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女性社員暴言差止請求事件

事件の分類
セクシュアル・ハラスメント
事件名
女性社員暴言差止請求事件
事件番号
東京地裁 − 平成11年(ヨ)第21179号
当事者
その他債権者 個人1名

その他債務者 個人3名A、B、C

その他債務者 N商事株式会社
業種
卸売・小売業・飲食店
判決・決定
判決
判決決定年月日
1999年11月12日
判決決定区分
却下
事件の概要
債務者会社(会社)は機械器具などの販売、建物の賃貸、損害保険代理業務などを業とする株式会社であり、債権者は平成4年債務者会社に入社した女性、債務者A、B、Cは、それぞれ、東京支社総務部長、営業第一部長、同部社員である。

 債権者は平成10年4月中旬頃、東京支社総務部から営業第一部に配転の話が出た際に、納得できない旨申し入れたが、Aは聞き入れようとしなかった。同年5月1日、債権者が営業第一部に出社したところ、席もなく、営業に必要な知識を与えず、Cらは債権者に対し「営業なんかできるはずがない」として辞職するよう迫った。同月26日、債権者は社長から業務成績が劣悪という理由で解雇すること、それまでの間自宅待機することを通告された。債権者は同年6月29日会社に呼び出され、退職願を提出するよう執拗に迫られたが、これに応じず、逆に解雇通告を書面にするよう求めた。

 債権者は組合に加入し、会社に団交を申し入れたが、会社は頑なにこれを拒否し、Cは債権者に対し、日常的に「てめえ、ふざけんなよ」、「この野郎ぶっとばすぞ」などと大声を出し、債権者を威嚇したほか、管理者らは備品の管理や交通費の請求など細かな問題で債権者を取り囲んで威嚇したり、始末書を要求するなどの嫌がらせを行った。

 組合が抗議を申し入れた後、債権者に対する誹謗・中傷がひどくなり、債務者らは「社員として不適格」、「ぶっ殺してやる」、「精神異常者、気違い」、「てめえの顔鏡で見てみろ」などの暴言を吐いた。このような暴言、威嚇は、都労委に救済申立をした後は行われなくなったが、債権者に対する嫌がらせは手を変え品を変えて執拗に繰り返された。

 以上のような状況の中で、同年8月10日、Cらしき人物が物陰に隠れながら債権者の方を窺っている様子だったので、債権者が声をかけると、Cは「てめえ、さっさと稼いで来い、ばばあ」などと怒鳴りだし、ビニール傘を債権者の顔に突きだして威嚇し、「くそばばあ、ぶっ殺すぞ」、「このばばあ、死ね、死ね」と怒鳴り続け、会社に向かって歩き出しながら債権者の首を後から掴んで引きずって行こうとした。債権者はこの暴力により息苦しく声も出ない状態となったことから病院に行き、頸部挫傷、頸部捻挫で加療2週間と診断された。

 債権者はCに対し、謝罪と二度と暴力を振るわないことを求めるとともに、会社に対し事実の調査と責任ある対応、債権者の就労の安全の確保を求めた。しかし、債務者らは事実調査といいながら、債権者の言い分は聞き入れず、Cに一方的に同調し、債権者を「被害妄想」などと非難しただけであり、会社はこれ以上のことは何らしなかった。
 債権者は、債務者らの暴言、誹謗中傷、威嚇行為等が債権者の名誉、人格を侵害する違法な行為であること、Cの暴行が債権者の身体の安全を脅かす違法な行為であること、これらの行為は、債権者を営業第一部に配転させて以来会社によって行ってきた債権者に対する退職強要の一環であることは明らかであるとして、人格権又は人格権に基づく差止請求権に基づいて、債務者らによる債権者の名誉若しくは人格の侵害又は暴行についての差止めを求めた。
主文
1 本件申立てをいずれも却下する。
2 申立費用は債権者の負担とする。
判決要旨
最高裁昭和61年6月11日大法廷判決が「人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価である名誉を違法に侵害された者は、損害賠償又は名誉回復のための処分を求めることができるほか、人格権としての名誉権に基づき、加害者に対し、現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めることができるものと解するのが相当である。けだし、名誉は生命、身体とともに極めて重大な保護法益であり、人格権としての名誉権は、物権の場合と同様に排他性を有する権利というべきであるからである」と述べていることからすると、同判決は、生命、身体及び名誉が極めて重大な保護法益であり、これらの人格的利益を内実とする人格権が排他性を有する権利であることに鑑み、人格権についてこれが侵害された場合又は侵害されるおそれがある場合には被害者は加害者に対し侵害行為の差止めを求めることができるものと解しているのであって、生命、身体又は名誉といった人格的利益以外の人格的利益を内実とする人格権についても、その人格権の内実をなす人格的利益が生命、身体及び名誉と同様に極めて重要な保護法益であり、その人格権が排他性を有する権利といえる場合には、その人格権に対する侵害又は侵害のおそれがあることを理由に被害者は加害者に対し侵害行為の差止めを求めることができるものと解される。

