判例データベース
大阪中央労基署長(E工務店)脳梗塞死事件【過労死・疾病】
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 大阪中央労基署長(E工務店)脳梗塞死事件【過労死・疾病】
- 事件番号
- 大阪地裁 − 平成14年(行ウ)第142号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 大阪中央労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2004年07月28日
- 判決決定区分
- 認容(確定)
- 事件の概要
- 被災者(昭和16年生)は、昭和33年に溶接工として働き始め、平成5年9月に土木工事建設設計、ガス配管工事請負等を業とするE社に溶接工として雇用された。
被災者は、平成8年5月22日、作業終了後の午前5時過ぎに帰宅し、午後8時から翌23日午前5時まで夜間作業に従事し、その際鉄粉が目に突き刺さる事故(本件事故)に遭った。翌24日、被災者は休暇を取得して治療を受けたが、目の激痛のため十分な睡眠が取れず、翌25日、痛みを押して出勤したが、午前10時40分頃、溶接作業中に脳梗塞を発症し、同月29日死亡した。
被災者の妻である原告は、被災者の疾病の発症及び死亡は業務に起因するものであるとして、被告に対し、労災保険法に基づき遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したが、被告がこれらを支給しないとの処分(本件処分)をしたことから、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。なお、本事件は別途、E社に対する安全配慮義務違反を理由とした損害賠償請求がなされており、E社に損害賠償の支払いが命じられている。 - 主文
- 1 被告が原告に対して平成12年3月30日付けでした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務起因性の意義
本件死亡が業務に起因するものであるというためには、当該業務と本件死亡との間に相当因果関係が認められることが必要であるが、その前提として両者の間に条件関係が認められなければならない。もちろん、訴訟上の因果関係の立証は、必ずしも一点の疑義も許されない厳密な自然科学的な証明に限られるものではないが、経験則に照らして、当該疾病が業務によって発症した高度の蓋然性があることを、通常人が疑いを差し挟まないほどの真実性の確信を持ち得る程度には立証されなければならないというべきである。
しかも、労災補償制度は、業務に内在又は随伴する危険が現実化した場合に、それによって労働者に発生した損失を補償することを目的とするものであるから、当該疾病と業務との間に法的な因果関係すなわち相当因果関係があるといえるためには、当該疾病が業務に内在する危険が現実化したといえる場合、すなわち、業務が当該疾病の発症の単なる引き金になったというだけでは足りず、業務が他の原因と比較して相対的に発症の有力な原因となったといえる場合でなければならない。
2 業務起因性の有無
心原性脳塞栓の原因として最も多いのは心房細動であること、被災者にも心房細動とそれに由来すると考えられる不整脈が認められることに照らすと、心房細動が本件疾病の原因の一つと認められるが、被災者の心房細動は発作性のものであり、発作性心房細動は脳塞栓症の合併率が慢性のものに比較して低いとされている。
被災者の業務は、ガス管の溶接という作業の性質からして精密さが要求され、失敗が許されないだけでなく、火傷や感電の危険もある点で大きな精神的負荷がかかる作業であるとともに、特に現場作業や夜間作業においては、その作業環境から相当の肉体的負荷も生じさせるものであり、待機時間の存在を考慮しても、その労働密度は決して低くなかったというべきである。
被災者は、本件発症当時本件作業自体には相当程度習熟していたことは容易に推測されるが、その反面54歳に達しており、若年のときに比べて疲労回復度合いも衰えてきていたこともまた容易に推測されるのであって、そのような習熟しているはずの被災者でさえ本件発症前に本件事故に遭っていることからすれば、習熟度だけをことさら取り上げて本件作業の過重性を低いということはできない。また、被災者には平均して1ヶ月当たり5日間の休日ないし雨天中止による作業のない日があったものの、雨天中止の場合は当然のこととして、休日の場合も規則的なものではなかった上、共同作業であったため自らの都合で休暇を取ること自体困難であり、被災者が休暇を取得できる時期は、休暇の数日前にならなければ判明しないことが多かったのである。更に被災者は、自動車通勤の際の渋滞を回避するためだったとはいえ、所定始業時刻よりも1時間以上も前に出勤し、また時間外労働時間が月に概ね40時間程度あり、しかも常時現場までの往復に1時間以上自動車を運転していた上、月当たり平均4回の昼夜連続業務に従事しており、その場合はその間に3時間程度の自由時間はあるものの、拘束時間は極めて長くなっていた。
