部第2グループ長Dが関与していると考え、刑法上の名誉毀損や脅迫に当たるとDを厳しく詰問し、抱きつき行為を目撃したことを撤回させた。
原告らは、被告が原告Aに対しセクシャルハラスメント行為を行ったこと、不当な配置転換や退職を迫るなどの嫌がらせ行為を行ったこと、を挙げて、これらは不法行為を構成すると主張した。また、原告らは、被告が平成12年2月28日から4月5日までの間、原告らが相互に送受信した私的電子メール及び原告らが第三者との間でそれぞれ送受信した私的電子メールを、原告らの承諾なく長期間閲読し、プライバシーを侵害したとして、原告Aに関し120万円、原告Bに関し80万円の慰謝料を被告に対し請求した。
これに対し被告は、原告Aが日頃から事業部長としての被告の態度に不満を持っていたことから、当事業部の問題点等を教えていただきたいとの電子メールを送信したこと、原告Aは被告の悪口を書いた電子メールを誤って被告本人に送信したことから、職務上不利益な取扱いを受けることや、退職を余儀なくされることなどを恐れる余り、被告への対抗措置として被告のセクシャルハラスメント行為を捏造したり、事実を歪曲するなどして本訴を提起したものであること、企業が職務遂行の目的で構築しているコンピューターネットワークシステムを従業員が私的に使用することは本来的に予定されていないから、従業員がこれを利用して私的電子メールを送受信する場合、当該従業員は企業に対してプライバシー権を主張できる立場になく、職務専念義務違反になること、企業には従業員の故意過失による第三者に対する損害を回避する等のため、従業員の業務内容や違法行為を予め監督する必要があり、そのため原告Aの電子メールの使用を監視する権限を有するところ、原告Aが被告に誤送信した電子メールは、企業のコンピューターネットワークの私的使用、企業の内部事情の第三者への漏洩、上司に対する嫌悪感・怠業の表明など、服務規律違反行為が明らかな内容であり、原告がその監視を始めたことは正当な行為であることを主張した。
更に被告は、原告A及び原告Bに対し、存在しないセクシャルハラスメントを捏造し、(1)その内容を、雑誌等に掲載させる意図で出版社の知人Hに電子メールで送信したこと、(2)その内容を、社内の同僚に電子メールで送信したことにより、被告の所属する事業部以外の部署にまで知られるようになったことを理由として、不法行為に基づき原告A及び原告Bに対して300万円の損害賠償を請求した。 - 主文
- 1 原告A及び原告Bの本訴請求並びに被告の反訴請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は、本訴についてのみ生じたことが明らかな費用は原告A及び原告Bの負担とし、反訴についてのみ生じたことが明らかな費用は被告の負担とし、その余の費用は各自の負担とする。 - 判決要旨
- 1 セクシャルハラスメント行為の存否
原告らの主張する事実に沿う証拠は、原告らの供述を除くと、ほとんど証人Dの供述のみであるが、Dの供述内容は変遷し、最も肝心な抱きつき行為についても一貫した供述ができているとは言い難く、セクシャルハラスメントに対する認識が場面によって大きく異なり、一貫性を欠く不自然なものである。また、原告Aの供述についても、誤送信メール発信直後は、被告に謝罪して退職しようと考えながら、その後方針を転換して被告をセクシャルハラスメント行為で糾弾するまでの間、被告は誤送信メールについて、原告Aに対し何らの叱責も糾弾もしておらず、原告らの糾弾行為は唐突であること、本件糾弾行為がなされたのは、最も重大なセクシャルハラスメント行為である「抱きつき行為」から3ヶ月後であり、当時原告Aがセクシャルハラスメント行為に深く悩まされているという情況は全く窺えない。また、原告Aは誤送信メールの直前、Fに対し「スキャンダルでも探して何とかしましょうよ。」というメールを発信しているが、スキャンダルでも「探して」というのは明らかに不自然である。以上から、原告Aが、被告からセクシャルハラスメント行為を受けて精神的な苦痛を感じていたという事実について原告の請求には理由がない。
2 電子メールの閲読行為
