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横浜市保育園保母公務災害慰謝料請求等事件

事件の分類
職業性疾病
事件名
横浜市保育園保母公務災害慰謝料請求等事件
事件番号
横浜地裁 - 昭和56年(行ウ)第24号
当事者
原告個人1名

被告横浜市
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1989年05月23日
判決決定区分
一部認容・一部棄却(控訴)
事件の概要
 原告は、昭和15年3月生で、他の職業を経て、昭和43年4月から被告市立の保育園で保母として勤務した女性である。

 原告は昭和47年4月、長津田保育園において1、2歳児を担当することになったが、その頃から慢性的肩凝りに加え、腕、肘の痛みが激しくなり、同年6月に山手保育園に主任保母として転勤した頃から、腕がだるく、立っていることも辛く、精神的疲れを感じるようになった。原告は同年9月4日病院で診察を受け、頸肩腕症候群と診断された。同年10月から翌年3月の間、同僚の長期休暇による合同保育業務などの状況の中で、腕、肩の痛みが増悪し、その後も症状が回復しないことから、原告は、昭和49年7月22日付けで、地方公務員災害補償基金横浜支部長に対し、頸肩腕障害が公務により生じたことの認定を請求したところ、同支部長は昭和51年4月19日付け書面で、公務外の災害と認定する旨原告に通知した。原告は、この決定を不服として審査請求、更に再審査を行ったが、いずれも棄却の裁決を受けた。
 原告は、使用者は労働契約上、労働者の生命、身体の安全を保護し、健康を保持させるべく高度の注意義務を有していること、昭和47年当時、頸肩腕障害の発症を予見することが可能であり、被告は適切な人員配置や、十分な休憩時間の設定等かかる疾病を予防する義務があるのにこれを怠ったばかりでなく、原告の罹患後もその増悪防止のための必要かつ適切な措置を怠ったと主張して、本件公務上の疾病により長期にわたり肉体的苦痛を受けてきたこと、そのため育児・家事も十分にできず多大の精神的苦痛も受けたとして、被告に対し1000万円の慰謝料を請求した。
主文
1 被告は原告に対し金200万円およびこれに対する昭和57年1月9日から完済まで年5分の割合による金員を支払え。

2 原告のその余の請求を棄却する。

3 訴訟費用は3分し、その1を被告の、その余を原告の負担とする。
4 この判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。
判決要旨
1 保母の健康障害の因子

 保母の保育労働は精神的緊張度が高く、かつ、幼児に合わせた不自然な姿勢をとったり、十分な休憩もとらずに間断なく業務につかなければならないから、疲労度の高い労働であり、疲労の蓄積によって健康障害、特に頸肩腕障害、腰痛等が発生すること、他の職種と比較しても有意の差があることが明らかで、保母の労働に起因してこれら健康障害が発生する蓋然性が高いことを示しているものということができる。頸肩腕障害の発生原因としては三大要因が考えられること、その1は労働条件、労働環境などの労働因子、その2は基礎体力の不足などを基とする身体自身に欠陥がある身体的因子、その3は精神的、心理的な心理的諸問題に由来すると考えられる精神的因子であるとされることが認められる。第2、第3の因子の存否についても検討しなければ当該疾病と労働との因果関係を明らかにすることはできないが、反面、これらの因子がない場合は、労働因子、すなわち保母労働に起因して頸肩腕障害が発症したと認められる蓋然性が高いといわなければならない。

2 相当因果関係と認定基準

 原告は遅くとも昭和47年9月4日までには頸肩腕障害に罹患したこと、その後症状に起伏はあるが頸肩腕障害の症状が続いていることが認められる。労働省通達「キーパンチャー等上肢作業に基づく疾病の業務上外の認定基準について」(基発第59号昭和50年2月5日)においては、「頸肩腕症候群」が上肢作業以外の作業から発症することは一般に乏しいと考えられたので、上肢作業を中心として認定基準が設定されたこと、しかし認定基準に合致しない作業態様からの頸肩腕症候群の発症を全く否定しているのではなく、もしこのような事例が発生した場合には、カース・バイ・ケースで業務起因性の有無を判断していくこととなること、特に保母等の頸肩腕症候群については医学的にその発生の機序、病態等がなお未解明であるところから、新認定基準の中に含めることは困難であったので、当面、各々の保母の業務の特異性、労働負荷の実態に応じて個別に業務上外を判断していくこととされたことが認められる。

