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東大阪労基署長(M社)事件【過労死・疾病】

事件の分類
その他
事件名
東大阪労基署長(M社)事件【過労死・疾病】
事件番号
大阪地裁 - 平成17年(行ウ)第123号(甲事件)、大阪地裁 - 平成19年(行ウ)第125号(乙事件)
当事者
原告 個人1名
被告 国
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2008年05月19日
判決決定区分
認容(控訴)
事件の概要
原告(昭和45年生)は、専門学校を卒業後の平成元年4月にM社に縫製の専門工として入社した女性である。原告は、母が死亡したことから、平成6年10月に一旦退職したが、平成7年2月に復職し、ジャケット・ワンピース等婦人服の縫製業務に従事していた。

 M社の所定労働時間は、1年単位の変型労働時間で、1年間を平均して1週間当たり40時間以内、1日7時間40分であり、休日は1週間ごとに1日以上、年間93日以上となるように定められていたが、原告は月間平均60時間を超えるような時間外労働を継続的に行っていた。
 原告は平成11年3月22日午後1時頃、家族と共に母の墓参りに行った帰りの地下鉄車内で、突然崩れるように倒れて病院に搬送され、脳内出血と診断された。その後原告は入院治療を続けたが、右片麻痺の重度の障害が残り、平成11年10月、大阪市から身体障害者等級表1級の認定を受けた。原告は、本件疾病は業務に起因するものであるとして、平成12年10月11日、労働基準監督署長に対し、労災保険法に基づき休業補償給付の請求をしたが、被告は平成13年3月30日、不支給とする処分(本件処分1)をした。原告は本件処分1を不服として審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分1の取消しを求めて本訴を提起した(甲事件)。また、原告は、本件疾病が治癒した後の後遺障害は業務に起因するものであるとして、平成15年4月18日、被告に対し労災保険法に基づき障害補償給付の請求をしたが、被告は同年9月22日、これを不支給とする処分(本件処分2)をした。原告は本件処分2の取消しを求めて審査請求、更に再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分2の取消しを求めて本訴を提起した(乙事件)。
主文
1 東大阪労働基準監督署長が原告に対し、平成13年3月30日付けでした労働者災害補償保険法による休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。

2 東大阪労働基準監督署長が原告に対し、平成15年9月22日付けでした労働者災害補償保険法による障害補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
3 訴訟費用は、被告の負担とする。
判決要旨
1 業務起因性の判断基準

 労災保険法に基づく保険給付は、労働者の「業務上」の疾病等について行われるが(7条1項1号)、労働者が業務上疾病に罹患したといえるためには、業務と当該疾病との間に相当因果関係があることが必要である。また、労働者災害補償制度は、業務に内在ないし随伴する各種の危険が現実化して労働者に疾病等をもたらした場合には使用者等に過失がなくとも、その危険を負担して損失の填補の責任を負わせるべきであるとする危険責任の法理に基づくものである。かかる制度の趣旨に照らすと、業務と疾病等との間の相当因果関係の有無は、経験則、科学的知見に照らし、その疾病等が当該業務に内在又は随伴する危険の現実化したものと評価し得るか否かによって決せられるべきである。

 ところで、本件疾病(脳内出血)は、左レンズ核線状体動脈外側枝の破綻による被核出血であり、原告に先天的な脳動静脈奇形が発見されていないこと及び本件疾病症後の加圧観察の結果、原告は以前から高血圧症であったと認められることからして、持続する高血圧に伴う脳動脈の血管壊死が血管病変となって発症した高血圧性脳出血であると考えられる。

 本件疾病における業務起因性の成否については、原告が従事した業務が、血管病変等をその自然経過を超えて著しく増悪させ、発症に至らせるほどの過重負荷になるものであったか否かという観点から判断するのが相当である。また、疲労は、恒常的な長時間労働等の負荷が長期間にわたって作用することにより蓄積するが、逆にこの負荷要因が消退した場合には、疲労も回復するものであることから、発症時における疲労の蓄積度合の評価に当たっては、発症前の一定期間の就労状態等を考慮し、判断することが妥当である。

2 業務上の負荷の有無及び程度

 本件疾病発症前1ヶ月間ないし6ヶ月間の1ヶ月当たりの平均時間外労働時間を計算すると、発症前1ヶ月間69時間58分、2ヶ月間78時間43分、3ヶ月間32時間36分、4ヶ月間80時間50分、5ヶ月間65時間43分、6ヶ月間63時間34分となる。そして、原告は職場に復帰してから1、2ヶ月ほど残業が免除されていた期間があるものの、その後は本件疾病発症までの約4年間にわたり、上記と同程度の時間外労働に従事していたことが認められる。また、本件会社では、就業規則上、有給休暇の規定はあったものの、これを取得することは困難であり、休めば欠勤控除される扱いであったため、原告は体調不良を押して出勤することもあったことが認められる。

