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山形労基署長(Y交通バス運転士)動脈瘤破裂死事件【過労死・疾病】

事件の分類
過労死・疾病
事件名
山形労基署長(Y交通バス運転士)動脈瘤破裂死事件【過労死・疾病】
事件番号
山形地裁 − 昭和63年(行ウ)第1号
当事者
原告 個人1名
被告 山形労働基準監督署長
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1995年05月30日
判決決定区分
認容(控訴)
事件の概要
 G(昭和14年生)は、昭和36年7月にY交通に入社し、定期路線バスと貸切バスの運転業務に従事し、昭和56年4月に運転士班長に任命された。班長は、営業係長・運行主任の指示の下に、月1回以上班会議を開き、会社班長会議に出席する等の任務を負っており、月1回の班長会議は勤務時間に入っていなかった。

 Y交通は、昭和56年度に創業以来の赤字を計上し、関連会社において健康寝具の販売活動キャンぺーンが行われ、班長は勤務時間外において販売活動を強いられたほか、ファミリー旅行の募集活動が行われたところ、Gの所属する山形営業所が最下位となったことから、成績向上の要請があった。

 Gの昭和57年7月から昭和58年6月までの拘束時間、労働時間の月平均は、それぞれ251.2時間、174.5時間であり、同僚2人よりも上回っていた。また、昭和58年1月から6月までの1ヶ月平均労働時間は、2人の同僚に比べて、実労働日が0.4ないし0.9日、休日労働が0.1ないし0.3日、労働時間が6.6ないし10.8時間多く、公休が0.3ないし0.8日少なくなっていた。同年4月及び5月の残業時間が各20時間を超えているのはGを含め8人であり、残業時間の合計はGは2番目の59.5時間であった。

 Gは、同年6月27日から災害当日(7月3日)まで7日間連続して勤務し、そのうち4日間は午前5時から午前7時までの間に出社し、帰宅は毎日午後9時から10時過ぎだった。災害当日は日曜日であり、Gにとって休日の予定であったが、Gはその前日に勤務を命じられ、初めて通過する予定の道路を地図で確認し、災害当日午前3時半から4時頃に起床した。Gが運転したバスは定期バスの流用で、ハンドルが切りにくい、馬力も弱いという車であった。Gは途中、女性2名が死亡する交通事故に遭遇し、曲がりくねって道幅も狭い道路を通って、午前8時40分頃、乗客の集合場所に到着した。Gは午前9時頃出発し、午前11時40分頃、定義温泉に到着し、客を降車させた後バスの後進作業に入ったところ、運転席で目を開けたまま、肩で息をつき、意識がない状態だったため、救急車で病院に搬送されたが、翌4日午前零時過ぎに心筋梗塞により死亡した。
 Gの妻である原告は、Gの死亡は業務に起因するものであるとして、昭和58年8月4日、労災保険法に基づき被告に対し遺族補償給付の支給を請求したところ、被告は同年11月7日、労災給付を支給しない旨決定(本件処分)した。原告は本件処分を不服として審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
主文
1 被告が昭和58年11月7日付けで原告に対してなした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
判決要旨
 労災給付の要件である業務上の疾病があるといえるためには、当該業務と疾病の発症との間に相当因果関係があることが必要である。労働者があらかじめ有していた基礎疾病が原因となって当該疾病が発症した場合であっても、当該業務の遂行が当該労働者にとって精神的、肉体的に過重負荷となり、右基礎疾病をその自然的経過を超えて著しく増悪させて死亡時期を早める等、それが基礎疾病と共働原因となって死の結果を招いたと認められる場合には、特段の事情がない限り、相当因果関係が肯定されると解するのが相当である。

 一般論として、道路において車両を運転する運転手が相応の緊張を強いられることは経験則上容易に認められるところであり、大型車両に多数の乗客を乗せて運転するバス運転手の場合、多数の乗客の生命身体の安全に配慮しながら大型車両を操縦し、また定期路線を時間通りに走行したり、目的地に時間通り到着したりするといった時間遵守の配慮も要求されるから、それに応じて精神的緊張も高まるということができる。バスの運転に伴うこのような精神的緊張は、Gに限らず他の同僚運転士についても当然に生じるはずであるが、本件については更に次のような点を指摘することができる。