 債権者の主張に係る人格権の内実をなす人格的利益として債権者が明示又は黙示に挙げているといい得るのは生命、身体だけであり、その外に債権者の主張に係る人格権の内実をなす人格的利益の内容を具体的に明確にはしていないというべきである。これに対し、債権者の主張の中には、債務者らが債権者に向かって暴言を浴びせ罵倒し若しくは威嚇する(以下「暴言等」)ことによって債権者の名誉、人格が侵害されたというものがあるが、そもそも名誉とは人の品性、徳行、名声、信用などの人格的価値について社会から受ける客観的評価であるところ、人に向かって暴言等することによってその人の自尊心が傷つけられ、名誉感情が害されることはあるとしても、そのことから人に向かって暴言等することがその人の名誉という人格的利益を侵害するものということができないことは明らかである。結局のところ、債権者の主張に係る名誉、人格の侵害とは、要するに、債権者が自尊心を傷つけられたり名誉感情が害されたりするなどして精神的苦痛を被っているという意味であることは明らかであって、債権者が右のような意味での精神的苦痛を被っているからといって、そのことから債権者の名誉、人格が侵害されたということはできない。

 人に向かって暴言等することは、一般にその人に不快感を生じさせ、その内容や態様によっては、単に不快感に留まらず、その人の自尊心を傷つけ、名誉感情を害し、その人に屈辱感、焦燥感、恐怖心などを生じさせてその人が精神的苦痛を被ることもあるが、それだけでは、それによってその人の生命又は身体という人格的利益を侵害したとは認め難い。

 しかし、例えば人に向かって暴言等の行為が、その内容や態様という観点から見て、単に人に不快感を生じさせるに留まらず、その人の自尊心を傷つけ、名誉感情を害し、その人に屈辱感、焦燥感、恐怖心などを生じさせてその人が精神的苦痛を被ることが予想されるほどのものと認められ、かつ、それらの行為が相当多数回にわたり反復継続して繰り返されている場合には、それによってその人がいわば恒常的に精神的苦痛を受け続けて精神的に疲弊するに至り、身体や精神に何らかの障害が発症することも十分考えられるのであって、既にそのような状況に至った場合又はいずれそのような状況に至ることが予想される場合には、人に向かって暴言等するという行為はその人の生命又は身体という人格的利益を侵害するものであることは明らかである。

 人を追尾するなどして監視すること(以下「監視等」)は一般にその人に不快感や不安感を生じさせるが、監視の態様などによっては、単に不快感や不安感に留まらず、焦燥感や恐怖感などを生じさせてその人が精神的苦痛を被ることもあるし、プライバシーを侵害することもあるが、監視等するということだけでは、その人の生命又は身体という人格的利益を侵害するものとは認め難い。しかし、その行為がその態様などの観点から見て、その人に焦燥感や恐怖感などを生じさせて精神的苦痛を被ることが予想されるほどのものであると認められ、かつ、相当多数回にわたり反復継続して繰り返されている場合には、それによってその人が恒常的に精神的苦痛を受け続けて疲弊するに至り、身体や精神に何らかの障害が発症することも十分考えられるのであって、そのような状況に至った場合又はいずれそのような状況に至ることが予想される場合には、監視等するという行為はその人の生命又は身体という人格権を侵害するものであり、又は侵害するおそれがあるものであるということができる。

 以上によれば、暴言等若しくは監視等の行為は、それによってその人が恒常的に精神的苦痛を受け続けて疲弊するに至り、身体や精神に何らかの障害が発症した場合又はいずれ身体や精神に何らかの障害が発症することが予想される場合には、人の生命又は身体という人格的利益を侵害し又は侵害するおそれがあるものということができ、人に暴行を加えるという行為は人の生命又は身体という人格的利益を侵害するものということができる。

 債務者らの侵害行為が行われるに至った経緯の外、債権者の主張に係る債務者らの侵害行為の内容や態様、頻度や回数などに照らせば、仮に債務者らの退職強要が事実と認められ、債務者らの侵害行為が全て事実と認められたりしても、右の債権者の主張に係る債務者らの行為だけでは今後も債務者らの行為が反復継続され、いずれ債権者の身体や精神に何らかの障害が発症することが予想されることを認めるには足りないというべきである。したがって、仮に債務者らが平成11年6月以降債権者に向かって暴言等の行為をし、会社が同月以降同社の社員をして債権者に向かって暴言等し又は同月以降同社の社員その他をして債権者を監視等していたとしても、右の侵害行為が債権者の生命又は身体という人格的利益を侵害するおそれがあるものということはできない。

 以上によれば、債権者は債務者らに対し、債権者に向かっての暴言等の差止めを求めることはできないし、債権者は会社に対し、債務者らその他社員らをして債権者に暴言等し若しくは債権者を取り囲んで威嚇するなどして債権者の名誉、人格を侵害する行為をさせることの差止め及び債務者ら及びその他の者をして債権者の営業活動中に債権者を監視等することの差止めを求めることもできない。

 債権者は債務者Cは債権者を退職させる目的で暴行を加えてきたと主張するが、債務者Cが債権者に暴行を加えたのはいわば偶発的な出来事というべきであって、債務者Cが債権者に暴力を加えることを手段として退職を強要する挙に出たということはできない。そして、債務者Cの暴行がいわば偶発的な出来事であるとすれば、会社が退職強要の目的で今後同社の社員をして債権者に暴行を加えさせることが予想されることも認め難い。
 以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、債権者は債務者Cに対し、暴行を加えるという行為の差止めを求めることはできないし、債権者は会社に対し、同社の社員その他をして債権者に暴行を加えさせるという行為の差止めを求めることもできない。そうすると、本件申立に係る行為の差止め、会社が債務者らその他社員をして債権者に暴行を加えることの差止めは、いずれも認められないというべきである。
適用法規・条文
収録文献(出典)
労働判例781号72頁
その他特記事項