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横浜市保育園保母公務災害慰謝料請求等控訴事件

事件の分類
職業性疾病
事件名
横浜市保育園保母公務災害慰謝料請求等控訴事件
事件番号
東京高裁 − 平成元年(行コ)第62号、東京高裁 − 平成2年(行コ)第169号
当事者
控訴人兼附帯被控訴人 横浜市

被控訴人兼附帯控訴人 個人1名
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1993年01月27日
判決決定区分
原判決取消、附帯控訴棄却(上告)
事件の概要
 被控訴人(附帯控訴人・第1審原告)は、昭和43年に控訴人(附帯被控訴人・第1審被告)に雇用され、保母として勤務していた女性である。被控訴人は、昭和47年頃から

慢性的肩凝りに加え、腕、肘等に痛みを感じるようになり、同年6月に山手保育園に主任保母として異動になった後も、腕がだるく、立っていることも辛く、精神的疲労を感じるようになった。被控訴人は、同年9月4日頸肩腕症候群の診断を受け、その後も症状が回復しないことから、昭和49年7月、地方公務員災害補償基金横浜市支部長に対し公務災害認定を請求した。これに対し同支部長が昭和51年4月、公務外災害と決定したことから、被控訴人はこれを不服として審査請求、再審査請求を行ったが、いずれも棄却された。そこで被控訴人は、使用者は労働契約上、労働者の健康に就業できるよう配慮すべき義務があるところ、控訴人は疾病を予防する義務を怠ったばかりでなく、その増悪防止の措置も怠ったとして、この肉体的、精神的苦痛に対する慰謝料として1000万円を請求した。
 第1審では、被控訴人が障害を訴えた当時、控訴人は頸肩腕障害を予見することが可能であるにもかかわらず、保母の健康障害を防止するための措置を怠ったとして、被控訴人に対し200万円の慰謝料の支払いを命じたことから、控訴人はこれを不服として控訴した。一方被控訴人は、慰謝料1000万円の支払を求めて附帯控訴した。
主文
1 一 原判決中、控訴人敗訴の部分を取り消す。

  二 被控訴人の請求を棄却する。

2 被控訴人の附帯控訴を棄却する。
3 訴訟費用は、第1、2審を通じ、被控訴人の負担とする。
判決要旨
 頸肩腕症候群は、医学的にその病理的発生機序が十分に解明されているとはいえないが、発症の原因は複雑多岐であり、労働因子、身体的因子、精神的・心理的因子を無視することができないと考えられている。特に、業務により発症したものかどうかの判断に当たっては、できるだけ原因疾患を究明して他の疾患との鑑別を行うとともに、職場の労働環境、就業状態、患者の性格などの心理状態をも調査し、業務との医学的な因果関係を判断すべきものとされている。

 

 頸肩腕症候群については、労働災害補償上は、せん孔、印書、電話交換、速記等の業務その他上肢に過度の負担のかかる業務による頸肩腕症候群として補償の対象とされている。

そして、労災補償の行政事務処理の観点から、昭和50年2月5日付け労働省通達が発せられ、同通達は頸肩腕症候群については、業務との因果関係につき、従事した業務が上肢の動的筋労作(打鍵などの繰り返し作業)又は上肢の静的筋労作(上肢の前・側方挙上位などの一定の姿勢を継続してとる作業等)を主とする作業であること、右業務に相当期間継続して従事し、その業務量が同種の他の労働者と比較して過重であるか、業務量に大きな波がある場合であること、症状が業務以外の原因によるものでなく、かつ、業務の継続により症状が持続するか、又は増悪の傾向を示すものであることである。右通達によれば、保母の業務は、行政上は定型的因果関係の認められる2類型の作業に該当しないこととされるから、労災補償上保母の業務については、具体的、個別的に業務と頸肩腕症候群との因果関係の有無の判断が必要とされる扱いであって、経験則上、業務につき右前提とされた作業に匹敵し得るほどの上肢への負担の危険性、有害性が個別的に認定されることが必要とされているものと解される。

