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名神タクシー運転手脳梗塞事件【過労死・疾病】
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 名神タクシー運転手脳梗塞事件【過労死・疾病】
- 事件番号
- 神戸地裁尼崎支部 - 平成17年(ワ)第944号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 個人1名、株式会社 - 業種
- 運輸・通信業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2008年07月29日
- 判決決定区分
- 一部認容・一部棄却(確定)
- 事件の概要
- 被告会社はタクシー事業等を目的とする株式会社、被告はその代表取締役であり、原告(昭和7年生)は、昭和41年頃からタクシー乗務員として稼働し、平成3年4月から平成16年2月まで被告会社においてタクシー運転業務に従事していた者である。原告は被告会社で雇用された後60歳に達したことから、労働契約を1年単位の嘱託契約に変更し、契約更新を繰り返してタクシー運転業務を継続していた。
平成15年8月頃の原告の1ヶ月当たりの勤務日数は、ほぼ所定勤務日数通りの13乗務程度であり、休日出勤はないか、月に1回程度であったが、その後原告は休日出勤を引き受けるようになり、同年9月度(前月16日から当月15日まで)に5回、10月度に6回、11月度に7回、それぞれ休日勤務をした。これら休日出勤により、原告は2勤務日又は3勤務日にわたり連続してタクシー運転業務に従事することがあった。
原告は、平成16年2月26日、午前7時過ぎ頃出庫し、タクシーを走らせていたところ、午前9時頃右半身麻痺の症状に気付き、道路脇に駐車してから被告会社に無線で走行不能である旨連絡し、A病院に搬送されて脳梗塞の診断を受けた。原告は同日から同年4月2日までA病院に入院して保存的加療及び急性期リハビリテーション治療を受け、同日B病院に転院し、同年7月20日までB病院に入院し、回復期リハビリテーション治療を受けて退院し、平成17年3月31日まで、同病院に合計14回通院して治療を受けた。原告は本件脳梗塞発症及び後遺症により被告会社での稼働を継続することが不可能となり、かつ他の業種における就労も不可能な状況にあることから、被告会社及びその代表取締役である被告に対し、労働契約上の安全配慮義務違反を理由として、連帯して、後遺障害逸失利益1110万円余、後遺障害慰謝料2400万円、介護費用606万円余、弁護士費用420万円など総額4614万7315円を支払うよう請求した。なお、原告は、平成20年4月末日までの間、労働者災害補償保険から休業給付として143万1612円、後遺障害等級2級に該当するとして障害補償年金498万1012円の各給付を受けた。 - 主文
- 1 被告らは、原告に対し、連帯して1158万3112円及びこれに対する平成17年10月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用はこれを4分し、その3を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。
4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。 - 判決要旨
- 1 業務と本件脳梗塞発症との間の相当因果関係の有無
脳梗塞を含む脳血管疾患及び虚血性心疾患は、主に加齢、食生活、生活環境等の日常生活による諸要因や遺伝等の個人に内在する要因(基礎的要因)により生体が受ける通常の負荷により、長年の生活の営みの中で、徐々に動脈硬化等による血管病変又は動脈瘤、心筋変性等(基礎疾患)が形成され、進行・増悪するという自然的経過により発症するものとされるところ、原告は平成16年2月26日に脳梗塞を発症したものであるが、原告について、本件脳梗塞発症につながるような基礎疾患の有無や内容は証拠上明らかではない。しかし、脳梗塞発症につながる基礎疾患は各種の条件により形成、進行を増悪させるものであり、基礎疾患を形成、進行及び増悪させる基礎的要因となり得る各種の条件(リスクファクター)のうち、確率的・統計的に見て重要とされるものとして、年齢、高血圧、飲酒、喫煙、高脂血症、肥満及び糖尿病を挙げられるところ、原告については、上記リスクファクターに当てはまる年齢(当時71歳)、高脂血症、50年間にわたる喫煙の要因の存在を指摘することができる。そうすると、原告については、基礎疾患を形成、進行又は増悪させる3個のリスクファクターが認められるところ、上記リスクファクターは基礎疾患に対するリスクを有意に上昇させるものとされている上、原告が実際に本件脳梗塞を発症するに至っているのであるから、原告はこれらのリスクファクターによって何らかの基礎疾患を有する状態にあり、これが増悪することにより、本件脳梗塞が発症したものと推認される。しかし、上記リスクファクターに基づく通常の負荷による基礎疾患の形成、進行及び増悪という自然経過の過程において、業務による過重な負荷が加わることにより、基礎疾患がその自然経過を超えて著しく増悪し、脳・心臓疾患が発症する場合があることは医学的に広く認知されているところである。そうすると、労働者が基礎疾患を有している場合に、業務に起因する過重な精神的・身体的負荷によって労働者の上記基礎疾患がその自然経過を超えて増悪し、脳・心臓疾患を発症するに至った場合には、上記の業務による過重負荷が脳・心臓疾患発症の共働原因となったものとして、労働者の従事していた業務と脳・心臓疾患との間の相当因果関係を肯定するのが相当である。
(1)原告の本件発症前6ヶ月間の拘束時間は248時間から390時間までの間であること、(2)上記期間における各時間外労働時間数は34時間から170時間までの間であること、(3)上記期間における1ヶ月当たりの平均時間外労働時間は49時間から89時間までの間であること、(4)本件発症前3ヶ月間から6ヶ月間においては、拘束時間数及び時間外労働時間数がいずれも他の期間におけるものより突出して多いこと、(5)上記期間において、原告は公休出勤を繰り返しており、2勤務日又は3勤務日にわたって連続して勤務することもしばしばであったことを指摘することができる。