 本件疾病の発症前日は休日で、発症前1週間、原告が特に過重な業務に従事したとはいえない。しかし、原告は、本件疾病の発症に至るまでの半年間にわたり、1ヶ月当たりの時間外労働時間が平均60時間を超え、最長で80時間50分に及び、2ヶ月間ないし6ヶ月間にわたる1ヶ月当たりの平均時間外労働の最長が74時間20分に及ぶ長時間労働に従事していたこと、しかも、そのような長時間労働は服飾後約4年間にわたり継続していたものと窺われる。また、原告が主に担当していた作業は、縫製の仕上げ段階に位置し、微妙な調整や慎重さを求められるものであったこと、とりわけ本件疾病発症前1週間に担当していた袖付けは、通常は特定の人が専門に行っているような神経を使う作業であり、難度の高いものであって、同業務について10年の経験を有する原告にとっても容易なものとはいえなかったこと、加えて、納期の遵守が厳命されており、班ごとに達成目標が定められていたから、作業にはスピードも要求され、自らが手すきとなれば他の工程を手伝い、また目標枚数とは別に翌日の作業用の準備も必要であるなど、手待時間はほとんどなく、納期に追われる中での原告の作業量は多く、この点でも労働密度は高かったこと、更に、通常の業務とは別に納期の迫った予定外の仕事が入ることもしばしばであったことが認められる。このように原告が本件疾病発症前に従事していた業務は、量的にも質的にも過重なものであったということができる。

3 業務以外の負荷の有無・程度

 原告は、出勤前の2時間ほどと帰宅後の2時間ほどを家事で費やしており、原告が就寝するのは早くても午前0時、遅いと深夜1時を過ぎることもあった。原告は、業務の他に、自身を含めて3人分(父、弟)の家事をほぼ1人で担っていたこと、家事に費やす時間は4時間と少なくない上、原告はこれを亡くなった母と同程度にきちんとこなそうと努めていたことが認められ、家事労働による負担は小さくなかったということができる。しかし、原告が明らかに過大な家事を行っていたとか、不必要なまでの完璧さを自ら求め、あるいは家人に求められていたといった事情は窺えないから、原告が行っていた家事は、日常生活を快適に送るために必要な限度に留まるものということができる。したがって、これを趣味や娯楽のように自らの裁量で負荷の軽減を図ることができるものと同視することは相当でない。

4 リスクファクターの有無・程度

 原告は、高血圧、肥満及び糖尿病という血管病変の進行を促進・増悪させるリスクファクターを基礎的要因として有していたとはいえ、29歳という若さ故に、リスクファクターによる暴露時間は短く、抵抗力、修復力及び再生力を十分に備えており、これによってリスクファクターによる影響は減殺されていたことが推認されるのであって、上記リスクファクターが基礎的要因として存在するとしても、その自然経過のみをもって、本件疾病を発症したと考えることは困難である。また原告に先天的な脳動静脈奇形は発見されていない。そうすると、原告の本件疾病の発症については、上記リスクファクター以外に、自然経過を超えて血管病変等を著しく増悪させた理由の存在を認めるべきである。

5 本件疾病の業務起因性

 原告は、恒常的な長時間労働に従事しながら、高い労働密度の中で神経を使う業務に従事しており、原告にかかった業務上の負荷は量的にも質的にも過重なものであったということができる。他方、原告は家事労働も担っており、その負荷もまた小さくなかったということができるが、原告の行っていた家事労働は、日常生活に必要な限度を超えるものではなかったというべきであり、これによる負荷の回避や軽減を原告に求めることは相当ではない。また、原告が業務に費やした時間の内容と比較してみれば、家事労働による負荷が業務上のそれより大きいものであったとは解されない。そして、原告が当時29歳という若年であったことからすれば、高血圧、肥満及び糖尿病というリスクファクターの存在のみで、自然経過として血管病変を悪化させたとは考えにくい。
 そうすると、本件疾病は、業務上の過重な負荷が有力な原因となって、血管病変をその自然経過を超えて著しく増悪させた結果、発症したものと考えるのが相当である。したがって、原告の業務と本件疾病の発症との間には相当因果関係があるということができる。よって、本件疾病の業務起因性を否定して休業補償給付を不支給とした本件処分(1)及び(2)の取消しを求めた原告の請求はいずれも理由がある。
適用法規・条文
労災保険法7条1項、14条、15条
収録文献(出典)
労働判例968号170頁
その他特記事項
本件は控訴された。