本件において、被控訴人に発症し、頸肩腕症候群と診断された症状の原因が被控訴人の従事した保母の業務であるというためには、右業務と右発症した症状との間に相当因果関係の存在が認められることを要し、相当因果関係の存否は、諸般の事情を基礎に、具体的個別的に判断されるべきであるが、業務が被控訴人の右疾病の相対的に有力な原因であることを要すると解される。ところで、頸肩腕症候群の病態や原因について、医学的にその病理的機序の十分な解明が進んでおらず、諸種の見解がある段階にあること、右通達は、かかる医学的解明が右段階にあり、キーパンチャーなどの限定された職種についてのみ業務による頸肩腕症候群の発症が是認されており、一般的には業務との関連が認められていない現時点において、医学的に解明されている範囲での集約という形で行政的に定義を明確にし、特定の業務について業務上外の認定基準を定めたものであることを考えると、右通達の示す因果関係判定上の要素(例えば、当該労働者の作業態様、作業従事期間及び業務量)については、本件のような損害賠償請求訴訟においても斟酌されるべきものと解される。そして、損害賠償訴訟における相当因果関係の認定の問題としては、右通達所定の作業に匹敵し得るほどの上肢への負担の危険性、有害性が当然に必要であるということはできず、それに達しないものであっても、その一事をもって直ちに相当因果関係を否定するべきものではないと考えられる。したがって、本件において相当因果関係の認定に当たっては、保母の業務の性質、内容や被控訴人の個別的な業務内容、業務従事状況、業務量などを通じて、保母の一般的業務や被控訴人の個別的業務の特異性、有害性の有無、程度等を把握するほか、必要に応じ、被控訴人の身体的条件、生活状況その他被控訴人の業務外の事由による発症の可能性の有無も含む諸般の事情を考慮するべきである。

 保育業務一般に存在する、他の業務に比べての特殊性は、乳幼児に対し教育的配慮を払いつつその保護と介助に当たることがその主なものであって、保育の対象が心身の未発達な、動きや変化の多い複数の発達段階を異にした乳幼児であるところから、保母は、複数の乳幼児の活発な動きに合わせて身体を動かすことが多く、この間気の抜けない精神的緊張を間断なく強いられ、また乳幼児の身体的条件に合わせるため、成人としては不自然な低位姿勢をとらざるを得ないことが多いのであり、更に以上のような特徴を有する保育業務は、対象が人間であることから、心身の苦労や負担の多い仕事であることは十分に推認できるものである。しかし、保母が保育に当たり、乳幼児の介助などのために抱き上げるなど上肢を使用することが多く、また、介助、遊びの指導など乳幼児の身体的条件やその動きに合わせて、中腰、前屈、しゃがみこみなどの不自然な姿勢や体位を取る必要があることは前示の通りであるとしても、保母の業務の性質上複数の乳幼児それぞれの、その時々の絶え間ない要求や動きに合わせて動作をする必要があるのであるから、むしろ、多様な姿勢を断続的に取って対応することになることが多いと考えられ、1つの動作を間断なく反復したり、不自然な姿勢を取るといっても、保母の通常の業務の形態では、それらは短時間に止まり、前記通達所掲の業務の事例のように、長時間にわたり1つの動作を間断なく反復したり、或いは長時間にわたり1つの姿勢を保持、持続することを強いられる事態が日常の業務の上で度々生じるとは認め難い。したがって、保母の業務の態様は、一般的には、前記労働省通達にいう上肢の動的筋労作又は静的筋労作を主とする業務には当たらず、その業務に従事することにより、右通達にいう業務のように上肢という身体の特定の部位に過大な負担がかかる職種であるということはできないのであって、一般に頸肩腕症候群が生じる蓋然性が高い職種とは、にわかにはいい難い。
 保育園における保母の作業は、多種多様な作業を含み、そのため保母は多種多様な動作や姿勢をとることを強いられるけれども、右作業は一般的には労働省通達にいう業務のように、上肢という身体の特定の部位に過大な負担を負わせる性質のものとはいえないこと、被控訴人の業務は、一時的に他の時期に比べてその負担が重かった時期もあったが、被控訴人にとりその業務内容、業務量において過大なものであったとはいえないこと、長津田保育園及び山手保育園における執務環境は、前者については問題はあったものの、いずれも特に劣悪なものであったとはいえないこと、これらのことに、頸肩腕症候群については、その発症の原因について医学的解明が十分になされておらず、発症者の身体的、心理的因子が絡むことも無視し得ないとされていること(ちなみに被控訴人は、昭和46年6月14日出産し、その後勤務の傍ら3名の幼い子供の育児に当たっており、また同年10月頃筋肉痛により治療を受けるなどしており、被控訴人の症状を考えるに当たって、これらのことを全く無視するわけにはいかない。)、保母の業務は身体の両側をほぼ同様に使用すると見られるところ、身体の右側に顕れていること等を考え合わせると、被控訴人は、本件症状発症までに、そしてその後も、相当期間保母の業務に従事してきたものであるから、保育業務と被控訴人の症状との間に何らかの関連があることを否定することはできないとしても、被控訴人の従事した保育業務が、頸肩腕症候群の発症や増悪の相対的に有力な原因であるとまでは認定することができない。したがって、被控訴人の業務と被控訴人が頸肩腕症候群と診断された症状との間の相当因果関係を認めることができないことになり、被控訴人の本訴請求は理由がないといわざるを得ない。
適用法規・条文
なし
収録文献(出典)
労働判例625号9頁
その他特記事項
本件は上告された。