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日赤M赤十字病院医師自殺事件【うつ病・自殺】

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
日赤M赤十字病院医師自殺事件【うつ病・自殺】
事件番号
広島地裁 − 平成10年(ワ)第427号
当事者
原告 個人3名A、B、C
被告 日本赤十字社
業種
サービス業
判決・決定
判決
判決決定年月日
2003年03月25日
判決決定区分
棄却(確定)
事件の概要
 被告は、M赤十字病院(被告病院)を開設・経営している法人であり、K(昭和29年生)は平成8年7月、大学医学部から派遣され、被告病院に赴任した内科医である。

 同年8月21日、Kは同僚医師の依頼により、患者Tについて肝内結石の確定診断の目的でERCP(内視鏡的逆行性膵胆管造影)検査を実施したところ、Tはその検査が原因で急性膵炎を発症した。KはTの主治医となり、Tの急性膵炎の治療に当たり、同月23日、Tの症状が悪化したことから、被告病院は急性膵炎の緊急手術を実施した。この事件後、Tへの検査の適応、手技等について被告病院内で検討した結果、検査手技を含め医療行為全般について過失がないとの結論に達した。

 Tの容態は一旦安定・回復していたが、同年11月5日に容態が悪化し、Kは頻繁にTの病室を訪れ、深夜まで治療に関わるようになった。院長は、Kがかなり疲労しているとの報告を受けて、S医師に対しKと面談するよう指示したほか、Kを派遣した大学に対し、Kから話を聞いてもらいたいと依頼した。

 同月30日、S医師はKと面談し、自らの体験も交え、何でも手伝う旨伝えた。その夕方、Kは急に大声で「僕、大丈夫ですから。もう心配しなくていいですから。自殺なんかしませんから。」と言ったことから、これを聞いた医師らはKの上司に報告しようとしたが、土曜日の夕方で、上司は既に帰宅しており、月曜日の朝一番に報告することになった。同日午後5時以降から翌12月1日朝にかけても、Kは頻繁に外科病棟の看護師詰所を訪れ、Tの容態の確認などをし、同日午前10時10分頃、Kは「Tさんごめんなさい、独りでいかせはしません」との走り書きをポケットに入れて、被告病院の7階から地上へ飛び降りて自殺した。
 Kの妻である原告A、Kの娘である原告B及び同Cは、Kが長時間労働を行う中で精神的に追い詰められ、遅くとも11月上旬にはうつ病に罹患し、その結果自殺したものであるから、これは業務に起因したものであること、被告にはKの自殺について予見可能性があり、不法行為上の過失ないし安全配慮義務違反があったことを主張し、逸失利益1億6195万4368円、慰謝料3000万円、葬儀費150万円、弁護士費用1000万円を請求した。
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
判決要旨
1 Kの業務と自殺との因果関係

 Kは、自己が実施したERCP検査の結果Tが急性膵炎になったことについて責任を強く感じ、特に11月5日以降同女の容態が悪化していった中で自責の念をますます強め、同女の病棟への訪室を一層頻繁にかつ長時間行うようになり、睡眠不足や身体的疲労を募らせ、これが精神状態に更なる悪影響を及ぼして、身体的にも精神的にも疲労困憊し、その挙げ句自殺に至ったものと考えられる。したがって、Kの自殺は同人の業務に起因し、業務と自殺との間に因果関係があることは明らかである。

2 被告の過失ないし安全配慮義務違反の有無

 一般に、使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身を損なうことがないよう注意する義務を負うと解され、その義務違反があった場合には、雇用契約上の債務不履行(いわゆる安全配慮義務違反)に該当するとともに、不法行為の過失をも構成すると解される。

 Kは、自己が実施したERCP検査の結果Tが重症の急性膵炎に罹患したことについて、被告病院の検討結果では過失がないとされたにもかかわらず、責任を強く感じ、夜間同女への訪室を一層頻繁かつ長時間行うようになり、また家庭生活においては十分眠れない状態が続き、食欲も減って体重も減少し、診療中に倒れるなどした。しかしながら、Kは被告から決して過重な負担を伴う業務を割り当てられていたわけではなく、Tの容態が悪化した後も、通常の診療業務を従来通り支障なく遂行しており、遅刻や無断欠勤もなく、診療業務や言動に関して異常な点は見受けられなかったというのである。そうしてみると、Kにおいてうつ病に罹患していたと認めることは到底困難であり、被告病院においてKに対して神経科、精神科の専門医の診断を実施する義務があったとはいえない。

 また、Kの家庭生活における変化や自己診断でハルシオン(睡眠導入剤)を処方したことを被告病院は知り得なかったのであるから、被告病院としては、KがTの膵炎の症状の悪化を気に掛けて悩み、頻繁に同女のもとに訪室し、疲労しているという事情以外に、Kに異常な点は何ら見受けられなかったし、同人は十分な経験を積んだ熟練の内科医であったことから、同人において、自殺等不測の事態が生じ得る具体的な危険性まで認識し得る状況ではなかったといえる。他方で、同人に課せられている診療業務自体何ら過剰なものではなく、同人は診療業務を正常にこなしていたのであり、同人の心身疲労の原因は、同人がTの主治医でなくなったにもかかわらず自責の念からやむにやまれず専ら自発的に行っていたTのもとへの訪室にあったのである。したがって、被告病院としては、業務を休むよう勧めた以上に、強制的に同人に診療業務を休ませる措置を採る正当な理由は見出し難く、そのような措置を採ることは困難であったといえるし、同人のTのもとへの訪室も専ら自発的なものであった以上、これを制限する理由はなく、その制限措置を採るのも困難であった。そうである以上、被告病院にそのような措置を採るべき義務があったということはできない。更に、Kは広島から被告病院に赴任して日も浅く、上記のような事情のもとでは、被告病院において、同人の家族に面談してそのプライバシーにわたる生活状況全般について事情を聴取すべきであったとまでいうこともできない。

 Kは、11月29日の夕方からほとんど睡眠を取らずにTの容態を観察しており、翌30日のS医師との面談の際には疲労困憊の様子を見せていた。そして、同日夕方には、Kは「自殺なんかしない」などと大声で言っており、こうした言動は、Kが心身の疲労の末に自殺する危険性を示唆するものと見ることができよう。しかしながら、看護師らは、Kが深夜ほとんど睡眠を取らずにTの容態を観察していたことを院長に報告しておらず、S医師も面談の結果を同日中に院長に報告できなかった。また、同日夕方におけるKの言動を目の当たりにしたY医師らは、既に土曜日の夕方であったことから、翌週月曜日の朝一番に上司に報告しようと考えていた。上記のような各事情は、それぞれのみでは、Kの身に直ちに不測の事態が起こる切迫した危険性を窺わせるものとまではいえず、同日が土曜日であったことにも鑑みると、それらの情報が同日中に院長ら管理者に伝えられなかったことに落ち度があるとはいえない。
 またそもそも、Kの自殺の原因となった精神的苦悩は、同人の医師としての良心に根ざした自責の念によるものであるから、第三者が外部から何らかの措置を講ずることにより簡単にその苦悩を軽減することができるような性質のものでないことは明らかであるから、自殺を防止するための措置を採るといっても容易なことではないと考えられる。そうすると、同月30日以降Kが自殺するまでの間においても、被告病院においてKの精神状態を改善して不測の事態を防止するため何らかの有効な措置を講ずるいとまがあったとは考え難く、そのような措置を採るべき注意義務違反があったということはできない。
適用法規・条文
収録文献(出典)
労働判例850号64頁
その他特記事項