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八女労基署長(K社)うつ病自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 八女労基署長(K社)うつ病自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件番号
- 福岡地裁 − 平成15年(行ウ)第31号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 八女労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2006年04月12日
- 判決決定区分
- 認容(控訴)
- 事件の概要
- T(昭和26年生)は、工業高校卒業後の昭和45年3月に、転勤を前提とする総合職としてQ社に入社し、平成11年8月にK社へ出向(本件出向)した。Tの家族は、昭和62年から兵庫県に居住していたが、本件出向によりTは福岡県筑後市内に単身赴任した。
TがK社で従事していた主な業務は、メンテナンス業務、新規機械の導入、ISO認証取得のための資料作成及び看板塔の設置であったが、Tは本件出向前は長く設計業務に従事しており、メンテナンス技術は不十分で、引継ぎ計画において想定されていたほどの習熟は見られなかった。Tが本件出向した後も突発的な機械の故障が度々発生していたが、そのうち修理作業が勤務時間外に及んだものは6回であり、これらの修理作業のほとんどは前任であるC係長が主に行っていた。
Tは、本件出向後、電話で原告に対し、仕事に慣れないので疲れる旨話し、平成11年10月に二次加工サイザーを導入して以降退社時刻が遅くなり、メンテナンスは自分の仕事ではない旨話すようになったほか、11月頃には工場長に対し、メンテナンスは自信がないこと、自宅のある高砂に帰りたいことを告げた。また、Tは11月下旬頃、社長に対し、設備・保全に自信がなくなった旨の発言をし、12月3日頃、C係長に対し、「メンテに自信がない」、「俺は駄目だ」と言い、C係長に対し3月頃までの残留を要請した。Tは同月9日、社長宅で夕食を共にした際、メンテナンス業務に自信がない旨話をし、翌日、翌々日の土日に休日出勤してISO認証取得のための資料作りを行った。その後同月15日午前1時頃、TはK社の倉庫内で縊死した。
Tの妻である原告は、Tの死亡は業務に起因して発生した業務災害であるとして、被告に対し、労災保険法に基づき遺族補償年金給付及び葬祭料の支給を請求したところ、被告は平成13年9月11日、これらを支給しない旨の決定(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として、労災保険審査官に対し審査請求をし、その棄却の決定を受けて労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、3ヶ月を経過したにもかかわらず裁決がないため、本訴を提起した。なお、労働保険審査会は、平成17年12月16日、再審査請求を棄却する旨の決定をした。 - 主文
- 1 被告が、原告に対して、平成13年9月11日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償年金給付及び葬祭料給付を支給しない旨の各処分をいずれも取り消す。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。 - 判決要旨
- 労災保険法に基づく保険給付の対象となる業務上の疾病については、労基法75条2項に基づいて定められた同法施行規則35条が引用する同規則別表第1の2に列挙されているが、同表第9号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」とは、同表第1号から第8号に掲げられている疾病以外に業務に起因するものと認められる疾病をいい、脳疾患、心臓疾患及び精神障害等がこれに該当すると解されるから、精神障害の発症が労災給付の対象となるためには、精神障害の発症が業務に起因すること(業務起因性)が必要である。そして、ある疾病について業務起因性があるというためには、単に当該業務と傷病との間に条件関係が存在するのみならず、業務に内在し又は通常随伴する危険の現実化として死傷病等が発生したと法的に評価されること、すなわち相当因果関係の存在が必要であると解するのが相当である。
ところで、精神障害の発症は、ストレスの存在がその主な原因の1つと考えられているが、脆弱性という個体側の要因もその発症に無関係ではあり得ないから、個体側に精神障害の発症に寄与する要因があることをもって、直ちに当該精神障害の起因性を否定すべきでないことはいうまでもない。逆に、業務に由来するストレスが、業務に内在し又は通常随伴する危険とまではいえない場合であっても、個体側の要因によっては精神障害を発症し得るから、業務に関するストレスの存在のみをもって、当該精神障害の業務起因性を肯定することはできない。したがって、業務と精神障害との発症、増悪との相当因果関係の判断に当たっては、業務の内容、勤務状況、業務上の出来事等を総合的に検討し、当該労働者の従事していた業務に、当該精神障害を発症させる一定程度以上の心理的負荷が認められるかを検討することが必要である。そして、業務の内容等に心理的負荷の有無及びその強度を検討するに当たっては、同種の労働者、すなわち、職場、職種、年齢及び経験等が類似する者で、通常業務を遂行できるものを基準として検討すべきである。
