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札幌東労基署長(H銀行)くも膜下出血死控訴事件【過労死・疾病】

事件の分類
過労死・疾病
事件名
札幌東労基署長(H銀行)くも膜下出血死控訴事件【過労死・疾病】
事件番号
札幌高裁 - 平成18年(行コ)第5号
当事者
控訴人 札幌東労働基準監督署長
被控訴人 個人1名
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2008年02月28日
判決決定区分
控訴棄却(確定)
事件の概要
 T銀行の破綻に伴いH銀行が営業譲渡を受けたことから、従来の勘定系システムをT銀行のシステムに1本化することとし、平成12年5月8日にシステムが統合された。H銀行N支店の営業課長であったMは、本件システム統合に当たって、研修資料やマニュアル等を自宅に持ち帰り、自宅でその習得に努めていた。

H銀行の支店では、本件システム統合により、従前と全く異なるシステムの対応を余儀なくされることとなり、これに対処するため、様々な研修が実施されたほか、通帳の切替え等の業務も加わって、多くの労働者に精神的、肉体的負荷が相当程度かかるようになっていた。

 同月19日、Mが始業時から通常の業務に従事していたところ、午後6時10分頃、Mが支店長のソファの上に、身体に変調を来して座っているのを同僚に発見され、病院に搬送されたが、同月21日、くも膜下出血のため死亡した。

 Mの夫である被控訴人(第1審原告)は、Mの本件発症及び死亡は過重な業務に起因するものであるとして、控訴人(第1審被告)に対し、労災保険法に基づき、療養補償給付、遺族補償給付及び葬祭料の支払いを請求したところ、控訴人はこれを業務外であるとして不支給決定とした。そこで被控訴人はこの決定を不服として審査請求、更に再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件決定の取消を求めて提訴した。
 第1審では、Mの持ち帰り残業を考慮しても新認定基準の要件を満たさないとしながらも、本件発症前3〜6ヶ月間の時間外労働が45時間を超えると推認され、システム統合の中での営業課長としてのMの精神的・身体的負荷の大きさなどを考慮し、業務とMの発症及び死亡との間に相当因果関係を認め、控訴人の不支給処分を取り消したため、控訴人がこれを不服として控訴した。
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
判決要旨
 当裁判所も、被控訴人の本訴請求は理由があると判断する。

 Mの業務は、通常の検印業務に加え、研修及び本件システム統合に際してのシュミレーション等があったことから、同システム統合日まではその業務量が増加していたといえるものの、Mは通帳切替えに関する業務には従事していなかったことを考慮すると、本件システム統合後の同人の業務量は、落ち着いていたということができる。しかし、本件システム統合後も、本部からの事務処理についての指示、営業店からの照会に対する回答、端末機使用に際しての注意事項が営業店に送付され、また顧客からもクレームが少なからず寄せられたことに照らすと、本件システム統合に伴う通帳切替え等の事務処理の遅れ、新システムに不慣れなこと等に伴う様々な問題が生じ、N支店の営業課長であったMはかなりの精神的ストレスが生じていたことは明らかである。

 新認定基準によれば、(1)発症前1ヶ月間ないし6ヶ月間にわたって、1ヶ月当たり概ね45時間を超える時間外労働が認められない場合は業務と発症との関連性が弱いが、概ね45時間を超えて時間外労働時間が長くなるほど、業務と発症との関連性が徐々に強まると評価できるとされ、(2)発症前1ヶ月間に概ね100時間又は発症前2ヶ月ないし6ヶ月

間にわたって、1ヶ月当たり概ね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できるとされているところ、Mの時間外労働は、発症前1ヶ月間で17時間40分、同2ヶ月前の1ヶ月間で21時間10分であるが、同3ヶ月前の1ヶ月間で56時間50分、同4ヶ月前の1ヶ月間で39時間50分、同5ヶ月前の1ヶ月間で50時間25分、同6ヶ月前の1ヶ月間で24時間40分である上、Mは持ち帰り残業として、自宅においてそれなりの時間をかけて時間外労働をしていたものと推認できることをも併せ考慮すると、本件システム統合日である平成12年5月8日までの4ヶ月間にわたり、1ヶ月間当たり概ね45時間を超える時間外労働があったものと推認でき、多い月には80時間を超える時間外労働をしていた可能性も窺えるが、持ち帰り残業の時間をある程度考慮しても、新認定基準の認定要件を充足するとまではできないといわざるを得ない。

