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豊田労基署長(T社)自殺事件【うつ病・自殺】

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
豊田労基署長(T社)自殺事件【うつ病・自殺】
事件番号
名古屋地裁 − 平成7年(行ウ)第11号
当事者
原告 個人1名
被告 豊田労働基準監督署長
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2001年06月18日
判決決定区分
認容(控訴)
事件の概要
 K(昭和28年生)は、大学院修士課程修了後の昭和53年4月に輸送用機械器具製造等を業とするT社に入社して以来、一貫してシャーシー関係の設計業務に従事し、昭和62年2月から死亡するまで第1車両設計課第1係長の職にあった。

 Kは、係長就任以降、2車種の改良設計等で忙殺され、1ヶ月平均の時間外労働は、昭和62年9月から昭和63年8月までは45.37時間であったが、昭和63年7月は68.5時間、同年8月は1週間の夏休みがありながら25日までに46.5時間と、従来よりも格段に多くなった。一方、業務量が増加する中で残業半減運動などによって残業抑制がされたことから、Kの労働は過密となったほか、同年7月にはKは固辞したにもかかわらず組合の職場委員長を引き受けさせられた。こうした中で、Kは同年8月に夏休みを取ったものの、仕事を自宅に持ち帰り、休み明けには南アフリカ共和国への出張命令がなされ、疲労が重なり、同月25日には勤務時間中に無断で会社を抜け出し、帰宅して原告に対し仕事を辞めたい等と告げた後、翌26日早朝自宅を抜け出し、ビルから飛び降りて自殺した。
 Kの妻である原告は、Kの自殺は業務に起因するうつ病によるものであるとして、被告に対し遺族補償年金及び葬祭料の支給を請求した。これについて被告は、平成6年10月21日、本件自殺がうつ病によるものであることは認めたものの、本件うつ病は業務に起因する疾病とは認められないとして、不支給処分とした。原告はこれを不服として、同年11月7日、労災保険審査官に対し処分の取消しを求めて審査請求をしたが、3ヶ月が経過しても裁決がないため、本訴を提起した。
主文
1 被告が、原告に対して、平成6年10月21日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償年金給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
判決要旨
1 条件関係及び相当因果関係の要否とその立証責任

 労災保険法に基づく保険給付の対象となる業務上の疾病については、労基法75条2項に基づいて定められた施行規則35条により同規則別表第1の2に列挙されているところ、精神疾患であるうつ病の発症が労災保険給付の対象となるためには、同別表第9号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当することが必要である。

 ところで、労基法及び労災保険法による労災補償制度の趣旨は、労働に伴う災害が生ずる危険性を有する業務に従事する労働者について、その業務に内在ないし通常随伴する危険が発現して労働災害が生じた場合に、使用者の過失の有無にかかわらず、被災労働者の損害を補填するとともに、被災労働者及びその遺族の生活を補償するところに求められるところ、このような制度の趣旨に照らせば、業務と傷病等との間に業務起因性があるというためには、単に当該業務と傷病等との間に条件関係が存在するのみならず、社会通念上、業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化として死傷病等が発生したと法的に評価されること、すなわち相当因果関係の存在が必要であると解するのが相当である。そして、業務災害に関する遺族補償及び葬祭料の各給付の請求は、遺族補償及び葬祭料の各給付を受けようとする遺族あるいは葬祭を行う者は、同請求に係る各給付について、自己に受給資格があることを証明する責任があるというべきである。すなわち、業務起因性の立証責任は、同請求をした同遺族ないし葬祭を行う者にあると解するのが相当である。

2 相当因果関係の判断基準等

 非災害性の疾病のうちでも精神疾患は、当該労働者の従事していた業務とは直接関係のない基礎疾患、当該労働者の性格及び生活歴等の個体側の要因、その他環境的要因等が複合的、相乗的に影響し合って発症に至ることもあるから、当該業務と精神疾患の発症との間に相当因果関係が肯定されるためには、単に業務が他の原因と共働原因となって精神疾患を発症させたと認められるだけでは足りず、当該業務自体に、社会通念上、当該精神疾患を発症させる一定程度以上の危険性が存することが必要であると解するのが相当である。しかして、うつ病の発症の機序については、医学上もいまだ完全には解明されていない分野であるところ、その発病要因となった出来事のすべてを特定すること自体困難な場合も多い上、これに心理的負荷の蓄積を客観的・定量的に数値化することが困難であることを併せ考慮すれば、うつ病と心身的負荷との相当因果関係を完全に医学的に証明することは困難な場合があることは否定できないところである。

 しかしながら、法的概念としての因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的な証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつそれで足りるのである。したがって、業務とうつ病の発症との間の相当因果関係を判断するに当たっても、発症前の業務内容及び生活状況並びにこれらが労働者に与える心理的負荷の有無、程度、さらには当該労働者の基礎疾患等の身体的要因や、うつ病に親和的な性格等の個体側の要因等を具体的かつ総合的に判断した上、これをうつ病の発症・増悪の要因等に関する医学的知見に照らし、社会通念上、当該業務が労働者の心身に過重な負荷を与える態様のものであり、これによって当該業務にうつ病を発症させる一定程度以上の危険性が存在するものと認められる場合に、当該業務とうつ病との間の相当因果関係を肯定するのが相当である。

