判例データベース
亀戸労基署長(C梱包工業)脳梗塞事件【過労死・疾病】
- 事件の分類
- その他
- 事件名
- 亀戸労基署長(C梱包工業)脳梗塞事件【過労死・疾病】
- 事件番号
- 東京地裁 - 平成18年(行ウ)第539号
- 当事者
- 原告個人1名
被告国 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2008年05月19日
- 判決決定区分
- 棄却(控訴)
- 事件の概要
- D(昭和21年生)は、大学卒業後の昭和45年5月にY運輸に入社したが、岡山在勤中の平成3年1月、定期健康診断で不整脈を指摘され、その後病院で心房細動と診断されて以降も時々心房細動を起こし、平成4年2月まで投薬治療を受けた。平成4年2月、DはY運輸の子会社である本件会社に在籍出向して東京に転勤し、管理本部管理部課長として、職員の採用試験、面接、教育、人事評価などの業務に従事した。平成5年6月には、Dの直属上司として管理部長Eが着任し、その頃Dは自宅を新築し、本件会社の社屋も建て替えのため、仮社屋に移転した。
Dは、東京転勤後しばらく不整脈の診察を受け、平成5年9月には心電図検査で心房細動を認め、平成6年1月の定期健康診断において、血圧は正常値であったが、僅かな洞性徐脈(心拍数が50/分以下になる徐脈性不整脈)が認められた。Dは、岡山在勤中は喫煙を止めていたが、本件会社へ出向後再び喫煙するようになり、本件疾病発症直前には1日15本ほど喫煙していたほか、E部長赴任後には焼酎のウーロン茶割1〜2杯を毎日飲むようになった。
Dの日記には、E部長との人間関係を巡る記載が頻繁に認められ、その記載内容に照らせば、E部長の執拗な叱責が平成5年から続いており、DもE部長からの評価が低いことを苦にし、E部長と気が合うことは期待していなかった。一方、E部長自身は、Dに対し、管理部の仕事が不得手であり、仕事が遅く期日までにできないことがあったと評価しており、大学の後輩であり、同じY運輸出身ということもあって、厳しく指導してきたことを自認していた。
Dは、平成6年4月29日の新入生歓迎会で気分が悪くなり、横になっていたところ、出血性脳梗塞(本件疾病)を発症し、救急車で病院に搬送されて手術を受けたが、右半身麻痺と重度の失語症という後遺症が残った。
Dは、本件疾病は過重な業務に起因するものであるとして、労働基準監督署長に対し、労災保険法に基づき休業補償給付の支給を請求したところ、同署長はこれを支給しない旨の処分(本件処分)をした。Dは本件処分を不服として、審査請求、再審査請求をしたが、いずれも棄却されたため、Dの死亡後その地位を承継した妻の原告が本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。 - 判決要旨
- Dは、本件会社へ出向する以前の岡山在勤中に初めて心房細動を発症し、その後も度々発作性心房細動を起こし、投薬治療を受け、本件会社への出向に伴う東京への転勤後も、断続的に治療を受け続けていたことが認められる。そして、平成3年10月29日の心電図は心房内伝導時間の遷延を示しており、Dは当時既にいつでも心房細動を生じやすい状態にあったものと考えられる。この事実によれば、Dは、本件会社に出向してからも、度々の全身疲労感と動悸を訴え、心電図検査で心房細動が指摘されていることが認められる反面、心房細動治療のための投薬等の措置が行われたと認めるに足りる証拠もないことからすると、Dは本件会社出向後、たびたび発作性心房細動を起こしては、自然に洞調律に戻ることを繰り返していたと認めることができる。以上の各事実に医学的知見を併せて検討すると、Dが岡山在勤中以来、長年にわたり度々発作性心房細動を起こしていたことによって、心房リモデリングを更に進行させ、本件疾病発症当時は、岡山在勤中よりもより一層、電気的に心房細動を起こしやすい器質となっていたと認めるのが相当である。他方、心房細動の誘因としては、飲酒、喫煙、ストレス、睡眠不足等が挙げられるところ、Dはこのうち、少なくとも飲酒、喫煙の習慣があったことが認められ、これが本件疾病発症の原因となった心房細動を発症した可能性があることは否定し得ない。