 原処分庁である地方公務員災害補償基金横浜支部長は、公務上外の認定に当たっての「業務過重性」の判断基準として、(1)施設面積及び職員の配置が厚生省基準を満たしていなかった場合、(2)労働基準法に違反して勤務した場合、(3)(1)、2の期間が相当長期間であった場合、(4)超過勤務が相当あった場合、(5)保母2名で1クラスを担当していた時、一方の保母が欠席しがちであった場合、(6)その他特に著しい業務過重性があった場合を示している。児童福祉施設最低基準は、児童が施設において保母の指導や教育の許で生活するための最低必要な基準であって、保育労働者の健康を保持するために定められた労働条件、労働環境に関する基準ではないから、最低基準を遵守していれば保母に健康障害が発生しないとの保障はないものというべきである。

3 原告の疾病と公務との因果関係

 原告には本件障害に至るまでの間に取り立てて大きな病気をしたことがなく、昭和47年当時身体の不調を感じたのは長女出産の約10ヶ月後である。原告は昭和50年7月から同54年10月まで労組の執行委員を務め、文書の筆耕をしたこともあるが、その間の症状は一進一退であったことからすれば、長女の出産・育児、組合活動が本件障害の原因となったことは認め難く、その他原告に保母労働と関連性のない精神的因子があったと認めるに足りる証拠はない。また、保母の労働は絶えず精神的緊張を要求される労働であること、無理な作業姿勢をとり上・下肢、腰部等へ負担となることの多い労働であり、十分な休憩も取らずに間断なく業務につかなければならない疲労度の高い労働であって、疲労の蓄積によって健康障害、特に頸肩腕障害、腰痛等が発症する蓋然性が高いなど、保母労働の一般的特性に加え、新設の保育園は開設準備それ自体で多忙を極めるのに、同僚保母は経験不十分であったことから、原告は指導的役割を果たさざるを得ず、しかも原告自身新任の主任保母として未経験の重要な任務を担当することにより肉体的、精神的負担が大きく、かつ、休暇も十分に取得できなかったことなどを総合すると、本件障害は原告の保母労働に起因して発生したものと認めるのが相当である。

4 被告の債務不履行責任

 地方公共団体は職員に対し、その公務遂行のための場所、施設若しくは器具等の設置管理又はその遂行する公務の管理に当たって、公務員の生命及び健康を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っている。原告が従事する保育労働は、肉体的・精神的疲労を伴う労働であり、疲労蓄積の結果、頸肩腕障害、腰痛等の健康障害の発生することがあるので、被告は原告に対し以下のような安全配慮義務を負っているものというべきである。すなわち、(1)保育園に適宜な人員を配置して業務量の適正化ないし軽減化を図るとともに、保母らのために十分な休憩時間を設定・確保し、かつ、施設を整備して肉体的・精神的疲労を防止し、保母の健康障害の発生を防止する義務があること、(2)健康障害の症状を呈する労働者を発見した場合には、早期に適切な治療を受ける機会を設け、病状の増悪を防止し健康の回復を図るために、病状の悪化につながる業務の量的・質的な規制措置を講ずべき義務を負っていること。

 昭和45、46年当時には既に保母に頸肩腕障害、腰痛症患者が発生し、公務上災害の認定を求めるケースが全国的に出始め、昭和48年公務上認定されるケースも出たことが認められるから、当時被告は自己の職員である保母について頸肩腕障害の発病のおそれがあることを予見し、あるいは予見することが可能であったといわなければならない。原告が保母として勤務してから被告は原告に対し業務軽減措置を講じたと認めるに足りる証拠はなく、昭和47年9月4日に原告が「頸肩腕症候群」と診断され、治療・通院する事態になっても、被告は原告に対し業務軽減ないし休憩を確保する措置を講じたと認めるに足りる証拠はない。右によれば被告は市立の保育園に保母、作業員等適宜な人員を配置して業務量の適正化ないし軽減化を図ると共に、保母らのために十分な休憩時間を設定・確保し、休暇を保障し、かつ、施設を整備し肉体的・精神的疲労を防止し、保母の健康障害の発生を防止すべき義務を怠ったと認めるを相当とする。したがって、被告は原告の病状の増悪を防止し健康の回復を図るための、業務の量的、質的な規制措置を講ずべき義務をも怠ったと認めざるを得ない。

5 損害
 原告の疾病の態様、経過によれば、原告は長期にわたり肉体的・精神的苦痛を受けてきたことが認められ、更に原告は現在まで178万5000円の治療費を支払っていることが認められる。かかる原告の肉体的・精神的苦痛、治療期間その他諸般の事情を考慮すると、原告の本件障害に対する慰謝料は金200万円をもって相当とする。
適用法規・条文
民法415条
収録文献(出典)
労働判例540号35頁
その他特記事項
本件は控訴された。