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システム会社新入社員うつ病自殺事件【うつ病・自殺】

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
システム会社新入社員うつ病自殺事件【うつ病・自殺】
事件番号
東京地裁八王子支部 − 平成15年(ワ)第1513号
当事者
原告 個人1名A(訴訟承継人B、C)
被告 株式会社
業種
サービス業
判決・決定
判決
判決決定年月日
2006年10月30日
判決決定区分
棄却(控訴)
事件の概要
 被告は、コンピューターのシステム及びプログラムの開発販売等を業とする株式会社であり、K(昭和47年生)は、大学理学部卒業後の平成8年4月、被告のシステムエンジニア(SE)として採用された者である。

 Kは、4月1日から5月17日まで新入社員集合研修を受講し、5月20日から6月28日まで、配属された営業4部で部内研修を受講した後、受信共通・技術支援チームに配属され、同期生と共に日銀与信明細票プログラムを完成させた。同プログラムの保守作業が終了した翌日である8月15日、Kは体調を崩して欠勤し、食欲が減退し、体調が悪いと毎日言うようになり、8月29日に体調を崩して受診し、感冒性胃腸炎と診断され、9月に入ると、腰、肩、背中の痛みを訴えるようになった。Kは体調不良が続いたことから、上司の指示により9月13日から23日まで連続休暇を取り、翌24日に出勤した際、退職を申し出た。Kは、9月30日付けで退職することとなったところ、9月25日及び26日の両日、自席においてコンピューター以外の仕事に従事していたが、徐々に元気をなくすようになり、26日午後7時頃、公団団地ビルから飛び降り自殺した。
 Kの父親である原告A(死亡後、原告Aの妻原告B及び原告Aの二男原告Cが訴訟を承継)は、不十分な研修で過重な業務を行わせたことによりKがうつ病に罹患し、自殺に至ったものであり、被告に安全配慮義務違反があったとして、逸失利益9798万4288円、慰謝料3000万円等総額1億4118万4288円の損害賠償を請求した。
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
判決要旨
1 業務の過重性

 そもそも研修で取り扱った知識や技術については、集合研修と部内研修のみでこれを完全に習得することは予定されていないし、少なくとも入社後1年程度のスパンで新入社員に対する教育・指導を考えていたものであって、平成8年の研修では、その内容が前年よりもむしろ充実したものとなったとみる余地もあり、研修期間が短縮されたことのみをもって、直ちに研修が不十分であったとする原告らの主張は採用することができない。また、新人研修の内容が特にコンピューターの初心者と経験者とを区別しなければならない程の必要性までは認められないから、被告において、コンピューターの初心者と経験者を区別することなく研修を行った点を捉えて、研修の方法が不適切とか不十分であるとする批判も当たらないというべきである。

 原告らは、コンピューターの経験のないKに営業第4部のベストグループ内のチームに配属したことによって、過重な業務負担を与えたものと主張する。確かに、被告は集合研修の成績等を考慮することなく、営業第3部と営業第4部に新入社員をそれぞれ配属しているけれども、上記チームには過去にも新入社員が配属されたことがあり、そのこと自体が不適切ということはできないし、Kの研修状況等からみて、特に同人を上記チームに配属したことをもって不適当であるとする特段の事情等も見当たらない。

 原告らは、Kに与えられたプログラムの保守業務は、研修で学んでいないにもかかわらず、何の説明もないまま仕様書のみ手渡され、Kは全く不明のまま独力で課題を解決せざるを得なかったと主張する。しかしながら、Kが与えられたプログラム保守業務は、本来の業務というよりも、新人研修も兼ねた色合いが濃く、オーバーレイを除きKが一通り学習した技術、知識の理解を深めるためのものと解される。なお、研修で扱っていない技術はオーバーレイのみであるから、これをもってKの業務が特段過重であったともいえない。

 日銀与信明細票プログラムの保守業務が、Kの配属されたチームの本来の仕事ではなかったこと等から、スムーズに指導を受けることが難しかったことは否めないが、ベストグループでは、他のチームに所属する先輩社員にいつでも質問できる職場環境にあり、Kがプログラム保守業務に関して指導を受けた記載がある。そして日銀与信明細表プログラム保守業務は、仕様変更がなければ締切日前に完成していたというのであるから、Kが独力で解決せざるを得ない状況に追い込まれていたとまではいえず、Kの与えられた仕事の内容や性質、労働時間のほか、特に厳密なノルマやぺナルティが課されていたわけではないこと等の諸点に鑑みれば、直ちに業務が特段過重であったということはできない。