被災者は、本件発症前に約2年半以上もE社においてこのような業務に従事していたが、そのうち最も精神的・肉体的負荷のかかる本件作業の時間が、平成7年11月までは月平均36時間程度であったが、翌12月には52時間、平成8年1月から4月にかけては1ヶ月当たり43ないし74時間と急増するとともに、同年3月以降は夜間作業が急に増え、中でも本件発症直前1ヶ月は、10回の夜間作業が集中しただけでなく、従前の2倍に当たる8回の連続勤務に就き、被災者の労働時間は242.5時間、時間外労働時間は71.5時間、溶接時間も97時間に達し、同年4月16日後は、同年5月8日に休暇を取るまで連続して21日間勤務し、同月9日以降は連続11日間勤務し、同月21日以降は目の受傷のため同月24日に休暇を取るまで連続して3日間勤務していたものであり、被災者の作業環境や業務の性質、勤務の不規則性等の諸事情を総合すれば、本件発症前6ヶ月以降の被災者の業務は、精神的・肉体的にかなりの負荷となって疲労をもたらしたことは否定し難い。
被告は、被災者の本件発症前1ヶ月間の時間外労働時間が76時間に留まり、認定基準にいう特に著しいと認められる長時間労働(1ヶ月当たり概ね100時間を超える時間外労働)に達していないことを問題にするが、1日5時間程度の睡眠が確保できない状態は、1日8時間を超え、5時間程度の時間外労働を行った場合に相当し、脳・心臓疾患の発症との関連において有意性があるとされており、被災者は労働災害である本件事故の結果、2日間にわたり十分な睡眠を取ることができなかったことからすれば、被災者の業務と本件発症との条件関係を否定することはできないというべきである。本件事故そのものが本件発症の直接の原因となったとはいい難いが、これに起因する被災者の身体的不調は、被災者の基礎疾患(心房細動)をその自然の経過を超えて急激に悪化させる要因となり得るものというべきである。
もっとも、被災者は、飲酒量が適量を超えていた蓋然性が高く、中性脂肪も平成6年3月以降一貫して参考数値を超えていたことからすると、高脂血症であった可能性が高いと考えられる。しかし、被災者の基礎疾患である心房細動は、慢性のものと比較して脳塞栓症の合併率が低い発作性のものであり、被災者の死亡原因である本件疾病は、心原性脳塞栓であって、動脈硬化性脳血栓ではないから、被災者の飲酒や高脂血症であった可能性が高いといっても、それらは本件疾病を発症させる高い危険因子であるとまでいうことはできないし、被災者が高血圧や糖尿病、喫煙、肥満など他の脳梗塞の危険因子を有していたとは認められず、また、本件発症前に被災者の脳・心臓疾患が特段増悪していたことを窺わせる事情は存しない。
しかし、発作性心房細動の誘因としては、他に精神的・肉体的ストレス、睡眠不足が挙げられていることを考慮すると、仮に被災者が被告主張のとおり肥大型心筋症を有していたとしても、被災者のその疾患が、直ちに血液凝固能を正常の30%前後まで低下させなければ自然の経過により本件疾病を発症させるほど増悪していたと認めるに足りないというべきである。そして、被災者の基礎疾患の内容、程度、被災者が本件発症前に従事していた業務の内容、態様、遂行状況に加えて、心房細動の誘因として精神的・肉体的ストレスや睡眠不足が挙げられていることを併せ考慮すると、被災者の基礎疾患(心房細動)が、高脂血症又は飲酒等の危険因子と相まって、本件発症当時、その自然的経過によって直ちに本件疾病を発症させる程度まで増悪していたとすることも困難である。
以上のとおり、本件においては他に確たる発症要因も認められないのであるから、被災者が本件事故前に従事した業務による過重な精神的・身体的負荷や業務上遭遇した本件事故、そして労働災害である本件事故を原因とする極度の睡眠不足により著しい疲労が蓄積したまま本件発症当日の業務に従事したことによって、被災者が有していた基礎疾患(心房細動)が、その自然的経過を超えて著しく増悪し、本件疾病が発症したものと認めるのが相当であり、これは被災者の業務に内在又は随伴する危険が現実化したものというべきであるから、被災者の業務と本件死亡との間に相当因果関係を肯定することができる。 - 適用法規・条文
- 労災保険法16条の2、17条
- 収録文献(出典)
- 労働判例880号75頁
- その他特記事項
- 本件はE社に対する損害賠償請求としても争われた(第1審 大阪地裁平成10年(ワ)5264号 2002年4月15日判決、第2審 大阪高裁平成14年(ネ)1673号 2003年5月19日)
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
---|---|---|
大阪地裁 − 平成10年(ワ)第5264号 | 一部認容・一部棄却 | 2002年04月15日 |
大阪高裁 − 平成14年(ネ)第1673号 | 一部認容・一部棄却(上告) | 2003年05月29日 |
大阪地裁 − 平成14年(行ウ)第142号 | 認容(確定) | 2004年07月28日 |