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津労基署長(M社)虚血性心疾患死事件【過労死・疾病】

事件の分類
過労死・疾病
事件名
津労基署長(M社)虚血性心疾患死事件【過労死・疾病】
事件番号
津地裁 - 平成16年(行ウ)第15号
当事者
原告 個人1名
被告 津労働基準監督署長
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2006年09月28日
判決決定区分
認容(確定)
事件の概要
M社は、一般家電製品、AV機器等の販売を業とする株式会社であり、T(昭和43年生)は、平成3年3月に大学を卒業後M社に入社し、幾つかの支店勤務を経て、平成13年5月16日から堺支店勤務となり、平成14年5月20日からは新規開店の鈴鹿店で勤務していた。

 M社の労働時間は、1ヶ月単位の変型労働時間制が採られており、週平均40時間、休日は年間107日となっていたが、堺店の営業時間は21時までであったものの、閉店時刻が遅くなることもあり、レジの打ち間違いやクレーム対応も多く、更に上司と折合いが悪かったことから、Tは平成13年9月30日付けの退職届を作成した(実際は届け出せず)。Tは、鈴鹿店に異動後、2週間は開店セールに取り組み、来客数が通常の2倍になったことから、パートの不慣れもあってクレーム対応も多く、労働時間は平均15〜6時間を超えていた。

 Tは、平成14年7月9日23時頃、実家に「今夜帰る」と電話をし、翌3時30分頃実家に到着し就寝した。Tの母親である原告は、15時30分頃Tの様子を見に行き声をかけたところ、顔が冷たくなっていたので病院に搬送したが、Tは既に死亡していた。直接の死因は虚血性心疾患であった。
 原告は、Tの死亡は業務に起因するものであるとして、被告に対し労災保険法による遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したところ、被告はこれを不支給とする本件決定を行った。原告は本件決定を不服として労災保険審査官に対し審査請求を行ったが棄却され、更に労働保険審査会に対し再審査請求を行ったが、3ヶ月を経過しても裁決がなされなかったため、本訴を提起した。
主文
1 被告が、原告に対し、平成15年7月22日付けでした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料の不支給決定をいずれも取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
判決要旨
1 Tの労働時間

 Tの1ヶ月当たりの時間外労働時間数は、発症前1ヶ月が44時間7分、発症前2ヶ月が66時間31分、発症前3ヶ月が107時間2分、発症前4ヶ月が94時間、発症前5ヶ月が77時間56分、発症前6ヶ月が85時間14分と認められ、堺店勤務時の休日の時間外業務などを勘案すると、実際には上記時間を多少上回っている可能性がある。また、発症前6ヶ月より前についても、被告主張の算出方法でTの時間外労働時間数を算出すると、発症前7ヶ月が83時間10分、発症前8ヶ月が85時間16分、発症前9ヶ月が131時間45分、発症前10ヶ月が85時間46分、発症前11ヶ月が88時間48分、発症前12ヶ月が65時間28分となる。

 上記認定の労働時間について具体的に検討すると、Tの堺店勤務時の終業時刻は概ね22時前後で23時近くなることもあり、月に数日程度ある遅番の日を除いて1日の労働時間は12時間前後にのぼっている。堺店勤務時の通勤時間約1時間を考慮すると、Tは朝8時過ぎには家を出て23時あるいは24時を超えて帰宅するという生活を恒常的に続けていたものといえる。また、鈴鹿店勤務時は、開店準備中は1日当たりの労働時間は9時間45分であるが、開店直後の繁忙期には15時間あるいは16時間を超える労働に従事していた。その後の1日当たりの労働時間は、通し勤務以外の日は10時間程度であり、通し勤務の日は13時間前後にのぼっている。開店直後の繁忙期を過ぎても、鈴鹿店は閉店時刻が遅いため、遅番あるいは通し勤務の日の終業時刻は23時を過ぎることがほとんどであり、24時近くに帰宅する生活であったといえる。

2 業務起因性の有無

 脳・心臓疾患の発症が労災保険法7条1項1号にいう「業務上の疾病」と認められるためには、当該業務と結果との間に条件関係があるだけでは足りず、両者の間に法的にみて労災補償を認めるのを相当とする関係があることが必要である。そして、労災補償制度が業務に内在ないし随伴する危険が現実化した場合に労働者に発生した損失を補償するものであることに鑑みれば、かかる相当因果関係が肯定されるためには、当該発症が業務に内在ないし随伴する危険が現実化したことによるものとみることができるかによって判断するのが相当である。そして、新認定基準の認定要件に該当する場合には、労基規則35条別表第1の2第9号所定の疾病として、労災保険法7条1項1号の「業務上の疾病」に該当すると考えるのが合理的である。

