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A社社員うつ病自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- A社社員うつ病自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件番号
- 広島地裁 - 平成8年(ワ)第1464号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 株式会社(A)、株式会社(B) - 業種
- 製造業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2000年05月18日
- 判決決定区分
- 一部認容・一部棄却(確定)
- 事件の概要
- 被告A株式会社(以下「被告A社」)は、調味料の製造及び販売等を業とする株式会社であり、被告株式会社B(以下「被告B社」)は、製品のすべてが被告A社に納入されている実質的な被告A社の一製造部門をなす株式会社である。
原告の息子であるT(昭和46年生)は、平成5年4月に被告A社に入社し、同年10月1日から被告B社に転籍され、ソース、たれ、合せ酢の製造に従事していた。
被告B社の勤務時間は1日8時間であったが、平成7年8月のお盆休みに入る頃から、製造量、製造品目数とも増加し、1日十数時間に及ぶなど長時間労働となった。また、平成7年夏の広島地方は連日猛暑が続き、Tの同僚Iが脱水症状で救急車で運ばれたほか、Tも脱水症状で体調を崩すなどした。同年7、8月当時の特注ソース等製造部門の担当者はT、I、Yの3名であったが、リーダー格であったIが同年9月に配転となったことから、Tはケアレスミスの多いYと経験のない年上のUと共に、リーダー格として作業をすることとなった。Tは、同年9月20日頃、次長に対し「Y、Uに対する教え方がわからない」と悩みを打ち明けたほか、同僚等に対して「辞めたい」などと述べるようになった。Tは、同月下旬になると、帰宅後ソファに倒れ込むようにして休んだり、出勤前も横になっていることが多かったことから、原告はTに神経科を受診させようとしていたが、同月30日、Tは午前中の作業を終了した後、作業所において自殺した。
原告は、被告らは従業員であるTに対し、健康を侵害されないよう配慮すべき安全配慮義務を負っているのに、Tを高温・多湿な作業現場に配属し、経験のある社員を配置せず、早朝からの長時間勤務をさせるなどして、Tの健康状態を侵害させ、Tがうつ的状態を呈していたことを知りながら適切な対応をしなかったことによってTを自殺に追い込んだとして、被告らに対し、逸失利益9554万円余、慰謝料3000万円等、総額1億3704万8659円の損害賠償を請求した。 - 主文
- 1 被告らは原告に対し、連帯して、金1億1111万2215円及びこれに対する平成7年10月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用はこれを5分し、その1を原告の、その余を被告らの各負担とする。
4 この判決は原告の勝訴の部分に限り仮に執行することができる。 - 判決要旨
- 1 自殺と業務との因果関係
(1)Tの心身の疲労について
被告B社の特注ソース等製造部門における業務は、午前5時、6時といった早朝から出勤しての作業であり、平成7年当時、Tも早朝から出勤する業務であったこと、各々の作業自体の負担はそれほどではないものの、各作業は並行して、あるいは断続的に行われるために作業全体でみると密度の濃いものであること、平成7年の盆休みには特注ソース等の製造量が増加し、熱暑に加えて作業が過密かつ長時間に及んだため、T及び同僚がいずれも脱水症状で体調を崩して病院を受診していること、Tは翌月にも同様の理由で体調を崩し、再度受診していること、職場は夏場には40度を超えるほどの高温になり、体力を消耗しやすい作業環境にあったこと、平成7年の夏は猛暑が続き、作業環境は一層悪化していたことがいずれも認められ、これらのことからすれば、同年9月頃においては、Tは日々の作業により慢性的な疲労状態にあったと推認することができる。
確かに、同年9月には、Tの作業自体は午前中あるいは午後の早い時間に終了することが多く、休日出勤がなかったことは被告らが主張する通りだが、Tの1日当たりの平均就業時間数、在社時間数とも、8月(平均9時間35分、11時間17分)より9月(同9時間56分、11時間43分)の方が増加しており、脱水症状を起こして受診した8月8日、9月13日でも、それぞれ午後6時30分、午後8時まで業務に従事しているのであり、これらの事実関係からすると、9月に合せ酢の製造量が減少していることや平均労働時間が著しく長いとはいえないとの事実は、Tが慢性的疲労状態にあったとの認定を左右するに足りるものではない。
