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課長うつ病自殺事件【うつ病・自殺】

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
課長うつ病自殺事件【うつ病・自殺】
事件番号
名古屋地裁 − 平成15年(ワ)第3171号
当事者
原告 個人4名A、B、C、D
被告 株式会社
業種
製造業
判決・決定
判決
判決決定年月日
2006年01月18日
判決決定区分
棄却(控訴)
事件の概要
 被告は、F電機のグループ企業であり、公共事業、各種プラント、建物・高速道路等の設備・電機工事等を業とする会社であり、T(昭和30年生)は工業高校卒業後の昭和49年4月に被告に入社した者である。

 Tは、本社等において勤務していたところ、平成9年6月27日付けで、関西支社技術第3部技術課長として大阪に単身赴任したが、同年12月8日、医師から「自律神経失調症により10日間程度の休養加療を要する」旨の診断書の交付を受け、自宅静養した。平成10年1月に当時の上司から比較的容易な業務従事の提案があり、Tはこれに従い同月26日職場復帰した。Tは同年3月21日付けで、中部支社技術第3課長として名古屋に単身赴任し、民間、官公庁の建設設備の電気工事に関する業務に従事したが、平成11年8月1日午後9時30分頃、妻である原告Aと30分程電話で話をし、「体調が悪い」「明日にでも辞表を出して帰ってくる」などと言った後、同日午後11時頃、社宅の浴室で首つり自殺をした。
 原告Aは、平成11年9月24日、労働基準監督署長に対し、遺族補償年金及び葬祭料の支給を請求したが、同署長は平成13年10月3日付けで不支給決定処分を行った。原告Aはこれを不服として労働保険審査官に対し審査請求を行い、その棄却を受けて労働保険審査会に対し再審査請求をしている。原告A及びTの子である原告B、C、Dは、中部支社におけるISO認証取得業務、工事受注についてのクレームやトラブル、昇進試験による精神的負荷等Tの業務が過重であったこと、労働安全衛生法では医師等の意見を勘案し、必要と認めるときは就業場所の変更、作業の転換等業務軽減措置義務を定めていることから、これらの措置は使用者にとっての安全配慮義務とされているところ、被告は医師の判断に基づかずにTを職場復帰させ、劣悪な環境下で長時間労働をさせるなど、安全配慮義務に違反してTをうつ病による自殺に至らしめたとして、被告に対し逸失利益8352万2228円、慰謝料3000万円、葬祭料120万円、弁護士費用1147万円(原告Aに63096114万円、原告B、C、Dに各2103万2038円)を請求した。
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
判決要旨
1 中部支社におけるTの業務の過重性の有無

 Tは、中部支社へ単身赴任したものの、転勤後はうつ病の罹患又は増悪を疑わしめる様子を示すこともなく、かえって中部支社への転勤がよかった旨の話をしたこと等に照らせば、Tのうつ病は、中部支社への転勤を契機としてその症状が軽減する傾向にあったと推認することができる。その結果、医師の所見によっても、Tのうつ病は遅くとも平成10年12月8日頃の時点で、完全寛解の状態に至ったものと認められる。

 Tが入社後一貫して電気工事の予算管理、原価管理、現場施工管理等の業務に従事してきたベテラン従業員であったこと、Tは関西支社において既に管理職の経験があったこと等に照らせば、Tが第三課で従事した業務は、内容面において、従前Tが従事してきた業務と質的に大きな変化があったものということはできず、また、特定の期間を除いてはTの勤務時間がさほど長時間にわたるものではなく、休日出勤もなかったことに照らせば、中部支社におけるTの業務はさほど過重であったということはできない。その上、Tはうつ病に罹患し自宅療養を経たものの、自らの希望により職場復帰を果たしたこと、技術課長として処遇されることを承知で自ら中部支社への転勤を希望して技術第三課長として赴任したこと、中部支社への転勤を契機にうつ病の症状が軽減する傾向にあったと推認できること、その結果遅くとも平成10年12月8日頃の時点で、Tのうつ病が完全寛解の状態に至ったことに鑑みれば、管理職としての業務一般がTにとって心理的負荷を及ぼすような過重な業務であったと認めることはできない。

