判例データベース

江戸川区受動喫煙損害賠償請求事件【受動喫煙】

事件の分類
その他
事件名
江戸川区受動喫煙損害賠償請求事件【受動喫煙】
事件番号
東京地裁 − 平成11年(ワ)第13320号
当事者
原告個人1名

被告江戸川区
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2004年07月12日
判決決定区分
一部認容・一部棄却(確定)
事件の概要
 原告は、平成7年4月に被告の職員として採用され、平成8年3月末まで都市開発部再開発課、同11年3月末まで江戸川保健所予防課、同年4月以降平井福祉センターで勤務する者である。

 原告が最初に配属された再開発課の執務室では、自席での喫煙が許されていたことから、原告は係長に対し喫煙を遠慮して欲しい旨申し入れ、係長は席の配置について若干の配慮を行った。原告は配属当初から眼やのどに痛みを感じたことから、上司に対して分煙措置を要望したほか、区議会に対し公共施設の禁煙化及び分煙化の推進、区有施設の速やかな喫煙対策を求めて請願を行った。更に原告は、課長に対し、執務室外に喫煙場所を設置し室内は禁煙にして欲しいと要請したが、課長は喫煙者の権利も尊重しなければならないとして、室内禁煙にまでは至らなかった。原告は、平成7年12月頃から、痰に血が混じるようになり、急性咽頭炎及び急性副鼻控炎との診断を受けたほか、大学病院から、血たん、咽頭痛、頭痛等の受動喫煙による急性障害が疑われること、今後同様な環境下では健康状態の悪化が予想されるので非喫煙環境下での就業が望まれる旨の診断書の発行を受けた。原告は平成8年1月12日、課長に対し上記大学病院の診断書を示し、改善を申し出たが、異動までの間同申出に対し、特段の措置は講じられなかった。原告はこうしたことから異動を希望し、平成8年4月から保健所勤務となった。

 保健所においては、室内と室外に喫煙場所が指定され、原告は喫煙場所から最も遠い場所に席を指定されたが、分煙にまでは至らなかったので、原告は上司に対策を要望するとともに、平成10年3月特別区人事委員会に対し、禁煙・分煙措置を求める措置要求をした。
 原告は、勤務期間の全期にわたり被告が原告を受動喫煙下に置くことにより安全配慮義務に違反し、健康被害を与えた旨主張し、主位的に安全配慮義務違反の債務不履行、予備的に不法行為又は国家賠償法1条1項に基づく医療費7650円、及び受動喫煙により頸部椎間板ヘルニアに罹患したこと、受動喫煙問題について他から揶揄されたこと等による精神的苦痛に対する慰謝料30万8000円を請求した。これに対し、被告は、原告の勤務する事務室における換気措置は当時としてはいずれも十分であり、原告が受動喫煙を余儀なくされたとは認められず、原告の主張する疾患と受動喫煙との間に因果関係は認められないと主張して争った。
主文
1 被告は、原告に対し、金5万円を支払え。

2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、これを6分し、その1を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。
判決要旨
 被告は、その職員である原告に対し、被告が公務遂行のために設置すべき場所、施設若しくは器具等の設置管理又は原告が被告若しくは上司の指示の下に遂行する公務の管理に当たって、原告の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負うものと解される。

我が国においても、平成4年労働省告示59号の中で、「屋内作業場では、空気環境における、浮遊粉じんや臭気等について、労働者が不快と感ずることのないよう維持管理されるよう必要な措置を講ずることとし、必要に応じ作業場内における喫煙場所を指定する等の喫煙対策を講ずること」と指摘されていたこと、平成5年に厚生省が、受動喫煙の急性影響として眼症状(かゆみ、痛み、涙、瞬目)、鼻症状(くしゃみ、鼻閉、かゆみ、鼻汁)、頭痛、せき、ぜん鳴等が自覚されるものであり、受動喫煙の慢性影響として肺ガン発生に関するリスクの有意性については、多くの国々でその危険性に対して危惧の念が表明されていたこと、平成7年に厚生省が公表した「たばこ行動計画」の中で、職場の状況を踏まえつつ非喫煙者に十分配慮した対策を積極的に推進すべきであると指摘されていたこと、平成7年当時、喫煙対策が社会的にも要請され、喫煙対策を行う企業や官公署が増えつつあったこと、平成8年には労働省ガイドラインやマニュアルが公表され、それ以降職場における喫煙対策について、更に社会的にも検討が進んでいったことなどを併せ考えると、被告は、原告が再開発課に配属された当時において、公務の遂行のために設置した施設等の管理又は原告が被告の指示の下に遂行する公務の管理に当たり、当該施設等の状況に応じ、一定の範囲において受動喫煙の危険性から原告の生命及び健康を保護するよう配慮すべき義務を負っていたものというべきである。もっとも、その義務の内容は具体的状況に従って決すべきものであり、受動喫煙の暴露時間や暴露量を無視して一律に論ずることのできない性質のものであったこと、当時の我が国においては、喫煙に対し寛大な認識がなお残っており、喫煙者と非喫煙者が相互の立場を尊重することが重要であると考えられていたこと、当時の喫煙対策としては分煙が一般的であり、労働省ガイドライン等に掲げられた各種の分煙対策についても、即時に全面的な導入を図るべきものとされていたわけではなく、具体的状況に応じ、段階的に実施していくことを予定されていたとみられることなどは、上記の配慮すべき義務の内容を検討するに当たって斟酌すべき事柄であると考えられる。