 業務上の心身的負荷の強度は、同種の労働者を基準にして客観的に判断する必要があるが、企業に雇用される労働者の性格傾向が多様であることはいうまでもないところ、前記労災補償制度の趣旨に鑑みれば、同種労働者の中でその性格傾向が最も脆弱である者(ただし、通常想定される範囲内の者)を基準とするのが相当である。そして、Kはこれまでの生活史を通じて社会適応状況に特別の問題はなく、うつ病親和的な性格ではあったが、正常人の通常の範囲を逸脱しているものではなく、模範的で優秀な技術者であったのであるから、Kの性格傾向は、同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでなかったと認められる。そうすると、本件においては、Kを基準として、当該業務がうつ病を発症させる危険性があったか否かを判断すればよいことになる。

 労災保険法12条の2の2第1項は、労働者の故意による事故を労災保険の給付の対象から除外しているが、同規定が故意による事故を除外した趣旨は、業務と関わりのない労働者の自由な意思によって発生した事故は業務との因果関係が中断される結果、業務起因性がないことを確認的に示したものと解するのが相当である。したがって、自殺行為のように外形的に労働者の意思的行為とみられる行為によって事故が発生した場合であっても、その行為が業務に起因して発生したうつ病の症状として発現したと認められる場合には、労働者の自由な意思に基づく行為とはいえないから、同規定にいう故意には該当しないものと解される。そして、判断指針は、業務による心理的負荷により精神障害が発病したと認められる者が自殺を図った場合には、精神障害によって正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思い止まる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定し、原則として業務起因性を認めるものとしているが、当裁判所もこの考え方は妥当なものと判断する。

3 本件うつ病の発症及びその時期並びに本件自殺について

 Kは、7月下旬ないし8月上旬頃本件うつ病に罹患し、心身耗弱状態の下で本件自殺をしたものであり、T社におけるKの業務が本件うつ病の要因の1つになっていたことが認められる。

 Kが係長に就任した後の昭和63年2月以降は、それまでの業務に加えて、開発設計、改良設計等を行うことになり、業務量が格段に増加した。Kは昭和62年11月から昭和63年6月まで毎月40時間以上の時間外労働をしているが、目標残業時間が定められていたことから、それ以前より労働密度が高いものであったと推認され、Kは恒常的な時間外労働や残業規制による過密労働により、精神的・肉体的疲労を蓄積していたものと認められる。昭和63年7月にKは極めて多忙となり、また同年8月末までに試作設計を終了させる予定であった車の出図期限を9月末まで変更せざるを得なかったが、これは係長としてマイナス評価を受けざるを得ない上、更に期限までの業務が過重になることから、Kは極めて強い心身的負荷を受けたものと認められる。更にKは、同年7月、組合の職場委員長に内定し、その業務に労力をとられることにより出図期限を遵守できなくなることの不安が加わり、その不安も相当強い心理的負荷を与えたものと認められる。

 Kは、同年8月10日から17日まで夏休みであったが、その間大部分自宅で仕事をし、この頃既にうつ病を発症しており、そのような状態の下で、開発プロジェクトの作業日程調整、16日間の南アフリカ共和国への出張命令があり、これらがKに対し強い心身的負荷を与えて、本件うつ病を悪化させたものと認められる。

4 総合評価

 Kは、従前からの恒常的な時間外労働や残業規制による過密労働により、相当程度の心身的負荷を受けて精神的・肉体的疲労を蓄積していたこと、昭和63年7月の2車種の出図期限が重なったことによる過重、過密な業務及び出図の遅れにより極めて強い心理的負荷を受けたこと、職場委員長に就任することにより出図期限が遵守できなくなるのではないかとの不安、焦燥が相当強い心理的負荷となったこと、昭和63年8月初旬の過重、過密な業務及び出図期限の再延長により、極めて強い心理的負荷を受けたこと、同月の夏休み期間中幾分疲労を回復したこと、夏休み明け後の開発プロジェクトの作業日程調整及び本件出張命令が、既にうつ病を発症していたKに対して強い心理的負荷を与えたこと、住宅ローン、原告の妊娠中の手術及び引越は、いずれもKに対して特段の心身的負荷を与えたものとは認められないこと、3女の出生に伴う家庭環境の変化は、Kに対してそれほど強い心身的負荷を与えたものではないこと、Kはうつ病親和的性格傾向を有していたことに加えて、不眠、早朝覚醒、肩凝り、全身疲労の出現が、上記業務による心身的負荷の蓄積度合いと符合していること、Kが原告に対して漏らした不安、愚痴が仕事に関するものばかりであったことを総合考慮すれば、本件においては、業務外の要因による心身的負荷はさほど強度のものとは認められず、Kの本件うつ病は、上記の過重、過密な業務及び職場委員長への就任内定による心理的負荷とKのうつ病親和的な性格傾向が相乗的に影響し合って発症したものであり、更にその後の開発プロジェクトの作業日程調整及び本件出張命令が本件うつ病を急激に悪化させ、Kは本件うつ病による希死念慮の下に発作的に自殺したものと認めるのが相当である。そして、本件自殺はうつ病の症状として発現したものであるから、労災保険法12条の2の2第1項の「故意」には該当しないものである。
 以上によれば、本件うつ病の発症とそれに基づく本件自殺には業務起因性が認められるから、これを否定した本件処分は違法である。
適用法規・条文
07:労働基準法75条2項,79条、80条、労災保険法12条の2の2第1項、13条、16条の2、17条
収録文献(出典)
労働判例814号64頁
その他特記事項