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飯田橋労基署長(D社)脳出血死事件【過労死・疾病】
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 飯田橋労基署長(D社)脳出血死事件【過労死・疾病】
- 事件番号
- 東京地裁 − 昭和58年(行ウ)第153号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 飯田橋労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1987年12月22日
- 判決決定区分
- 棄却(控訴)
- 事件の概要
- T(大正8年生)は、昭和43年1月D社に印刷工として採用され、昭和48年11月に定年により一旦退職した後、昭和50年1月まで嘱託として従前通り印刷工の職務に従事し、その後ロッカー室の管理人として就労していた。
Tは印刷工として稼働していた間、夜勤を含む交代制勤務に従事しており、ロッカー室の管理人になってからの勤務は、午前8時からの24時間勤務を2名の者が交替で1名ずつ隔日に行うものであった。ロッカー室の管理業務の内容は、ロッカー室内の監視、点検、予備鍵の管理、施錠の確認、室内の清掃が主たるものであり、出退勤のピークの時間帯を除くと、比較的自由にしていることができる時間が多かった。
昭和49年9月以降、企業爆破を警戒するようになり、昭和52年2月5日にはD社に爆破予告電話がかけられたことから、ロッカー室の施錠の確認が厳重に行われるようになったほか、Tらもパトロールをするようになった。
Tは、昭和51年12月頃から口数が少なくなり、顔色が次第に青黒くなってむくみがあり、しばしば疲労感や不眠を訴えたり、夜中にうなされることも多く、昭和52年2月12日の朝、帰宅後は一日中横になっており、翌13日朝は食事もとらず出勤し、翌14日の午前5時頃洗面所で倒れていた。Tの心臓は動いていたものの、意識はなく、同日午前6時5分に死亡と診断された。
Tの妻である原告は、Tの死亡は業務に起因するものであるとして、昭和53年4月14日、被告に対し、労災保険法に基づく遺族補償給付の支給を請求したところ、被告は同年10月20日付けで不支給決定処分(本件処分)をした。そこで原告は、本件処分を不服として審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。 - 判決要旨
- 労災保険法の保険給付は、労働者の業務上の事由又は通勤による負傷、疾病、障害又は死亡に対して行われるのであるが(1条、2条の2、7条)、このうち業務上の死亡に対して保険給付がされるためには、労基法79条、80条に規定する災害補償の事由の存在、すなわちその死亡が業務に起因する(業務起因性)と認められることが必要である。そしてこの業務起因性が認められるためには、単に死亡結果が業務の遂行中に生じたとか、あるいは死亡と業務との間に条件的因果関係があるというだけでは足らず、これらの間にいわゆる相当因果関係が存することが認められなければならないものというべきである。
血圧測定の結果の推移に照らして、Tは採用直後から高血圧症に罹患していたものであり、しかもこれが次第に悪化しつつある状態にあったことが認められる。ところで、高血圧症に罹患している者が脳出血により死亡した場合、その死亡について業務起因性を認めるためには、業務の遂行が死という結果を引き起こす程度に著しくその者の高血圧症を増悪させたこと、いいかえると、業務に起因する過度の精神的・肉体的負担が、他の要因及び病状の自然的進行以上に、その者の既に有する高血圧症という基礎疾病を急速に増悪させ、その結果、脳出血の発症を著しく早めたものであること、すなわち業務の遂行が死に対して相対的に有力な原因となっていたことが認められなければならないものというべきである。
この点に関して、被告は、業務起因性の判断基準として、発生状況が時間的場所的に明確にされ得る異常な出来事や、特定の時間内の特に過重な業務への就労というような災害又はそれに相当するような事態(災害的事実)の存在が必要であると主張する。確かに、災害的事実の存在が認められるならば、業務起因性の判断は容易になると考えられるが、そのような災害的事実が存在しない場合であっても、業務の起因と死亡との間に相当因果関係を認めるべき場合があることは当然であって、この点の被告の主張は採用しない。