同年9月7日に、それまで特注ソース等製造部門のリーダー的存在であったIが他の部署に替わり、その後任として製造作業経験のないUが配置されたため、Tがリーダーの役割を果たさなければならなくなったが、Uは年齢、社員歴ともに長い初心者であり、以前から同部門にいるYは年齢がTより上であり、かつケアレスミスの多い社員であって、この2人を指導していかなければならないと考えたTが相当の精神的負担を感じていたことは容易に推認できるところである。
(2)Tのうつ病発病の有無及び程度
Tの場合、辞意を伝えた9月22日頃においては、うつ病の基本的症状はいずれもその存在を肯定することができ、(イ)将来に対する希望のない悲観的な見方、(ロ)自傷あるいは自殺の観念や行為、(ハ)睡眠障害、(ニ)食欲不振が存在していたことからすれば、Tは同日頃の時点において、ICD10診断基準にいう中等症うつ病エピソードの程度のうつ病を発病していたと認めることができる。
(3)Tがうつ病を発症した原因
Tの家庭環境、婚約者との交際を含む交友関係、同人の個人生活等が同人をうつ病に罹患させたと合理的に推認できるような事情を認めることができない。これらのことからすると、Tは、同年8月から9月にかけて悪環境の中での作業が続いたことにより、9月中旬頃には慢性疲労の状態に至り、これにIが他の部署へ配転になったことに伴う人的環境の変化及びそれに伴い特注ソース等製造部門においては、少なくとも主観的にはTはリーダーとして他の2人を指導していかなければならないとの責任を感じるに至ったにもかかわわらず、2人が期待通りの働きをしてくれないことから、その打開策について思い悩んだ結果、うつ病に罹患したものと推認するのが相当である。Tがうつ病を発症するについては同人の性格が影響している可能性は否定できないが、Tには精神疾患の既往歴はなく、同人の家庭に既往歴のある者がいることを認めるべき証拠はない。したがって、Tの性格がうつ病発症の一因であるとしても、その大きな部分を占めるのは業務に起因する慢性的疲労並びに職場における人員配置の変更とこれに伴う精神的、身体的負荷の増大であるというべきであるから、うつ病発症の業務起因性はこれを肯定することができる。
(4)Tの自殺とうつ病罹患
Tがうつ病に罹患していたと認められる9月22日頃以降においても、Tの気持ちの負担を軽減するような形、例えばIを特注ソース等製造部門に戻すとか、同部門の知識経験がTと同等又はそれ以上の者を新たに配置するといった対策は講じられなかった。そして、9月末日頃にYらのミスが続いたため、Tはますます自信を喪失し、症状を悪化・進展させたものとみることができる。Tの自殺はこのようなうつ状態の進行の中で衝動的・突発的にされたものと推認するのが相当であり、Tの自由意思の介在を認めることはできない。以上から、Tの被告B社での業務とうつ病発症との間及びうつ病とTの自殺との間にはいずれも相当因果関係があるというべきである。
2 安全配慮義務違反等の過失の有無
(1)被告らのTに対する安全配慮義務の有無及びその内容
被告B社は雇用主として、被告A社はTに対して実質的な指揮命令権を有する者として、Tに対して一般的に安全配慮義務を負っていると解されるが、その具体的内容については、事業者は、その責務として労働安全衛生法に定める労働災害防止のための最低基準を遵守するだけでなく、快適な職場環境の実現と労働条件の改善を通じて職場における労働者の安全と健康を確保するための措置を講ずる義務を負っており(同法3条1項)、その具体的措置については同法4章、6章、7章及び7章の2に規定されているところであるが、それらの規定に照らせば、事業者は労働者の心身両面における危険又は健康障害を防止することを目的として右措置を講ずべきことが求められているということができる。したがって、事業者には労働環境を改善し、あるいは労働者の労働時間、勤務状況等を把握して労働者にとって長時間又は過酷な労働とならないように配慮するのみならず、労働者が労働に従事することによって受けるであろう心理面又は精神面への影響にも十分配慮し、それに対して適切な措置を講ずべき義務を負っていると解される。
(2)被告らの安全配慮義務違反について
Tが自殺するに至ったのは、その業務が早朝からの出勤を必要とするもので、特に過密かつ長時間の労働となるものであり、その作業環境が高温であるために、夏期においては身体的な慢性的疲労に陥りやすい業態であったことに加えて、平成7年の夏は特に猛暑が続いたことによって9月頃には身体的疲労の蓄積が頂点に達していたところ、人的環境の悪化及び責任の程度が客観的にみても重くなったためうつ病に罹患し、それが進展・悪化したことによるものである。