本件当時、F社の米国本部には、電子メールの私的使用の禁止等を定めたガイドラインがあったものの、日本国内の事業部においてはその周知も禁止の徹底もされたことがなく、社員の電子メールの私的使用に対する会社の調査等に関する基準等、会社による閲読の可能性等が社員に告知されたこともないことが認められる。このような事実関係の下では、電子メールの私的使用に関する問題は、通常の私用電話の制限とほぼ同様に考えることができる。すなわち、日常の社会生活を営む上で通常必要な外部との連絡の着信先として会社の電話を用いることが許容されるのはもちろんのこと、会社における職務の遂行の妨げとならず、会社の経済的負担も極めて軽微なものである場合には、これらの外部からの連絡に適宜即応するために必要かつ合理的な限度において、会社の電話を発信に用いることも社会通念上許容されていると解すべきであり、このことは私的電子メールの送受信に関しても基本的に妥当するというべきである。社員の電子メールがこの範囲に止まるものである限り、その使用について社員に一切のプライバシー権がないとはいえない。
しかしながら、会話の内容が即時に失われる通常の電話と異なり、電子メールの送受信については、一定の範囲で記録されるものであること、社内ネットワークシステムには管理者が存在し、ネットワーク全体を適宜監視しながら保守しているのが通常であることに照らすと、利用者において、通常の電話と全く同程度のプライバシー保護を期待することはできず、当該システムの具体的情況に応じた合理的な範囲での保護を期待し得るに止まるというべきである。F社では、従業員各人にドメインネームとパスワードを割り当てており、このアドレスは社内で公開され、パスワードは各人の氏名をそのまま用いていたこと、社内における従業員相互の連絡手段として電子メールが多用されていたことが認められる。このような情況のもとで、従業員が社内電子メールを私的に使用する場合に期待し得るプライバシーの保護の範囲は、通常の電話の場合よりも相当程度低減されることを甘受すべきであり、電子メールの私的使用を監視する責任のある立場にない者が監視した場合、あるいは、責任ある立場にある者でも、これを監視する職務上の合理的必要性が全くないのに専ら個人的な好奇心等から監視した場合など、監視の目的、手段及びその態様等を総合考慮し、監視される側に生じた不利益と比較考量の上、社会通念上相当な範囲を逸脱した監視がなされた場合に限り、プライバシー権の侵害となると解するのが相当である。
本件の場合、セクシャルハラスメント行為の疑惑を受けているのが被告本人であることから、監視行為は第三者によるのが妥当であったとはいえようが、被告は事業部の最高責任者であったから、被告による監視であることの一事をもって社会通念上相当でないと断じることはできない。これに対し、原告らによる電子メールの私的使用の程度は、限度を超えているといわざるを得ず、本件における全ての事実経過を総合考慮すると、被告による監視行為が社会通念上相当な範囲を逸脱したものであったとまでは言えず、原告らが法的保護(損害賠償)に値する重大なプライバシー侵害を受けたとはいえないというべきである。
3 反訴請求に対する判断
本件については、被告によるセクシャルハラスメント行為の存在を認めるに足りる証拠はないが、逆に原告らが事実無根のセクシャルハラスメント行為を意図的に捏造したと認定するに足りるだけの証拠もないというべきである。
原告Aによる出版担当のHに対し出版を促す電子メールの送信は、未だ私信の範囲を超えておらず、この段階で公然事実を指摘したとはいえない。Hは実際に雑誌に掲載するなどすれば名誉毀損に当たる可能性があることはいうまでもないが、Hによって発表される可能性があったというだけで、Hに対する電子メールの送信が被告に対する名誉毀損行為を構成するとはいえない。
セクシャルハラスメント行為を受けたと主張する者が、社内の同僚や、総務部の者に対してその旨を告げることが名誉毀損行為となるのは、明確な加害意図のもとに故意に虚偽の事実を捏造し、かつ、担当部署に通常の方法で申告するだけでなく、それ以外の不特定多数の者に広く了知されるような方法で殊更に告知されたような場合に限定されるべきである。本件においては、原告らが明確な加害意図のもとに故意に虚偽の事実を捏造したと認めるに足りる証拠はなく、殊更な風説流布行為を行ったとまでは認められない。 - 適用法規・条文
- なし
- 収録文献(出典)
- 労働判例826号76頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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