原告は、本件脳梗塞発症前5ヶ月間及び6ヶ月間の平均値において、80時間を超過する時間外労働に従事していることが認められ、過重なものと評価される。また、本件脳梗塞発症前6ヶ月間の拘束時間数は248時間から390時間までの間であり、発症前4ヶ月目ないし6ヶ月目において本件基準所定の1ヶ月当たり262時間を超過していたものと認められる。本件基準は、一般的な自動車運転者の労働時間について適切と認められる上限を示したものとみることができるから、原告の労働時間が上記基準所定の上限を超過している以上、これを長時間と評価すべきことは明らかである。加えて、被告会社においては原則として1台の営業車に2名の乗務員を配置する交替勤務制を採り、乗務終了後は次の乗務まで24時間以上空けることとしていたことが認められるが、原告は本件脳梗塞発症前6ヶ月目ないし4ヶ月目において、休日出勤を繰り返すことにより、各勤務間に数時間の休憩時間を挟みながら、4暦日にわたり連続して勤務することもしばしばであったことが認められる。
これらの事実に照らすと、原告の従事していた業務は、その労働時間、拘束性、勤務体制のいずれの点をとってみても同種労働者にとって過重なものということができるところ、原告は本件発症当時71歳と高齢であって、原告と同年齢の同種労働者にとって上記業務の過重性は一層顕著なものということができるから、原告の上記業務は、その基礎疾患をその自然経過を超えて著しく増悪させ得るものと客観的に認められる程度に過重なものと認めることができる。よって、原告については、上記過重業務に起因する過重な精神的・身体的負荷が共働原因となって、その基礎疾患がその自然的経過を超えて増悪し、本件脳梗塞を発症するに至ったものとして、原告の従事していた業務と本件脳梗塞発症との相当因果関係を肯定することができる。
2 被告会社の安全配慮義務違反及び被告の職務上の重過失の有無
使用者は、雇用契約上の信義則に基づき、労働者の生命及び身体を危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負っているところ、使用者は被用者に対し業務の遂行に伴い被用者にかかる負荷が著しく過重なものとなって被用者の心身の健康を損なうことがないよう、労働時間、休憩時間及び休日等について適正な労働条件を確保する義務を負っているというべきである。
原告については、被告会社の実施する定期健康診断において高血圧を示唆する所見が連続して得られていた上、原告は本件発症当時71歳と高齢であって、疲労の蓄積により脳・心臓疾患を発症する危険性の高い状況にあり、かつ上記危険性を被告においても十分に認識可能であったことが認められる。そうすると、被告会社としては、原告にかかる負荷が過重なものとなって、上記危険性が現実化することのないよう、原告の公休出勤や時間外労働を制限するなどの方法により、原告について適正な労働条件を確保する義務があったというべきである。にもかかわらず、被告会社は上記の義務を尽くさず、原告を過重労働に従事させ、本件脳梗塞の発症に至らせたのであるから、被告会社に安全配慮義務違反があることは明らかである。また被告は、原告の本件発症当時、被告会社の代表取締役であり、その被用者につき適正な労働条件が確保されるよう管理する職務上の義務を負っていたと認められるところ、原告の被告会社における定期健康診断受診状況及び原告の被告会社に対する労働時間の申告状況等に照らし、被告は原告の健康状態及び労働時間を容易に把握することができたものと認められ、被告は重過失により上記義務を懈怠したものと認められる。
3 損害額
被告会社の安全配慮義務違反及び被告の職務上の重過失と相当因果関係があると認められる損害は、30日間の付添看護費18万円、146日間の入院雑費18万9800円、入通院交通費2万4600円、395日間の休業損害236万7630円、就労可能年数6年に対応する後遺障害逸失利益1110万5323円、後遺障害慰謝料2000万円、将来介護費用606万3380円となる。
原告については、(1)原告は本件発症当時71歳と高齢であったこと、(2)健康診断において、平成13年5月以降継続して高血圧を指摘されながら、平成14年11月に受診したほか受診することなく高血圧を放置し、かつ自己判断で降圧剤の服用を中止していること、(3)50年間にわたる喫煙習慣を有し、かつ適度な運動や健康的な食生活などを心がけた形跡が全く見られないこと、(4)生活習慣が高血圧症を増悪させ、脳・心臓疾患に至る可能性があることを認識することが十分可能であったにもかかわらず、高血圧を指摘された後も生活習慣を全く改めなかったことなど、業務とは無関係に本件発症につながる要因があったことを指摘することができる。
本件脳梗塞は、原告の有していたこれらの要因と、被告会社における過重業務による負荷が共働原因となって発症したものと認められるのであるから、本件脳梗塞発症による原告の損害の全額を被告らに賠償させることは公平の見地から相当ではなく、民法418条及び722条2項を類推適用し、原告に関する上記事情が本件損害の発生に寄与した割合に応じて損害額を減額するのが相当であるところ、本件における原告の業務の過重性の程度や、原告に関する上記事情等に鑑み、上記寄与の割合は6割とするのが相当である。
原告は、労働者災害補償保険に基づく休業補償給付として143万1612円及び障害補償年金として498万1014円を各受給しているところ、これを上記寄与度減額後の原告の消極損害(休業損害及び後遺障害逸失利益並びに遅延損害金)から損益相殺すると、原告が賠償を受けるべき損害額のうち消極損害は0円となる。また弁護士費用は100万円につき相当と認める。 - 適用法規・条文
- 民法415条、418条、709条、722条2項、
商法(改正前)266条の3第1項 - 収録文献(出典)
- 労働判例976号74頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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