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医科大学研修医突然死損害賠償請求事件【過労死・疾病】

事件の分類
過労死・疾病
事件名
医科大学研修医突然死損害賠償請求事件【過労死・疾病】
事件番号
大阪地裁 - 平成11年(ワ)第4723号
当事者
原告 個人2名 A、B
被告 学校法人
業種
サービス業
判決・決定
判決
判決決定年月日
2002年02月25日
判決決定区分
一部認容・一部棄却(控訴)
事件の概要
K(昭和47年生)は、平成10年4月に医師国家試験に合格し、同年6月から医科大学附属病院(被告病院)耳鼻咽喉科の臨床研修医となった者である。

 Kは、平成10年5月6日から見学生として被告病院耳鼻咽喉科で研修を開始し、同年6月1日以降は研修医として研修を始めた。平日の研修時間は原則として午前7時30分から午後10時までのうち13時間と認められ、午後7時以降の研修は明示的に義務付けられてはいなかったが、指導医が帰宅するまで残って研修を行うことが慣例となっていた。その上、時には手術の見学で深夜遅くまで研修し、更には副直で泊まり込みの研修を行うとともに、そのように深夜遅くまで又は泊まり込みで研修した翌日には普段どおり午前7時30分から研修し、土日もほとんど研修に従事していた。

 この研修時間を月単位でみると、同年6月は323時間、7月は356時間、夏期休暇のあった8月の15日間でも98.5時間であり、Kが死亡する直前1ヶ月間の研修時間は274.5時間となっていた。

 Kは、同年8月15日午後7時に看護婦らと4人で食事をしたが、その際飲酒はせず午後11時頃に別れ自宅に戻り、翌16日午前0時頃突然死亡した。発見された時のKの様子は、靴下は脱いでいたものの、上着を含めて外出時の服装のままで、胸に手を当てて横になった状態であった。
 Kの両親である原告らは、Kが1日15時間以上と異常な長時間勤務を強いられたことに加え、翌日にまたがる手術の立会いや泊まり込みの副直をこなすことにより疲労が蓄積していったにもかかわらず、被告は過剰な長時間労働によりその健康が侵害されないように配慮すべき安全配慮義務を負いながらこれに違反してKを死亡させたとして、被告に対し逸失利益1億2975万0867円、慰謝料2500万円、葬儀費用726万9325円、弁護士費用1000万円を請求した。
主文
1 被告は、原告Aに対し、金6766万2426円及びこれに対する平成11年5月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2 被告は、原告Bに対し、金6766万2426円及びこれに対する平成11年5月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3 原告らのその余の請求を棄却する。

4 訴訟費用はこれを4分し、その1を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。
5 この判決は第1、2項に限り仮に執行することができる。
判決要旨
1 Kの研修と死亡との間の相当因果関係の有無

Kが死亡する直前1ヶ月間の研修時間は274.5時間となっており、法定労働時間が週40時間であることを考慮すると、その研修時間は極めて長時間であるということができ、Kは長時間にわたる研修で精神的・肉体的疲労を増大させ、疲労回復が低下していったものと認められる。そしてKは8月3日から8日まで断続的に4日間の休暇があったものの、6、7月の2ヶ月間で休暇は5.5日程度しかなく、8月9日から15日までは再び従前と同様の研修に従事していたことからすると、疲労を回復するために必要な休息も十分取れていなかったと認められる。

若年者の突然死の統計的考察からすると、Kの死亡当時の年齢である26歳を対象としても、虚血性心疾患は突然死の最も有力な原因と認められること、特に若年者の場合、虚血性心疾患に属する急性心筋梗塞は、ストレスが血圧・脈拍の増加、脂質の異化亢進等をもたらし、心筋梗塞の原因となるアテローム層の形成に大きく関与するとともに、比較的新しいアテローム硬化層がストレスにより増加するカテコールアミンの刺激等によって破綻して発症すると考えられており、ストレスがその発症機序に大きく関与していると認められるところ、研修実態からすると、Kが従事した研修は時間的にも密度的にも過重であり、Kには研修によって過大なストレスがかかっていたと認められること、Kは研修中に心筋梗塞の前駆症状と認められる胸痛を何度か覚知していることからすると、Kの死因は急性心筋梗塞であった蓋然性が高い。そして、質量ともに過重な研修実態からすれば、Kは急性心筋梗塞の発症原因となり得る強度の精神的・肉体的負荷を受け、梗塞の下地が作られ、心筋に対する障害が加えられ、更に自然的経過を超えて心臓機能を急激に著しく増悪させたものと認められる。そして、Kは研修開始前には健康体であり、他に急性心筋梗塞の確たる発症因子のあったことは窺われず、急性心筋梗塞の発症又は増悪の原因とする格別の事象は認められないことからすれば、Kが従事した研修とKの死亡との間には、相当因果関係があるというべきである。