(イ)平成7年夏における本件作業所の作業環境は劣悪であり、作業員が身体的慢性疲労の状態を生じやすくなっており、被告らはこれを認識することが可能であったこと、(ロ)Yにはケアレスミスが多く、そのような中でリーダー的存在であったIが配転されたため、Tの心身の負担が増大することも被告らは予見することが可能であったこと、(3)9月20日以降においてTが上司に申し出た内容は、一般的には理解し難い内容であり、この時点で上司らはTの心身の変調を疑い、同僚や家族に対してTの日常の言動を調査して然るべき対応をすべきであったことからすれば、被告らはそれぞれに要求された安全配慮義務を怠った過失により、労働契約上の債務不履行責任(民法415条)及び不法行為責任(同法709条、715条、719条)を負っており、Tが被った損害について賠償する義務があるというべきである。なお、被告らの債務関係については、両被告の関係、本件債務の性質に照らせば、不真性連帯債務の関係にあると解するのが相当である。
3 損害額
(1)逸失利益等
Tの死亡前1年間の年収は少なくとも360万1913円であると認められ、今後67歳まで収入を見込むことができたと認められるから、父親が亡くなり原告を支える立場にあったこと、結婚を約束した女性がいたことから生活費35%を控除して、逸失利益を7731万2235円と認め、慰謝料2300万円、葬儀費用130万円を認める。
(2)過失相殺
被告らは、Tが自己保健義務を怠ったことによりうつ病に罹患し、自殺に至ったとして過失相殺を主張するが、Tがうつ病に罹患した後においては、疾病の性質からして、精神神経科を受診しなかったこと及び自殺に至ったことをTの過失と認めるのは相当でない。うつ病発症の前段階として心身の慢性的疲労状態が存在したと考えられるところ、そのような状態に至るについてTの側にも何らかの原因があったと認められるかについてみると、業務外においてTに心身の慢性疲労を生じさせるような原因があったことを認めるに足りる証拠はない。また業務上の問題については、次長らは本件作業所の夏場における過酷な職場環境を承知していたし、特注ソース等製造部門のスタッフに問題があるとの指摘はIから受けており、8月にはそれが原因でIがYに暴行したことはわかっていたから、この観点からしてもTの過失を肯定することは困難である。
なお、疾病の性質上、その発生にはTの性格が一定限度で寄与しているであろうことは容易に推認できるところであるが、Tは少年時代、学生時代を通じて性格上の問題を周囲に感じさせることなく過ごして被告A社に入社しているのであるから、Tがうつ病を発症し易い性格要素を有していたとしても、それは通常の性格傾向の一種であるに過ぎず、この点をT側の事情として損害賠償請求の減額自由とすることは相当でない。
(3)損益相殺等
被害者が不法行為によって損害を被ると同時に、同一の原因によって利益を受ける場合には、損害と利益との間に同質性がある限り、公平の見地から、その利益の額を損害額から控除することによって損益相殺的な調整を図る必要があり、また、被害者が不法行為によって死亡し、その損害賠償請求権を取得した相続人が不法行為と同一の原因によって利益を受ける場合にも、右の損益相殺的な調整を図ることが必要なときがあり得る。ただし、不法行為に基づく損害賠償制度の目的からすると、被害者又はその相続人が取得した債権につき、右の損益相殺的な調整を図ることが許されるのは、当該債権が現実に履行された場合又はこれと同視し得る程度にその存続及び履行が確実であるということができる場合に限られる(最高裁平成5年3月24日大法廷判決)。
本件の場合、法に基づく遺族補償年金及び葬祭料は業務災害による労働者及びその遺族の損害を填補する性質を有するものであるから、損害と利益との間に利益の同質性があるということができる。一方、遺族特別給付金は、その趣旨目的からすると、これを損害額から控除することはできない(最高裁平成8年3月23日判決)。
原告が本訴高等弁論終結時点において遺族補償年金を現実に受領し、あるいは遺族補償年金前払一時金を請求していると認めるべき証拠はないから、遺族補償年金等を損益相殺の対象とすることはできない。したがって、法に基づく給付のうち損益相殺の対象となるのは葬祭料金50万0020円のみとなる。本件事案の内容、審理経過、認容額等を総合勘案し、弁護士費用は金1000万円をもって相当と認める。 - 適用法規・条文
- 02:民法415条、709条、715条、719条、
労働安全衛生法3条1項、4章、6章、7章、7章の2
労災保険法16条の2、23条1項、60条、64条 - 収録文献(出典)
- 労働判例783号15頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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