 Kは、8月12日以降、新しい課題を随時与えられているが、上記課題の内容等に照らすと、他の新入社員に比べて特に過重な負担を強いたものとまではいえない。Kは、集合研修中、部内研修中、日銀与信明細票プログラムの保守業務中を通じ、最も遅くまで残業したとしても午後9時頃であり、社会人になったばかりで多少の負担感はあるにせよ、そのことをもって直ちに業務が過重であったということはできない。

2 うつ病罹患の有無及び業務起因性

 Kには、労災認定等に用いられているICD10に挙げられる幾つかのエピソードも見られるけれども、精神障害の発症から死亡までの期間が短く、存命中に精神科医による診断も受けていないことから、Kがうつ病に罹患していたと軽々に判断することはできないが、上記の症状からみれば、Kは7月下旬頃からうつ病を含む精神障害を発症していたと推認するのが相当である。

 Kは、自己のコンピューター技術の未熟さや、仕事の適性等についての悩みのほか、不穏なポケットベルへのメッセージやバンド活動に関しても、他の新入社員等に悩みを相談していたけれども、その内容等に照らせばそれほど深刻なものであったとは認められず、これらがKの精神障害の主たる要因であったとまではいえない。一方、集合研修、部内研修、日銀与信明細票プログラムの作成作業等の業務を通じて、Kは次第にパソコンへの苦手意識を強めるとともに、「仕事がわからない」などと漏らすようになり、同時に不眠、食欲低下、疲労感等の症状が現れており、仕事に対する心理的負荷がKの精神障害発症の引き金となったものといえる。しかしながら、近時、精神障害の発症の具体的機序について、環境から来るストレスと個体側の反応性、脆弱性との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まるという「ストレス脆弱性」理論によって説明されることが多いところ、被告におけるKの業務が客観的にみて特に過重であるとは認められないことからすれば、Kが仕事に対する心理的負荷により精神障害を発症させた原因は、主として、Kの個人的素因によるところが大きいものというべきであって、Kの精神障害が直ちに被告の業務に起因するものとは認められない。

3 安全配慮義務違反の有無

 使用者は、雇用契約ないし労働契約上の付随義務として、労働者が労務提供のため設置する場所、設備及び器具等を使用し、又は使用者の指示の下に労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体を危険から保護するよう配慮すべき義務があるけれども、その具体的内容は、労働者の職種、労務内容、労務提供場所等安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によって異なる。

(1)適正労働条件措置義務

 原告らは、被告には、適正部署への配置、業務の適正な配分、十分な業務体制の確保等をすべき義務がありながら、被告らはこれに違反したと主張する。しかしながら、被告がKを営業開発第4部のベストグループのうち受信・共通支援技術チームへ配属した点が不適切であったとはいえず、業務が特段過重であったとまでは認められないし、その後、新入社員に対する集合研修、部内研修、その後における業務体制も不適切とまではいえないから、Kが精神障害を発症し自殺したことに関し、直ちに被告に適正労働条件措置義務違反があったということはできない。

(2)健康管理義務

 原告らは、8月中旬頃のKの状態から、被告においてKの健康状態を把握し、適切な健康管理を行い、精神障害を早期に発見すべき義務が存在すると主張し、確かに、使用者は、労働災害の防止のための最低基準を遵守するだけでなく、快適な職場環境の実現と労働条件の改善を通じて職場における労働者の安全と健康を確保する義務を負っているというべきである(労働安全衛生法3条1項)。Kは、8月15日には体調不良を理由に欠勤しているが、翌日には通常通り勤務しており、Kは8月29日に受診しているが、その折早急に精神科で受診するよう勧められた事実もない。このような状況を前提として考えると、8月中旬のKの状態から、被告において直ちに何らかの措置をとらない限り、Kの精神状態が悪化し自殺することについて、被告が具体的に予見することが可能であったということはできず、そうすると、原告らが摘示する各事実は、Kの精神障害の徴表と考えられるというに過ぎない。したがって、一般的には、被告が健康管理義務を負っているとしても、本件において、特に健康管理義務違反があったと認めるべき事情は見当たらない。