 もっとも、新認定基準の認定要件を満たさないからといって、労基規則35条別表第1の2第9号所定の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に当たらないとまで直ちにいえるものではなく、労働時間、勤務形態、作業環境、精神的緊張の状態等に照らして、更に総合的に判断するのが相当である。そして、Mの発症前3ヶ月ないし6ヶ月間は、概ね45時間を超える時間外労働をしていたことが推認できるところである。

 また、Mは、平成11年11月に営業課長に配置換えになったが、通常業務の精神的緊張に加え、全く経験したことがなかった本件システム統合に向けた作業が開始、続行される途中での配置換えであり、Mは必ずしも営業に明るいわけではなく、本件システム統合の実質的な責任者とはいえないものの、営業課長の果たすべき役割は大きかったということができ、しかも、同システムの統合は失敗を許されない極めて重要なプロジェクトであって、統合日の遵守及びその成功は至上命題であったことも考慮すると、本件システム統合日に至るまでの間は、Mは精神的にも強い緊張状態にあったものと推認できる。しかも、本件システム統合自体が無事終了し、業務が比較的落ち着いたものの、本件システム統合に伴う通帳切替え等の事務処理の遅れ、新システムに不慣れなこと等に伴う様々な問題が生じ、Mにはかなりの精神的ストレスが生じていたのであり、更にN支店が統廃合の対象となり、その時期も年内の11月であることが判明したことにより、ある程度予想していたとはいえ、それによる精神的緊張状態も強かったものと推認でき、このような勤務の継続がMにとっての精神的、身体的にかなりの負担となり、慢性的な疲労をもたらしたことは否定し難いところである。このことは、MがH銀行労組女性部の定期大会に参加したものの、体調不良のため途中で退席したり、花火大会行きの娘との約束をキャンセルしたことなどに照らしても明らかである。なお、本件システム統合前の一時期を除けば、休日は確保されており、Mには平成12年1月以降、外食・飲酒の機会、温泉に出掛ける機会、娘のところに遊びに行く機会が少なからずあったことが認められるが、これらはストレス解消、気晴らし等のために行われたとみる余地もあるから、これらの機会があったからといってMが疲労蓄積状態になかったということはできないし、これらの機会もMの精神的緊張の状態を緩和させるのに十分であったとまでは認められない。

 更にMは、その死因となったくも膜下出血の発症の基礎となり得る疾患(脳動脈瘤)を有していたと認められるところ、本件疾病の発症前の勤務状況からすると、動脈瘤が破裂したのは、一過性の血圧上昇によるものである可能性が強いといえる上に、Mは当時56歳の女性で脳動脈瘤発症の好発年齢にあったものではあるが、他方、高血圧等の症状は特段見当たらず、また多量の飲酒、喫煙等の嗜好もなかったのであって、性別、年齢の点を除けば、脳動脈瘤の進行を促進・増悪させるリスクファクターというべきものは格別見当たらない。

 Mは、死亡前3年間の健康診断で、特段の異常は指摘されておらず、基礎疾患の内容、程度、Mが本件発症前に従事していた業務の内容、態様、遂行状況に加え、脳動脈瘤の血管病変は慢性の疲労や過度のストレス状態が発症の原因の一つとなり得るものであることを併せ考慮すると、Mの基礎疾患というべき脳動脈瘤が徐々に形成されていたとはいえ、本件当時、その基礎疾患が確たる発症因子がなくてもその自然の経過によって動脈瘤が破裂寸前にまで進行していたとみることは困難というべきであって、他に確たる増悪要因を見出せない本件においては、Mが本件発症前に従事した業務による過重な精神的、身体的負荷がMの基礎疾患をその自然の経過を超えて脳動脈瘤の増悪を促進させたということができ、Mが本件疾病を発症するに至ったのは、同人が本件システム統合の過程でN支店の営業課長としての業務に従事したことにより、業務に内在する危険が現実化したことによるものと認められ、Mに発症した疾病は「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当し、その業務と本件疾病の発症及び死亡との間には相当因果関係があるというべきである。
 以上によれば、Mの業務と本件疾病との間には相当因果関係が認められ、労基法75条2項、労基規則35条別表1の2第9号に規定する「業務に起因することの明らかな疾病」に当たると認められるから、療養補償給付等を不支給とした本件処分は違法であり、原告の請求は理由がある。
適用法規・条文
労働基準法75条2項、
労災保険法13条、16条の2、17条
収録文献(出典)
労働判例968号136頁
その他特記事項