被告は、精神障害の業務起因性の判断は、厚生労働省判断指針に基づいて行うべきと主張するが、同指針は立証責任の軽減、認定の画一化を図るため、認定に当たっての判断の指針を示したに過ぎず、同指針に該当することが支給の要件となるものでないことはいうまでもなく、同指針は、精神障害の業務起因性を判断するための資料の1つに過ぎないというべきである。
Tには、本件出向による心理的負荷に加え、心理的負荷の大きい保全業務に従事することになったこと、メンテナンス技術の習得のため、勤務時間外の相当の時間自習に励まざるを得なかったことによる心理的負荷が短期間にかかったとはいえ、これらの業務による心理的負荷は、本件精神障害の発症時期として最も早い見解である10月下旬までの事情に限ったとしても、Tと同種の労働者にとって、精神障害を発症させるおそれのある程度の心理的負荷であったといえる。また、Tが11月中も10月と同様に長時間会社に滞在していたこと、C係長の退職時期がより近くなり、Tにかかる精神的重圧が大きくなったと考えられることからすれば、業務による心理的負荷が、Tと同種の労働者にとって、精神障害を発症させるおそれのある程度の強度の心理的負荷であったことは明らかである。
確かに、被告が指摘するように、Tは全国に異動する可能性がある総合職であり、T本人も転勤・転籍を命じられる可能性があることは認識していたこと、本件出向は一般的なものであり、特に不利益な取扱いではないことからすれば、本件出向自体による心理的負荷が著しく大きいものとはいい難い。また出向後の業務も経験によって習熟できるものであり、機械の故障対応の待機義務は特になかったこと、本件出向後、Tが帰宅後に呼び出されたのは2回に留まることからすれば、保全業務がTにとって過大な業務要求であったとまではいえない。時間外労働についても、一般的な水準に照らし、特に過重であったものではない。
しかしながら、心理的負荷の要因となる業務上の出来事が複数存在する場合においては、それらの要因は相互に関連し、一体となって精神障害の発症に寄与するものであるから、種々の出来事の心理的負荷ではなく、これらを総合的に判断して、精神障害を発症させるおそれのある強度のものであるかを検討する必要がある。また、心理的負荷の強度を検討するに当たっては、当該労働者の経歴、職歴、職場における立場、性格等を考慮する必要があり、このような考慮も、同種の労働者という概念が労働者の多様性という幅がある概念であることからすれば、当該労働者の経歴、職歴、職場における立場、性格等が、同種の労働者が有する多様性の範囲を超えるものでない限り、同種の労働者を判断基準として判断することと矛盾するものではない。
Tは、K社に入社して以来、出向も転勤も経験がなく、転籍の経験も29年間に2回しかないこと、業務内容の大きな変更も本件出向までなかったこと、Tは真面目で内向的であり、仕事は自分で抱え込む性格であったこと、本件出向前にはほとんど時間外労働がなかったことが認められ、これらの事情が本件出向及びそれに伴う担当業務、業務事情状況の変化による心理的負荷の受け止め方に影響していることは明らかであるが、このようなTの職歴、性格及び本件出向前の業務の状況は、Tが一般的な早さで昇進し、約29年間、特に問題なく仕事をしていたことに照らしても、同種の労働者の範囲に属するものといえる。そして、Tの職歴及び性格を前提にすれば、心理的負荷となったと考えられる各要因は、被告が主張する以上の強度であったといえ、Tが受けた業務による心理的負荷を総合的に判断すれば、業務による心理的負荷は、Tと同種の労働者にとって精神障害を発症させるおそれのある心理的負荷であったといえる。
以上に述べたとおり、本件出向及び本件出向後の業務によってTが受けた心理的負荷は、Tと同種の労働者にとって、精神障害を発症させるおそれのある程度の強度の心理的負荷であったといえる。そして、Tに業務以外の出来事による心理的負荷が窺われないこと、Tに特段の個体側要因がないことからすれば、本件精神障害は業務上の心理的負荷を主因として発症したといえ、Tの従事した業務と本件精神障害との間には相当因果関係が認められる。
以上によれば、Tの本件精神障害の発症には業務起因性が認められ、Tが本件精神障害によって正常の認識、行為選択能力、抑制力が著しく阻害された状態で自殺に及んだと認められるから、Tの死亡は業務に起因するものと認められる。したがって、本件自殺に業務起因性がないとして行われた本件処分は、その前提の判断を誤ったものであり、違法である。 - 適用法規・条文
- 労働基準法75条、労災保険法16条の2、17条
- 収録文献(出典)
- 労働判例916号20頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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