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福岡中央労基署長(K社)過労自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 福岡中央労基署長(K社)過労自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件番号
- 福岡地裁 − 平成17年(行ウ)第35号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 国 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2007年06月27日
- 判決決定区分
- 認容(確定)
- 事件の概要
- 被告は、富士通グループに属し、各種通信機器の設計・製造、ソフトウェアの開発・販売等を営む会社であり、T(昭和50年生)は、大学院修了後の平成12年4月に被告に入社し、システムエンジニアとして勤務していた者である。
Tは、同年5月25日からOJTを受け始め、同年7月25日以降、OJTの一環として本件システム開発作業に従事した。同作業は、プロジェクトリーダーN、Tら4名で行われ、納期は同年9月26日とされていた。同作業は、同年9月17日まで福岡支店内で行われ、翌18日から千葉県に出張して行われた。出張は当初同月22日までの予定であったが、同月20日になって同月26日までに変更された。
出張中におけるTの拘束時間は、9月18日:10時間50分、19日:9時間30分、20日:13時間30分、21日:21時間5分、22日:12時間56分、23日:14時間16分、24日:10時間42分、25日:15時間20分、26日:3時間37分となっていた。Tは、同月25日、午前8時40分頃からバグの修正作業に従事し、昼食、夕食を挟んで午後10時頃まで作業をしたが、バグは解消しなかった。Nは同日午後10時頃、Tに対しホテルに戻るよう指示して一人で作業を行ったが、Tはホテルの自室で作業を続けた。次長は、同日午前2時頃、福岡支店にいたところTらがまだ作業をしていることを知り、Nに対し電話で作業の中止を指示し、Nはこれを受けてTに対し作業中止を指示したところ、Tは了解と答えながら引き続き作業を続け、午前5時頃、Nに対する遺書を残してホテルの自室で縊死した。
Tの父親である原告は、Tが縊死したのは、業務上の事由によるものであるとして、労働基準監督署長に対し、労災保険法に基づく遺族補償一時金及び葬祭料の支給を請求したところ、同署長は平成13年10月12日、Tの自殺は業務上の事由とは認められないとして不支給処分を行った。原告はこの処分を不服として、労災保険審査官に対し審査請求をしたが、同審査官は棄却の決定をし、原告は更に労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会もこれを棄却する裁決を行った。そこで、原告は本件処分の取消しを求めて提訴した。 - 主文
- 1 福岡中央労働基準監督署長が、原告に対して、平成13年10月12日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償一時金及び葬祭料を支給しない旨の各処分をいずれも取り消す。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務起因性の判断基準
労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の保険給付は、労基法79条及び80条所定の「労働者が業務上死亡した場合」に行われるものであるところ(労災保険法12条の8第2項)、精神障害による自殺がこれに当たるというためには、精神障害が労基法施行規則別表第一の二第9号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当することを要し、精神障害につき業務起因性が認められなければならない。そして、業務起因性を肯定するためには、業務と死亡の原因となった疾病との間に条件関係が存在するのみならず、社会通念上、疾病が業務に内在ないし随伴する危険が現実化したものと認められる関係、すなわち相当因果関係があることを要するというべきであり、業務が単に疾病の誘因ないしきっかけにすぎない場合には相当因果関係を認めることができないのであって、この理は疾病が精神障害の場合であっても異なるものではない。
現在の精神医学においては、精神障害の発症について、環境由来のストレスと個体側の反応性、脆弱性との関係で精神破綻が生ずるかどうかが決まるとする「ストレス脆弱性」理論が広く受け容れられているところ、個体側要因については、客観的に評価することが困難な場合もある以上、他の要因である業務による心理的負荷と業務以外の心理的負荷が、一般的には心身の変調を来すことなく適応できるものに留まるにもかかわらず精神障害が発症した場合には、その原因は、潜在的な個体側要因が顕在化したことに帰するものとみるほかないと解される。したがって、業務と精神障害の発症との間の相当因果関係を判断するに当たっては、ストレス(業務による心理的負荷と業務以外の心理的負荷)と個体側の反応性、脆弱性とを総合的に考慮し、業務による心理的負荷が、社会通念上、客観的にみて、精神障害を発症させる程度に過重であるといえる場合には、業務に内在ないし随伴する危険が現実化したものとして、当該精神障害の業務起因性を肯定することができると解すべきである。これに対し、業務による心理的負荷が精神障害を発症させる程度に過重であるとは認められない場合には、精神障害は業務以外の心理的負荷又は固体側要因のいずれかに起因するものといわざるを得ず、業務の過重性を理由として精神障害の発症につき業務起因性を認めることはできないと解すべきである。そして、労働者災害補償制度の趣旨が、使用者の過失の有無を問わず労働者の損失を補填するものであることに照らせば、業務による心理的負荷の有無及びその強度を判断するに当たっては、当該労働者と同種の労働者、すなわち職場、職種、年齢及び経験等が類似する者で、通常業務を遂行できる者を基準として検討すべきである。