 新認定基準では、発症日を起点とした1ヶ月単位の連続した期間を見て、(1)発症前1ヶ月ないし6ヶ月間にわたって、1ヶ月当たり概ね45時間を超える時間外労働が認められない場合は、業務と発症との関連性が弱いが、概ね45時間を超えて時間外労働時間が長くなるほど、業務と発症との関連性が徐々に強まると評価できること、(2)発症前1ヶ月間に概ね100時間又は発症前2ヶ月間ないし6ヶ月間にわたって、1ヶ月当たり概ね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できるとされている。Tの発症前6ヶ月間の1ヶ月当たりの時間外労働時間数である79時間8分は、「概ね80時間」に当たるというのが相当である。

 上記のTの発症前6ヶ月の労働状況からすれば、発症前1ヶ月の時間外労働時間が45時間に満たない程度であったことを勘案しても、その間に十分な回復の時間的余裕があったとは到底いえず、発症前6ヶ月より前の過重労働の影響が改善されるような状況にはなかったことは明らかである。以上からすれば、本件では、発症前6ヶ月より前の業務についても、これを評価対象から外す合理的な理由はなく、発症前6ヶ月と同様に労働時間を算出し、その評価対象として勘案すべきである。そして、Tは発症前11ヶ月までの間、恒常的に業務と発症との関連性が強いとされる80時間を超える時間外労働が認められ、上記発症前6ヶ月の平均時間外労働時間に、発症前6ヶ月より前の時間外労働時間数を付加的要因として考慮すれば、Tは長期間にわたって著しい疲労をもたらす特に過重な業務に従事していたといえる。

 Tは、売上金の管理やパート等の管理を担当しており、その業務の内容は管理職のような責務はなくとも、精神的負担や労働密度が軽いといった内容ではない。とりわけ、堺店勤務時には顧客からのクレーム対応に苦慮したり、鈴鹿店勤務時には各種のトラブルへの対応に追われていた。そして、Tは堺店勤務時も平成13年9月頃には職務に耐えられないとして退職を考えたこともあるのであり、相当の肉体的・精神的負担を感じていたものと推認できる。以上からすれば、Tの業務は、新認定基準の定める長期間の過重性の認定要件を満たすものと認められ、虚血性心疾患に至る血管病変等を自然的経過を超えて増悪させ、本件発症に至らしめる危険性があったものといえる。

 Tの私的リスクファクターを総合考慮すると、複数のファクターが存在しており、とりわけ高血圧や高脂血症といった基礎的疾患が本件発症に関与した可能性は否定できないものの、その経過や症度からすると、Tの基礎疾患が、その自然的な経過のみで当然に本件発症に至るほどのものであったとは評価できないし、その他のリスクファクターについても突出したものは見当たらないというべきである。そして、Tは本件発症までの長期間にわたって、時間外労働時間数が1ヶ月当たり80時間前後という著しい疲労の蓄積をもたらす特に過重な業務に従事しており、しかも本件発症前2ヶ月間は、初めての1人暮らしの上、鈴鹿店開店に伴う繁忙期が含まれていたから、このような長期間の過重労働は、血管病変等を自然的経過を超えて増悪させ、虚血性心疾患の発症に至らしめる危険性を有するものであるところ、本件発症について他に確たる発症因子があったことは窺われない。そうすると、本件発症は、Tの有していた基礎疾患等が長期間の過重業務の遂行によりその自然の経過を超えて増悪したことにより発症したものとみるのが相当であって、Tの業務の遂行と本件発症との間には、相当因果関係が認められる。 
 以上からすれば、本件疾病は、労基規則別表第1の2第9号に規定する「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当し、労災保険法7条1項1号にいう「業務上の疾病」に当たると認められるから、本件疾病が業務に起因するものではないとした本件決定は違法であり、取り消されるべきである。
適用法規・条文
労働基準法75条、労災保険法7条1項、16条、17条
収録文献(出典)
労働判例925号36頁
その他特記事項