 被告の職能等級体系における審査には、進級候補者が業務目標を設定し、この目標に対する成果を評価するという一漣の過程が組み込まれていること、被告の役職制度と職能等級制度とは対応関係にあることなどに照らせば、上記選抜審査を純然たる昇進試験と捉えるのは相当でなく、業務の過重性を判断する上での要素となり得るものと解するのが相当である。そして、Tは課長職にあったものの、その職能等級はS3級であったこと、過去3回の選抜審査のうち2回は適性検査の段階で不合格となっていること、Tは勤務時間外や休日に成果論文の作成に取り組んだこと、Tが平成11年度の選抜審査の準備に取り組んでいたのと同時期に、部下に対し選抜審査の指導もしなければならなかったことが認められる。しかしTは中部支社への転勤を契機にうつ病の症状が軽減する傾向にあったと推認できること、その結果遅くとも平成10年12月8日頃の時点でうつ病が完全寛解の状態に至ったことに照らせば、同日以前の適性検査の受験等によってTが心理的負荷を受けたとは認め難い。また、Tの昇進状況は同期入社従業員と比較しても決して遜色あるものではなかったこと、Tは選抜審査最終選考段階である進級候補者研修会に参加が予定されていたこと、成果論文についても期限までに提出されていることに照らせば、Tが受けた心理的負荷もさほど大きいものであったと認めることはできない。以上を総合的に考慮すれば、中部支社において従事した業務によりTが受けた心理的負荷が大きかったと認めることはできず、Tにとって業務が過重であったとは認められない。

2 安全配慮義務の内容及び義務違反の有無

 昨今の雇用情勢に伴う労働者の不安の増大や自殺者の増加といった社会状況に鑑みれば、使用者にとってその被用者の精神的な健康の保持は重要な課題になりつつあることは否めないところである。しかしながら、精神的疾患については、社会も個人もいまだに否定的な印象を持っており、プライバシーに対する配慮が求められる疾患であって、その診断の受診を義務付けることは、プライバシー侵害のおそれが大きいといわざるを得ない。これらに、労働安全衛生法及び労働安全衛生規則の各規定ぶりなどを併せ考慮すると、事業者は同規則44条1項に定められた健康診断の検査項目について異常所見が認められた労働者に対する関係では、当該労働者の健康を保持するために必要な措置について、医師又は歯科医師の意見を聴くべき義務を負うものであると解するのが相当であり、これを超えて精神疾患に関する事項についてまで医師の意見を聴くべき義務を負うということはできない。そして、労働安全衛生法66条の5第1項所定の、事業者が負う就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮等の措置を講ずるべき義務は、同法66条の4を受けたものであるから、精神疾患に関する事項には当然に適用されるものではないと解するのが相当である。

 被告の労働安全衛生規程は労働安全衛生法等法令に定められた法的義務を前提として定められたものと解されるから、同法の義務に該当しない以上、同規程を根拠に主治医からの意見聴取義務、就業場所の変更、産業医の指示に基づく健康要保護者としての管理等の義務が直ちに発生するものとも認め難い。もっとも、Tは上司らに対し自らうつ病に罹患したことを報告していたことから、被告としてはTのうつ病罹患の事実を認識していたものといわざるを得ず、そのようなTが職場復帰をし、就労を継続するについては、被告としてもTの心身の状態に配慮した対応をすべき義務を負っていたと解するのが相当である。

 Tから被告に、平成9年12月8日から3ヶ月程度の休養加療を要する旨の診断書が提出されていたにもかかわらず、被告はTの職場復帰について、内部的な協議をしたり、医師等に相談することもなかったのであり、いささか慎重さを欠いた不適切な対応であったことは否めない。しかしながら、そもそもTが希望したことから被告も診断書記載の休業加療期間よりも前にTの職場復帰を認めたこと、被告はTの希望を踏まえて比較的難易度の低い業務に従事させたこと、Tに対外的な折衝業務に従事させたことはなかったこと、業務が特に劣悪な環境下での長時間労働であったとも認められないこと、被告においてTのうつ病罹患の前歴を理由にそれ以上業務の軽減措置を採ることは疾病の前歴を理由にした不当な差別との批判も招きかねないことに照らせば、被告はTの職場復帰に際し、Tの心身の状態に相応の配慮をしたと認めることができる。そうすると、被告がTを職場復帰させる過程において、いささか慎重さを欠いた不適切な対応があったことは否めないものの、Tの心身の状態に相応の配慮をしたと認められることから、被告に安全配慮義務違反があったとまで認めることはできない。
 Tが中部支社に転勤した後の被告の安全配慮義務の有無について検討するに、Tのうつ病は平成10年12月8日頃の時点で完全寛解の状態に至っていたのであるから、それ以前の被告の安全配慮義務違反がTのうつ病の再発及び自殺の原因となったものと認めることはできない。また、Tのうつ病が完全寛解した後の被告の安全配慮義務について検討するに、うつ病が完全寛解の状態にあったTにとって中部支社で従事した業務は過重であったと認めることはできないのであるから、被告に安全配慮義務違反があったと認めることはできない。
適用法規・条文
労働安全衛生法66条の4,66条の5
収録文献(出典)
労働判例918号65頁
その他特記事項
本件は控訴された。