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豊田労基署長(T社)自殺控訴事件【うつ病・自殺】

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
豊田労基署長(T社)自殺控訴事件【うつ病・自殺】
事件番号
名古屋高裁 − 平成13年(行コ)第28号
当事者
控訴人 豊田労働基準監督署長
被控訴人 個人1名
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2003年07月08日
判決決定区分
控訴棄却(確定)
事件の概要
 K(昭和28年生)は、自動車等の製造・販売を業とするT社の第1車両設計課第1係長の職にあったが、長時間かつ過密な労働や組合の職場委員長への就任等により精神的疲労を受けてうつ病に罹患し、昭和63年8月26日、飛び降り自殺した。

 Kの妻である被控訴人(第1審原告)は、Kの自殺は業務上の災害に当たるとして、控訴人(第1審被告)に対し、遺族補償年金及び葬祭料の支給を申請した。しかし控訴人がこれを業務外であるとして不支給処分としたため、被控訴人はこの処分を不服として審査請求をしたが受け入れられなかったことから、処分の取消しを求めて提訴した。
 第1審では、Kは過重、過密な業務等によってうつ病を罹患し、それによって自殺に至ったとして、被控訴人の要求通り控訴人の処分を取り消したため、控訴人はその取消しを求めて控訴した。
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
判決要旨
1 業務起因性の判断について

 労災保険給付の対象となる業務上の疾病については、労基法75条2項に基づいて定められた施行規則35条により同規則の別表1の2に列挙されており、精神疾患であるうつ病の発症が労災保険給付の対象になるためには、同別表第9号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当することが必要であるところ、これらの給付を受けようとする者が、請求にかかる各給付について自己に受給資格があることを証明する責任があるというべきであるから、業務起因性の立証責任は保険給付の請求者にあると解すべきである。

 業務と傷病等との間に業務起因性があるというためには、単に当該業務と傷病等との間に条件関係が存在するのみならず、社会通念上、業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化として死傷病等が発生したと法的に評価されること、すなわち相当因果関係の存在が必要であると解される。精神疾患の発症や増悪は様々な要因が複雑に影響し合っていると考えられているが、当該業務と精神疾患の発症や増悪との間に相当因果関係が肯定されるためには、単に業務が他の原因と共慟して精神疾患を発症もしくは増悪させた原因であると認められるだけでは足りず、当該業務自体が、社会通念上、当該精神疾患を発症もしくは増悪させる一定程度以上の危険性を内在又は随伴していることが必要であると解するのが相当である。そして、うつ病発症のメカニズムについては未だ十分解明されていないけれども、現在の医学的知見によれば、環境由来のストレスと個体側の反応性、脆弱性との間で精神破綻が生じるかどうかが決まり、ストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし、逆に脆弱性が大きければストレスが小さくても破綻が生ずるとする「ストレス脆弱性」理論が合理的であると認められる。

 なお、労災保険法12条の2の2第1項は、労働者の故意による事故を労災保険の給付対象から除外しているが、その趣旨は、業務と関わりのない労働者の自由な意思によって発生した事故は業務との因果関係が中断される結果、業務起因性がないことを確認的に示したものと解するのが相当である。それゆえ、自殺行為のように外形的に労働者の意思的行為と見られる行為によって事故が発生した場合であっても、その行為が業務に起因して発生したうつ病の症状として発現したと認められる場合には、労働者の自由な意思に基づく行為とはいえないから、同規定にいう故意には該当しないものと解される。そして判断基準においては、業務による心理的負荷により精神障害が発病したと認められる者が自殺を図った場合には、精神障害によって正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思い止まる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定し、原則として業務起因性を認めるものとしているが、この考え方は妥当なものである。

2 Kに対する業務上の出来事による心理的負荷について

 Kは7月下旬ないし8月上旬頃本件うつ病に罹患し、本件うつ病による心神耗弱状態の下で本件自殺をしたものであり、T社におけるKの業務が本件うつ病発症の要因の1つになっていたこと自体は明らかである。そこで、業務上の出来事がKの心身にどのような負荷を与えたかについて検討すると、ストレスの性質上、本人が置かれた立場や状況を充分斟酌して出来事のもつ意味合いを把握した上で、ストレスの強度を客観的見地から評価することが必要であり、本件においては、Kが従事していた業務が、自動車製造における日本のトップ企業において、内容が高度で専門的であり、かつ、生産効率を重視した会社の方針に基づき高い労働密度の業務であると認められる中で、いわゆる会社人間として仕事優先の生活をして、第1係長という中間管理職として恒常的に時間外労働を行ってきた実情を踏まえて判断する必要があるというべきである。

3 総合評価

 Kは、従前から恒常的な時間外労働や残業規制による過密労働により、相当程度の心理的負荷を受けて精神的・肉体的疲労を蓄積していたこと、昭和63年7月の2車種の出図期限が重なったことによる過重、過密な業務及び出図の遅れにより極めて強い心理的負荷を受けたこと、職場委員長に就任することにより出図期限が遵守できなくなるのではないかとの不安、焦燥が相当強い心理的負荷となったこと、同年8月初旬の過重、過密な業務及び出図の再延長により相当強い心理的負荷を受けたこと、同月10日から17日までの夏休み期間中、いくぶん疲労を回復したこと、夏休み明け後の開発プロジェクトの作業日程調整及び本件出張命令が、既に本件うつ病を発症していたKに対して、強い心理的負荷を与えたこと、住宅ローン、被控訴人の妊娠中の手術及び引越は、いずれもKに対して特段の心理的負荷を与えたものとは認められないこと、三女の出生に伴う家庭環境の変化(夜泣きを含む)は、Kに対してそれほど強い心身的負荷を与えたものではないこと、Kはうつ病親和的性格傾向を有していたことに加えて、Kの不眠、早期覚醒、肩凝り、全身疲労の出現が、上記業務による心身的負荷の蓄積度合いと符合していること、Kが被控訴人に対して漏らしていた不安、愚痴が仕事に関するものばかりであったことを総合考慮すれば、本件においては業務外の要因による心身的負荷はさほど強度のもとは認められず、Kの本件うつ病は、上記の過重、過密な業務及び職場委員長への就任内定による心身的負荷とKのうつ病親和的な性格傾向が相乗的に影響し合って発症したものであり、更にその後の開発プロジェクトの作業日程調整及び本件出張命令が本件うつ病を急激に悪化させ、Kは本件うつ病による希死念慮の下に発作的に自殺したものと認めるのが相当である。
 結局、上記の過重、過密な業務等による心身的負荷は、Kに対し、社会通念上、うつ病の発症だけでなく増悪においても、一定程度以上の危険性を有するものであったと認められるから、業務と本件うつ病の発症との間には相当因果関係を肯定することができ、本件自殺は本件うつ病の症状として発現したものであるから、労災保険法12条の2の2第1項の「故意」には該当しないものである。以上の次第で、本件うつ病の発症とそれに基づく本件自殺には業務起因性が認められるので、これを否定した本件処分は違法といわざるを得ない。
適用法規・条文
07:労働基準法75条,労災保険法12条の2の2第1項、16条の2、17条
収録文献(出典)
労働判例856号14頁
その他特記事項