2 被告の安全配慮義務違反の有無

 Kは、被告の指導監督の下、被告病院において研修していたのであるから、そのような特殊な社会的接触関係に入った一方当事者である被告は、他方当事者であるKに対して、信義則上、Kが研修によってその生命・身体を害さないように配慮する義務(安全配慮義務)を負っているというべきである。すなわち、被告病院における研修は、教育的側面と同時に、被告の業務の一部を研修の一環として担っており、奨学金名目で実質的にはその労働の対価と考えられる金員を受領していたことからすると、労働を提供していたと評価することもできるところである。そして、研修医の研修は、その内容が高度に専門的であるため長期にわたってはいるが、一般企業でいうところの新人研修的な性格を有しているということができる。したがって、被告が負う安全配慮義務の具体的内容は、このような被告とKとの関係に即して判断される必要がある。

 労働者が長時間にわたり業務に従事するなどして疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは周知のところであり、このことは本件のような研修医の研修においても同様である。したがって、研修医を指導する被告としては、研修の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して研修医の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負っているというべきである。そして、研修は被告の施設内において、指導医等による直接的な指導により行われていたのであるから、被告においても研修の実態を十分把握し、研修医が研修によって健康を害するおそれがあることは予見可能であったというべきである。そして、真面目な研修医ほど過大な肉体的・精神的負荷を受ける研修に陥りやすい傾向があることは容易に想像できるから、被告としては、研修の時間、密度を適切なものにするか、仮にそのような研修実態が臨床研修医の育成のためやむを得ない面があるのであれば、健康診断を実施した上、研修医の健康管理には細心の注意を払い、万一研修医の健康状態に異常を確認した場合には、その研修内容を軽減し改善する等適切な措置をとるべき義務を負担しているというべきである。

 しかるに被告は、研修時間を管理するなどして研修が研修医の健康に害を及ぼさないようにする措置を講じることを一切せず、また被告病院における研修開始時に健康診断を行うことはなく、またE医師はKが胸に手を当てて静止していたことを目撃したにもかかわらず、そのことを研修責任者に報告せず、Kに対して精密検査を行うなどの措置もとられていないことからすれば、被告は、研修医に対する健康管理に関し細心の注意を払うことができる態勢すら作っていなかったと認められる。したがって、被告はKに対する安全配慮義務を怠ったというべきであり、そして被告が安全配慮義務を履行していれば、Kの死亡は回避できたと考えられるから、被告の安全配慮義務違反とKの死亡との間には因果関係があるというべきである。よって被告は、原告らに対して、安全配慮義務違反に基づく損害賠償責任を負う。

 被告は、Kの死亡は、その予兆さえ発見できなかったものであり、これを予見し回避する措置をとる前提を欠くと主張するが、長時間の研修が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、研修医の心身の健康を損なう危険のあることを、医療法人である被告は十分認識していたはずであり、そうである以上、被告は、本来研修医全員に対して、当該研修医の健康が現に害されているか否かとは関わりなく、上記安全配慮義務を負っているのである。そして、被告は研修の実施主体であるから、上記不履行が何らかの不可抗力的な障害に基づくとは認められず、その不履行について被告が無過失であるということもできない。更に本件においては、E医師はKが数秒ほど胸に手を押さえて静止していたのを目撃していたのであるから、被告が研修医の健康管理に対して細心の注意を払えるような態勢を作っていれば、被告もKの異常に気付くことができたと認められるのであるから、被告がKの死亡の予兆さえ発見できなかったとしても、そのこと自体、被告の責に帰すべき事情であって、そのこと自体被告の責に帰すべき事情であって、そのことを理由に被告が安全配慮義務に基づく損害賠償責任を負わないということはできない。

 被告は、Kは医師免許を取得し、自己の心身の状況を管理する能力が有るはずであること等を理由に、Kにも過失があることを主張する。しかし、研修医の健康状態を悪化させない等の配慮を行う第一次的な義務は被告にあると考えられること、Kの研修の実態からすれば、研修の合間にKが自発的に診察を受けることを容易に期待することはできないこと、研修医という立場上、真面目に研修に取り組んでいたKが、研修を休んで診察を受けることを期待することは、被告が負う義務に照らすと酷に過ぎることからすると、Kに過失があったということはできない。したがって、被告の過失相殺の主張は採用することができない。

3 損害額
 Kは、研修を終える平成12年以降、67歳までの就労可能期間を通じて、賃金センサス男性医師の平均年間給与額である1213万1300円の収入を得られる蓋然性があると認められ、生活費控除率を50%としてライプニッツ方式により算定すると、逸失利益は9912万4852円となる。Kは少年の頃から医師になることを目指し、夢がかなって医師国家試験に合格した直後の臨床医研修において死亡したKの無念は大きいと認められること、その他本件に現れた一切の事情を斟酌して、死亡慰謝料は2500万円と認めるのが相当である。また、葬儀費用は120万円、弁護士費用は原告らそれぞれについて500万円と認めるのが相当である。
適用法規・条文
民法709条
収録文献(出典)
労働判例827号133頁
その他特記事項
本件原告は、本件とは別に、(1)遺族共済年金相当額についての損害賠償請求、(2)Kは被告から最低賃金を下回る給与しか受けていなかったとして、その差額の請求について訴訟を提起している((1)については、2001年8月29日大阪地裁堺支部判決、(2)については、2001年8月29日大阪地裁堺支部判決、2002年5月9日大阪高裁判決)