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岸和田労基署長(K社)自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 岸和田労基署長(K社)自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件番号
- 大阪地裁 - 平成7年(行ウ)第38号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 岸和田労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1997年10月29日
- 判決決定区分
- 棄却(控訴)
- 事件の概要
- T(昭和16年生)は、昭和63年12月19日、勤務先のK社の工場内で稼働中、2.5mの高さから地上に落下し、コンクリート面で顔面及び身体を強打する災害(本件事故)に被災し、「頭部外傷2型、前身打撲、顔面・口腔内挫傷、頭部捻挫」等の障害(本件障害)を負った。
Tは、昭和59年秋頃にてんかんの発作が頻発したため、昭和60年1月に受診したところ、てんかん及び神経症との診断を受け投薬を受けたが、同年2月頃から子供の進学等を巡り家庭内で対立が起こり、投薬の量が増加された。Tは、本件事故により平成元年1月21日まで入院し、その後通院して、投薬、理学療法、運動療法、鍼灸などの治療を受け、その結果、同年6月頃には頸部の運動障害や外傷性頸部症候群が主症状になるまでに回復した。Tは、同年4月から職場復帰したが、作業が充分にできず、周囲の対応も冷ややかであったことなどから、症状が悪化し、同年7月14日から再び休職した。
K社は、同年11月2日、従業員に対し、年内をもって事業閉鎖をしたい旨通告し、平成2年7月31日をもって事業が閉鎖されたことから、Tは同日付けで退職したが、K社から労働災害による損害賠償や退職金などを含む690万円の和解金の支払いを受けた。
Tは、平成3年に入った頃から眠れない日が多くなり、イライラしたり、ボンヤリした状態が続き、激しい頭痛を訴えるようになった。同年1月30日、Tは午前10時頃起床し、昼近くに起床した長男と口論になり、午後6時頃に自動車を貸ガレージに入れるために家を出たまま帰らず、ガレージの中で縊死しているのが発見された。
Tの妻である原告は、Tの自殺は業務に起因するものであるとして、被告に対し労災保険法に基づき、遺族補償給付及び葬祭料の請求をしたが、被告は平成5年7月27日付けで、各給付を支給しない旨の処分(本件処分)を行った。原告はこれを不服として、労災保険審査官に対し審査請求をしたが棄却の決定を受け、更に労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、3ヶ月を経過するも裁決がなかったため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。 - 判決要旨
- 労災保険法12条の2の2第1項の規定は、労働者が故意に傷害や死亡を生じさせたときは、政府が保険給付を行わない旨規定しているが、労働者災害補償制度が、自己の業務を行うために労働者を支配下に置き、労務を提供させる使用者が右労務提供過程において
当該業務に内在する危険によって労働者を死傷させるなどの結果が発生した場合、労働者に発生した損害を政府が使用者に代わって填補することを目的とした制度であることを考えると、同項の趣旨は、業務と死傷等の結果との間の因果関係が中断された場合において、それが労働者の故意に基づく行為によるときには、政府が保険給付を行わないことを注意的に規定したものと解すべきである。そして、労働者が自殺した場合、通常は当該労働者が死の結果を認識し、これを許容したといえるのであるが、そのことから直ちに当該労働者に故意があり、同項により保険給付を受けられないと解すべきではなく、当該労働者が自殺に至った原因を究明し、その原因と労働者が従事していた業務との間に因果関係(相当因果関係)が認められる場合には、業務起因性が肯定され、労働災害保険給付の対象になると解するのが相当である。