被告は、精神障害の業務起因性の判断は、判断指針に基づいて行うべきであると主張するが、判断指針は、立証責任の軽減、認定の画一性を図るため、疾病が業務上発症したか否かの認定を行うに当たっての判断の指針を示したものにすぎず、判断指針に該当することが支給の要件となるものでもない。また、日本産業精神保健学会が示した「過労自殺を巡る精神医学上の問題に係る見解」によれば、判断指針には一定の合理性が認められるものの、基準に対する当てはめや評価においては判断者の裁量の幅が広く、また各出来事に対する心理的負荷の判定を基礎としており、各出来事相互間の関係、相乗効果等を評価する視点が必ずしも十分でないことからすれば、同指針は精神障害の業務起因性を判断するための資料の一つに止まると解すべきである。
2 業務起因性の有無
Tは、平成12年4月1日の入社後、同年5月25日のOJT期間に入ってから急激に労働時間が増えた上、盆休みも取れないままシステムのプログラミング作業に従事し、精神的・肉体的疲労が蓄積していたこと、同作業終了後休息期間を取ることなく初めての出張に行き、出張直前の同年9月16日から出張中の同月26日まで、休日なく11日間連続で勤務し、その間に2日間も徹夜作業をするなど拘束時間が急増したこと、本件システム開発の納期は、リーダーが更に1ヶ月ほど必要と感じたほど厳しいものであったことに加え、Tは出張中次々と発生するバグの場所の特定及び修理作業という経験したことのない困難な業務に追われたこと、Tは出張中ずっとホテルに連泊して作業するという閉塞的で逃げ場のない環境で業務に従事していたこと、Tは納期前日の同月25日、納期に間に合わない場合の対策や見通しを聞かされていない状態で作業を続け、上司からの作業中止の指示後も翌日午前3時37分頃まで作業を続け、それでも納期に間に合わない状況に陥ったこと、Tにとって出張も納期に迫られながらのバグ修正作業も初めての経験であったことが認められ、これらの事情を総合的に判断すれば、Tと同程度の経験と同種の労働者であれば、同月25日夜から26日早朝には心身の疲労が限界に達し、同日未明に納期に間に合わないことが確実になったことで遂にその限界を超え、精神の変調を来したとしても不自然ではないと認められるのであり、本件システム開発業務は、社会通念上、客観的にみて、本件精神障害を発症させる程度に過重の心理的負荷を与える業務であったと認めるのが相当である。そして、Tに本件業務以外の出来事による心理的負荷が窺えないこと、Tに特段の個体側要因がないことからすれば、本件精神障害は、上記業務上の心理的負荷を主な原因として発症したといえるのであり、Tの従事した業務と本件精神障害の発症との間には相当因果関係が認められる。
被告は、Tの業務はさほど困難ではなかったこと、納期についてTが強く意識していたとは考えられないこと、出張自体は特にストレスを伴うものではなく閉塞的とまではいえないこと、新人という立場のみを前提にしてそのストレス強度を強いものに修正することは許されない旨を主張する。確かに、新人という立場のみでストレス強度を強いものに修正することは妥当ではないが、どの業務にも新人という労働者が一定数いることが想定されるのであるから、新人という立場は同種の労働者の範囲に含まれると考えるべきであるし、新人は経験不足のため、業務を困難と感じたり、納期の切迫や環境の変化等への耐性が弱いという傾向にあるから、かかる立場を心理的負荷の強度を評価する際の一要素と評価すべきであるし、新人であるが故に受ける配慮についても一要素として評価すれば、その配慮によるストレス強度の低下を無視することにもならない。
また、被告は、責任感が強いという性格を前提にストレス強度を評価するのは誤りである旨主張する。確かに責任感の強さを過大に考慮してストレス強度を評価することは許されないが、責任感が強いという性格は総合的に判断するに当たってある程度考慮されることは当然に許容されるものであり、そもそもTの責任感の強さを特に考慮しなくても心理的負荷が相当重いと認定できるから、被告の主張は採用できない。更に被告は、うつ病に罹患するにはストレスに曝される期間が短すぎる旨主張するが、本件自殺に至った経過は、OJT期間に入って労働時間が増加し、盆休みも取れずに疲労が蓄積していた状況にあったのに加え、11日間連続で納期に追われながら不休で働き、身体的・精神的疲労の限界を超えて精神障害に罹患し自殺に至ったと認められ、決して2,3日間の出来事だけが原因となったものではないから、被告の主張は採用できない。
以上によれば、Tの本件精神障害の発症には業務起因性が認められる。そして、Tが本件精神障害によって正常の認識、行為選択能力、抑制力が著しく阻害された状態で自殺に及んだことは明らかであるから、結局、本件自殺によるTの死亡は、業務に起因するものと認められる。したがって、Tの本件精神障害及びこれに基づく本件自殺に業務起因性を否定した本件処分は、違法といわなければならない。 - 適用法規・条文
- 07:労働基準法79条、80条,
労災保険法12条の8、16条の6、17条 - 収録文献(出典)
- 労働判例944号27頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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