(3)適正労働配置義務

 原告らは、8月中旬頃におけるKの状態からみれば、被告において、Kの業務の量及び難易度の軽減、作業の転換、支援体制の確保等の適切な措置を講じる義務があったと主張し、確かに、使用者は、労働者の健康悪化を知った場合には、当該労働者の実情を考慮して、就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮その他の措置を講じるなど、労働者の健康状態が更に悪化することを防止すべき義務があるというべきである(労働安全衛生法66条の5)。しかしながら、8月中旬頃のKの客観的な状態から、被告において何らかの措置をとらない限り、Kの精神状態が更に悪化し、その結果、自殺することまでを具体的に予見することが可能であったということはできない。

(4)看護・治療義務

 原告らは、被告には、精神障害を発症した労働者に対し、適切な看護と治療を受けさせるべき義務を負っている旨主張するところ、Kの8月当時における健康状態等からみて、被告において、使用者として何らかの措置をとらない限り、Kの精神状態が更に悪化して自殺するおそれがあることを具体的に予見し得る客観的な状況にあったものと認めることが困難であったことは先に認定判断したところである。もっとも、遅くとも9月に入った段階では、Kの健康状態がかなり悪化してきたことは、同僚や上司等もある程度認識し得る状況にあったことは否定できないけれども、他方被告において、9月6日から8日、10日、13日から23日までKに休暇を取らせ、その間Kが受診し、その結果についてその都度Kから報告を受け、対応を検討していたものであって、かかる経緯に照らせば、被告において、休暇中にKが病院で適切な指示を受けながら体調を回復すべく努めていたものと期待するのは当然であって、特に早急に被告として他の措置を検討すべき必要性があったと認めるべき状況とはいえない。したがって、9月上旬頃のKの状態から、被告が、更に何らかの措置をとらなければ、Kの精神状態が悪化して自殺するに至ることについて、具体的に予見することが可能であったということはできない。

 Kは、9月24日、上司である部長と面談し、同部長から、退職予定日である30日まで出社してコンピューター以外の仕事を行うか、有給休暇を取るかの選択を尋ねられた際、同部長がいかに高圧的にならないように十分注意しながら話したとしても、Kとしては入社して僅か半年余りで退職せざるを得なくなった自己の置かれた立場等に照らせば、本心はともかくとして、30日まで出社してコンピューター以外の仕事をしたいと選択せざるを得なかったものと考えられ、また、Kが25日及び26日の両日、出社したものの、従前の席で一人だけ異なった仕事をすることにより、孤立感や自責の念を深め苦しんだであろうことが推測され、上司や関係者にKに対する更なる心遣いがあれば、結果論であるとしても、不幸な結果を避ける余地もあったものと思われ、悔やまれるところである。しかしながら、他方、Kは連続休暇を取得するまでの間、他の新入社員や営業第4部の同僚との人間関係は極めて良好であり、Kは退職決意後も同僚との交流を希望していたこと、部長との面談の際も、Kはコンピューターに対する拒否反応を理由に退職を決意したものであることを伝えていたこと等を総合すると、被告において、Kが退職を申し出た9月24日の時点で、更に退職日までの数日間、Kが自殺しないよう特別の措置を講じるべき義務があったことを肯認すべき特段の事情があったとまではいえない。
 以上によれば、Kに対し実施した集合研修や部内研修の実情、その後同人に課された仕事の内容及び程度、その他Kの置かれた労働条件や職場環境等からみて、Kがうつ病に罹患し、その後自殺したことが通常生じ得る結果であるといえないことはもとより、被告がKの使用者として、同人が自殺に至ることを予見していたとか、相当の注意義務を尽くせば予見が可能であったとまで認めることは困難というほかなく、他にKの死亡との間に相当因果関係のある安全配慮義務違反があったことを認めるに足りる的確な証拠もない。
適用法規・条文
労働安全衛生法3条1項、66条の5
収録文献(出典)
労働判例934号46頁
その他特記事項
本件は控訴された。