原告は、Tの死は高血圧症の基礎疾患と業務の遂行とが共働原因となったものと主張し、交替制勤務が人間固有の生理的リズムに逆行し、Tの高血圧症の悪化は印刷工時代に交替制勤務に従事したためであり、ロッカー室管理人になってからの休日なしの24時間勤務の労働基準法違反が高血圧症を一層増悪させたと主張する。確かに、一般論としては、交替制勤務がこれに従事する者に健康上の悪影響を与える蓋然性の高いことが認められ、Tの血圧測定結果は入社時以降次第に悪化しているが、印刷工時代の交替制勤務がTの高血圧症に与えた影響を認定することは困難であり、Tは肥満、高齢、糖尿病、飲酒習慣等の脳出血発症の原因となる他の要因も存在していたから、印刷工時代の交替制勤務自体が後に脳出血発症をもたらす程度に著しく高血圧症を増悪させたとは認めることはできない。
Tのロッカー室勤務が24時間隔日勤務であって休日がないこと、深夜業務を含み拘束時間が長いこと及び人間の生理的リズムとの関係などから、通常の昼間勤務と比較して一般的には疲労度は高いと認められるが、ロッカー室における業務は肉体的に負担となる労働は清掃以外になく、手待ち時間の比較的多いものであったのであり、比較的軽い労働であったというべきである。したがって、拘束時間が長いからといって、業務の内容、強度に照らし、疲労を蓄積させ、高血圧症を著しく悪化させるものであったとは認めることができない。
ところで、Tの業務は、労基法41条3号にいう「断続的労働」に該当すると認められ、D社が労働基準監督署の許可を受ける限り、労働時間、休日に関する規定の適用はないが、D社は同号の許可を受けていなかった。したがって、Tの勤務条件に関する限り、違法であるといわなければならないが、違法行為があったからといって、直ちにTの死亡に業務起因性が認められるわけではなく、Tの勤務形態、業務内容に照らすと、休日制度の有無がTの死と業務との間の相当因果関係の有無につき決定的な影響を与えるものとは未だ認めることはできない。
原告は、D社は健康診断の結果労働者の健康を保持するため必要と認めるときは、その労働条件について適切な措置を講ずる義務があるのにこれを怠り、その結果Tを死に至らしめたと主張するが、Tが血圧測定の結果要注意と判定されながら治療を受けなかったこと、昭和51年11月の健康診断を受診しなかったこと等からすると、D社が安全保護義務に反するということはできない。また原告は、ロッカー室の管理人として爆破事件に関する特別警戒による精神的緊張及び寒波の中での夜間の見回り等がTの高血圧症を一層悪化させ、死亡に至らしめたと主張するが、爆破に対する警戒態勢は、Tがロッカー室の管理人となった時既に実施されており、Tが常時強い精神的緊張を持続させていたとは考えられず、これがその高血圧を著しく悪化させるものであったとは認めることができない。
Tには高血圧症という基礎疾病のほか脳出血発症の原因となる他の要因の存在も認められ、これは決して無視できるものでないと考えられるのみならず、Tの高血圧症の症状の推移、特に昭和51年暮頃からの状況などを併せ考慮すると、Tの業務の同人の高血圧症に対する影響は、未だ他の要因及び病状の自然的進行より以上に、同人の高血圧症を急速に増悪させて脳出血の発症を著しく早め、よって同人に死をもたらす程度のものであったと認めることができないものといわざるを得ない。結局、Tの脳出血に対して業務の遂行が相対的に有力な原因となっていたことは認めることはできない。
以上によれば、Tの死亡と業務との間に相当因果関係が存在すると認めることができないから、同人の死亡に業務起因性がないとしてされた被告の本件処分に違法はない。 - 適用法規・条文
- 労働基準法41条、79条、80条、
労災保険法1条、2条の2、7条、16条の2、17条 - 収録文献(出典)
- 労働判例510号17頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
---|---|---|
東京地裁 − 昭和58年(行ウ)第153号 | 棄却(控訴) | 1987年12月22日 |
東京高裁 − 昭和62年(行コ)第111号 | 原判決取消(控訴認容) | 1991年05月27日 |