 平成7年4月から同8年1月頃までは原告の席までたばこの煙が流れてきていた可能性は否定できないものの、喫煙をめぐる当時の社会情勢の下で官公署や民間企業において一般的に採用されていた分煙対策が執られていたものと評価できること、また、執務室内における受動喫煙により前述のような急性影響が生ずることは否定し難く、原告の自覚する眼の痛み、のどの傷み、頭痛等の症状もその影響であると推認されるものの、受動喫煙の影響は上記程度に留まるものであり、慢性副鼻控炎等の診断結果や頸部椎間板ヘルニアと受動喫煙との因果関係は不明であること、平成7年に原告がした喫煙対策の申し入れは、診断書などを示してなされたものではなく、むしろ受動喫煙を防止するために一般的な喫煙対策を求めるという色彩の強いものであったこと、当時執務室において原告以外に受動喫煙による健康被害を訴えた者がいたことを窺わせる証拠はなく、執務室内の空気環境測定結果が一応ビル管理法基準の範囲内にあったことなどに鑑みると、被告が原告の生命及び健康を受動喫煙の危険性から保護するよう配慮すべき義務に違反したとまではいえないというべきである。

 しかしながら、平成8年1月12日から同年3月31日までについてみると、原告は課長に対し、血たん、咽頭痛、頭痛等の受動喫煙による急性障害が疑われること、勤務後受診時には喫煙の指標である呼気中一酸化炭素濃度が高値をとっており、明らかに受動喫煙環境下にあると考えられること、今後同様の環境下では健康状態の悪化が予想されること等が記載された診断書を示して申し出ており、執務室内の分煙状況等に鑑みても、被告としては原告が執務室内においてなお受動喫煙環境下に置かれる可能性があることを認識し得たものと認められるから、医師の指摘を踏まえた上で、原告の健康状態の悪化を招くことがないよう、原告の席を喫煙場所から遠ざけるとともに、自席での禁煙を更に徹底させるなど、速やかに必要な措置を講ずるべきであったにもかかわらず、同年4月1日に原告を異動させるまでの間、特段の措置を講ずることなく、これを放置していたのであるから、被告は原告の生命及び健康を受動喫煙の危険性から保護するよう配慮すべき義務に違反したものといわざるを得ない。

 平成8年4月以降についてみると、保健所においては、1階は禁煙、2階の会議室とトイレも禁煙、その他の部分は分煙とするなどの対策が実施されており、被告における分煙対策の先がけとなった職場であること、2階事務室においては、原告の異動前の執務室に比べてそれなりに分煙は守られていたことに加え、喫煙者数が半分程度であったこと、喫煙場所はパーテーション等で区画されていなかったものの、原告は室内の喫煙場所から約19メートル、室外の喫煙場所から約10メートル離れ、たばこの煙が流れてきにくい1番奥に席を指定してもらったこと、平成10年4月にはトイレに禁煙の表示が行われ、吸い殻入れの空き缶が撤去されるとともに、所内に分煙及び禁煙の表示がなされて喫煙対策の周知が図られ、同年7月頃には室外の喫煙場所が廃止され、平成11年4月からは室内の喫煙場所も廃止され、喫煙はベランダのみで行うとの分煙対策が更に進められたこと、原告が保健所配属期において、受動喫煙による急性障害がなお残存しているとか、その急性障害が更に悪化したといった診断書を提示した形跡はなく、原告がした喫煙対策の申入れも受動喫煙に関する一般的な知見を示してなされたものであったこと、被告が平成8年当時既に実施済みであった分煙対策に加え、座席配置の変更、保健所長による相談等を経ながら原告に対応しつつ、更に平成10年以降、禁煙原則に立脚した分煙対策を推進したことなどに照らせば、被告が原告の生命及び健康を受動喫煙から保護するよう配慮すべき義務に違反したとはいえないというべきである。
 被告の安全配慮義務違反は、平成8年1月12日以降のことであるから、それより前に生じた損害については、いずれも安全配慮義務違反との因果関係を欠くものである。原告が平成8年1月12日に、非喫煙環境下での就業が望まれることなどが記載された医師の診断書を示し、配慮を求めたのであるから、被告は原告の健康状態の悪化を招くことがないよう速やかに必要な措置を講ずるべきであったにもかかわらず、同年4月1日に原告をその希望に沿って異動させるまでの間、特段の措置を講ずることなくこれを放置し、その間、原告において眼の痛み、のどの痛み、頭痛等が継続していたというのであり、かかる義務違反の態様に加え、これにより原告の被った精神的肉体的苦痛の内容、程度、期間等本件に顕れた諸般の事情に鑑みれば、原告に対する慰謝料の金額としては5万円をもって相当と認める。
適用法規・条文
02:民法415条,
収録文献(出典)
労働判例878号5頁
その他特記事項