 第一に、Gは災害前日、翌日の貸切バス運転業務を命じられ、予定していた休日を返上して不案内な土地を走行することになったという点である。第二に。Gは災害当日早朝から勤務に就いたが、睡眠時間は4時間ないし5時間であり、疲労回復には不十分であったという点である。Gは災害当日まで7日間連続の勤務であったことも考慮すれば、災害当日の時点で相当程度の疲労が蓄積していたと推認することができる。第三に、Gは途中、交通事故現場を見たという点である。右事故は2人の女性が即死するという悲惨なものであったが、当時事故現場でGがどのような状況を目撃したかは不明であり、死体を見たという認定もできないが、かなりのショックを受けた可能性は否定できない。第四に、Gは交通事故によって足止めされ、到着時刻を気にしたと思われる点であり、真面目な性格のGにとって相当のストレスになったものと考えられる。第五に、災害当日は、定期バス用の車両が貸切バスとして利用されたという点である。Gの性格からすれば乗客に申し訳ないという気持ちで乗客に気を遣ったことも十分考えられ、またこのバス自体の性能が悪く、油漏れ、水漏れ、ブレーキの効き具合なども気に掛かっていたと推測される。第六に、災害当日の気温が7月にしては低く、半袖シャツでは寒さを感じたと思われる点である。

 昭和58年6月28日以降災害前日までのGの走行距離は、30日を除き100kmを超え、特に災害前日は168kmとなっており、この走行距離は勤務協定の範囲内であり、著しく過大なものではないと思われるが、Gの本件発症前の睡眠時間は比較的短く、災害当日も4時間から5時間程度の睡眠時間で勤務に出たことからすれば、本件発症前1週間の勤務による疲労は、災害当日においても残っていたと考えるのが相当である。

 Gは、班長としても熱心に活動しており、具体的な数値等の形で表面に現れない班長業務の精神的負担も決して軽視できないものというべきである。すなわち、Gは班同士の競争の下、班の業績を上げ、また自ら率先して販売活動をしなければならない状況にあり、更に職務の性質上、会社と班員との間で板挟み的な苦しい立場に立つことも多かったと考えられる。
 以上によれば、Gの災害前日までの労働状況が他の運転士と比較して著しく過重であったとは必ずしも断定できないが、発症前1週間の勤務状況や班長業務の遂行状況からみて、Gが災害当日に相当程度の疲労を残していたといえること、災害前日から当日にかけて、休日の返上、地図等による初めて通過する予定の道路の確認、睡眠不足、事故現場の目撃、運転しにくいバスの運転といった様々な精神的負担が重なったこと、災害当日は、右のようなバスで高速道路や細くカーブした不案内な道を進んで行くという負担が本件発症の地である定義温泉まで続いていたことが認められる。したがって、Gには、バス運転の業務に従事する運転士が通常負担していると考えられる精神的荷重に加え、災害当日の業務遂行中に生じた様々な特有の精神的負担が重なり、更に災害当日までの業務によって生じ、未だ回復されていない疲労も相まって、Gは災害当日発症時まで相当程度の精神的負担ないしストレスの下にあったと推測できる。このような状況においてGの血圧が上昇し、それが持続して、Gがもともと有していた高血圧症が悪化し、バルサルバ洞動脈瘤の更なる膨張を促して、やがてはその破裂によってGを死亡するに至らしめたというべきであるから、Gの死亡については業務起因性があり、その死亡は業務と相当因果関係があるものと認めるのが相当である。よって、Gの死亡を業務上の死亡と認めなかった本件処分は違法であり、その取消しを求める原告の請求は理由がある。
適用法規・条文
労災保険法12条の8、16条の2、17条
収録文献(出典)
労働判例682号76頁
その他特記事項
本件は控訴された。