被告は、自殺による労働者の死亡に業務起因性が認められるためには、自殺当時の精神状態が極度の精神異常又は心神喪失状態の場合であることが要件になると主張するが、労働者の自殺による死亡の業務起因性の有無は、当該労働者が従事していた業務と自殺に至った精神状態との間の相当因果関係の有無によって判断されるべきであり、自殺当時の精神状態が極度の精神異常又は心身喪失であったかどうかについては、その判断の過程において、当然考慮される事柄である。そして、労働者が労働災害である傷害等によって耐え難い苦痛に苛まれた結果抑うつ状態に陥り自殺を敢行した場合のように、自殺に労働者の意思がある程度介在していたとしても、業務との因果関係を肯定できる場合があり得ることに鑑みれば、被告の主張は、労働者災害補償制度の適応範囲を不当に狭める結果を招来しかねないというべきである。
本件においては、本件傷害がTの業務に起因すること及び本件自殺が本件傷害に起因することの二つの段階において、それぞれの相当因果関係が肯定されることが必要となるところ、本件傷害が業務に起因することは当事者間に争いがないから、本件自殺が本件傷害に起因することが認められれば、Tの死亡に業務起因性があることになる。
Tは、本件傷害以降頭痛や頸部の障害を訴えていたが、一進一退の状況を呈しつつも、全体としては快方に向かっていたというべきであり、Tは平成2年10月に、単身で郷里に10日間の旅行をし、その間、頭痛等の特段の支障が生じた形跡もなかったことを考えると、Tの障害は、平成2年秋頃には相当程度軽快していたとも考えられる。また、Tには神経症の既往症があり、昭和60年以降、投薬やカウンセリングの治療を受けていたのであり、Tは抑うつ病に罹患しやすい精神的素因を有していたということができる。更に、Tは平成2年夏から秋頃に抑うつ症状が表れたというべきであり、同年7月末のK社からの退職は、Tの意思に基づくものではなかった上、Tは本件傷害のために充分に稼働することができず、新たな就職先の確保にも相当な困難を感じていたであろうから、Tは退職によって相当程度の精神的・心理的負担を感じていたと考えられる。
上記事情を総合すれば、本件自殺は本件事故から2年余りの期間を経過した後に発生しており、本件傷害による頭痛などの障害は、本件自殺の前の時点でかなりの程度回復しているといえる上、Tの神経症が本件事故以降も特に症状が悪化するなどの事情も認められないことに照らせば、本件傷害は、Tに対する精神的負荷としてはそれほど重大な影響を与えていなかったとも考えられる。更に、平成2年7月末日には、TがK社を退職するという事態が生じており、Tにかなりの程度の精神的負荷が生じていたといえるし、Tには神経症の既往症があり、もともと精神的負荷に対する耐性が強くなかったと思われる。
そして、本件傷害による頭痛などの障害は、軽快の方向に向かっていたといえ、本件事故後のTの症状が重くなるなどの事情も見当たらないことに照らせば、本件傷害はTにとってそれほど大きな精神的負荷になっていなかったことが窺える。そしてTは、本件自殺の前に強度の頭痛を訴えていたのであるが、神経症やうつ病に伴う身体症状としても頭痛が発生する場合があることを考えれば、Tの頭痛は、神経症やうつ病の身体症状として発現したものと考えることもでき、本件傷害に由来するものであったと断定することはできない。また、Tが神経症の既往症を有するなど、もともと精神的負荷に対する耐性に欠け、うつ病に陥りやすい素因を有していたともいえる上、Tには家庭内における葛藤があり、Tは抑うつ症状が表れたのと近接した時期にK社から退職していること、更には、負傷した者が抑うつ状態に陥り、自殺に及ぶことは比較的希であることなどの事情を総合して考慮すれば、本件自殺は、神経症の既往症があり、うつ病に陥りやすい素因を有していたTが、家庭内の葛藤やK社からの退職などによる精神的負荷が高まったことにより抑うつ症状を起こし、うつ病を発症した結果、発生したと考えることも充分可能であり、原告が主張するように、本件傷害が原因となってTが抑うつ症状を発症し、右抑うつ症状が高じて本件自殺に至ったものと断定することはできない。すなわち、本件傷害と本件自殺との間に相当因果関係を認めることはできず、したがって、本件自殺の業務起因性も認めることができない。 - 適用法規・条文
- 労災保険法12条の2の2第1項
- 収録文献(出典)
- 労働判例728号72頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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