原告は、持続性心房細動は事前経過で発生したものではなく、業務上の負荷、特に平成6年4月18〜19日の徹夜作業に伴うストレスを誘因として発生したものであり、本件疾病の発症には業務起因性が認められる旨主張する。確かに、業務によるストレスを誘因として、持続性であれ、発作性であれ、心房細動を引き起こすという機序の存在は認められるし、本件においてもストレスを誘因としてDの心房細動が発生し、かつフィブリン血栓が形成され、これによって本件疾病の発症に至った可能性を完全に否定することはできない。しかしながら、他方で、Dが岡山在勤中から繰り返し心房細動を起こしたことにより、心房リモデリングが進行し、Dが特に誘因がなくても心房細動を起こし得る状態にあった可能性も否定し得ない。また、仮に何らかの誘因からDの心房細動が発生したとしても、Dの飲酒及び喫煙の習慣が心房細動の誘因となった可能性も否定し得ない。
以上によれば、本件疾病発症の原因としては、複数の要因が考えられるのであり、ことさらストレスだけを取り上げて、それを本件疾病の発症の原因とするだけの根拠も、心房リモデリングにより特に誘因はなく、又はDの飲酒又は喫煙の習慣が誘因となって心房細動が発生し、それに伴うフィブリン血栓形成により本件疾病の発症に至った可能性を否定する根拠も、業務に起因するストレスがそれらの可能性を有意に上回る可能性があることを裏付ける的確な証拠は、結局見出し難いのである。
以上のとおり、結局、原告主張の機序により本件疾病を発症した蓋然性が高いとは認めることができず、本件疾病と業務との間の相当因果関係の立証は尽くされていないというべきである。
原告は、岡山在勤中に既に業務上のストレスにより発症していた心房細動が、本件会社出向後の業務上の負荷、すなわち、(1)E部長からのいじめともいえる異常な指導、教育、叱責、(2)長時間の通勤、(3)不馴れな勤務内容、(4)本件疾病発症直前の仮社屋への移転、徹夜勤務等により、本件疾病発症前日には持続性心房細動に増悪しており、これに(5)本件疾病発症日の外回りの業務と歓迎会での司会による負荷が加わって、本件疾病を発症させたと主張する。しかし、そもそも、どの程度過重な業務上のストレスが存在すれば心房細動を発生させる誘因となり得るのかを明らかにする医学的知見は見当たらないのであり、本件においては、Dの業務上のストレスの大きさが本件疾病発症の原因となった心房細動の誘因となったと認めること自体が困難である。
Dの日記の記載から、E部長のDに対する叱責は平成5年から続いており、しかもかなり執拗であったし、DがE部長からの評価が低いことを苦にしていたこと、E部長も、大学の後輩でありY運輸の出身者であることからDに対して厳しくしていたことを自覚していたことは認められる。しかし、その一方で、Dの日記の記載には、E部長の言動には暴力的ないしは名誉毀損的な範囲のものは認められないばかりか、E部長との人間関係から来るストレスも受容しようとしていたこと等を窺わせる記載があることから、E部長との人間関係による精神的負荷がDにとって過大なものであったとまで認めることは困難である。また、およそ企業等の組織における業務に従事するに当たっては、上司から必ずしも良好な評価を受けられず、それ故に厳しい業務上の指導を受けることは避け難いことであり、これを危険の現実化と評価することは困難であるし、E部長の叱責が、上司の業務上の指導として、通常想定される範囲を超えるような常軌を逸した言動が行われたことを窺わせる根拠は見出せない。
通勤が労働者の身体や精神にもたらす負荷は、特に首都圏においては少なからぬものがあることは認められるが、通勤時間の利用方法は自由であり、何ら雇用主からの拘束を受けるものではない上、通勤による負荷は多分に労働者の自由意思による住居選択によって左右されることに照らすと、通勤時間を労働時間に含めるという考え方は採用することができない。
平成6年4月18〜19日の間、Dが徹夜勤務したことは認められるものの、引き続いて長時間勤務や休日勤務を強いられた事実は認められず、本件疾病発症日までに疲労を解消するだけの休息は取れていたと認めることができる。原告が主張する本件疾病発症日に外回りの業務をしていたとの事実は認め難く、歓迎会での司会による負荷を業務上のものとは認め難いから、これらの原告の主張は採用できない。
以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、本件疾病の発症がDの業務に起因するものと認めることはできないから、原告に対し休業補償給付をしないこととした本件処分に違法はない。 - 適用法規・条文
- 労災保険法14条
- 収録文献(出典)
- 労働経済判例速報2022号26頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
---|---|---|
東京地裁 - 平成18年(行ウ)第539号 | 棄却(控訴) | 2008年5月19日 |
東京高裁 − 平成20年(行コ)第244号 | 原判決取消(控訴認容) | 2008年11月12日 |