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水戸労基署長(I新聞社編集者)脳出血死事件【過労死・疾病】

事件の分類
過労死・疾病
事件名
水戸労基署長(I新聞社編集者)脳出血死事件【過労死・疾病】
事件番号
水戸地裁 − 平成7年(行ウ)第4号
当事者
原告 個人1名
被告 水戸労働基準監督署長
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1999年03月24日
判決決定区分
認容(控訴)
事件の概要
 T(昭和24年生)は、昭和49年に大学を中退後、昭和55年5月からI新聞社に嘱託として採用され、昭和57年に正社員に採用されて、出版センターの編集者として業務に従事していた。

 Tは、出版物等の企画立案から計画作成、進行管理、アルバイトの管理、校正、印刷会社との交渉、計数管理、広告・宣伝・販売等広範囲の業務を担当しており、主任として出版センターの中心的役割を担っていた。Tは昭和62年7月頃から人事録に専従する態勢をとり、とりわけ同年10月25日から12月26日までの間は東京に長期出張して校正マンの監督等を行い、昭和63年1月29日に人事録は完成した。Tの勤務状況をみると、昭和62年7月は29日間出勤し、時間外労働が112時間、休日労働が16.5時間、8月は27日間出勤し、時間外労働が116.5時間、休日労働が11.5時間、9月は24日間出勤し、時間外労働が99時間、10月は30日間出勤し、時間外労働が105時間、休日労働が35時間、11月は全日出勤し、時間外労働が129.5時間、休日労働が79時間、12月は30日間出勤し、時間外労働が129時間、休日労働が37.5時間、昭和63年1月1日から11日までは8日間出勤し、時間外労働が24.5時間、休日労働が10時間、同月12日から同年2月11日までは27日間出勤し、時間外労働は64時間、休日労働は11.5時間、同月12日から19日までは7日間出勤し、時間外労働は3.5時間であった。発症前1週間のTの勤務内容は、同月12日は時間外労働はなし、13日は定時退勤後社外で打合せをして午後11時頃帰宅、14日は公休、15日及び16日は時間外労働はなし、17日は3時間30分の時間外労働、18日は入試問題集作成の打ち上げ会に出席し、飲酒して深夜零時頃帰宅した。同月19日の朝、Tは朝食を取らずに出勤し、出版センターにおいて通常業務を行った後午後4時頃退社した後、自宅で高血圧性脳出血のため倒れ、搬送先の病院で死亡した。
 Tの妻である原告は、Tの死亡は過重な業務に起因するものであるとして、平成元年2月20日、被告に対し労災保険法に基づき遺族補償給付及び葬祭料の支給を求めたところ、被告は平成2年3月1日付けでTの死亡は業務上の事由によるものとは認められないとして不支給処分(本件処分)とした。原告は本件処分を不服として審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたことから、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
主文
1 被告が原告に対し平成2年3月1日付けでした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
判決要旨
1 業務起因生の判断基準

 労災保険法7条1項1号にいう「業務上の死亡」及び労働基準法79条、80条にいう「労働者が業務上死亡した場合」とは、労働者が業務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、単に死亡の結果が業務遂行中に生じたとか、あるいは死亡と業務との間に条件関係があるというだけでは足りず、これらの間に法的にみて労災補償を認めるのを相当とする関係(相当因果関係)の認められることが必要である。そして、労災補償制度が業務に内在ないし随伴する危険が現実化した場合に労働者に発生した損失を補償するものであることに鑑みれば、右相当因果関係の有無については、発症が業務に内在ないし随伴する危険が現実化したことによるものとみることができるか否かによって判断するのが相当である。

 また、訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつそれで足りるものであるから、厳密な医学的判断が困難であったとしても、被災労働者の業務内容、勤務状況、健康状態、基礎疾患の程度等を総合的に検討し、それが現代医学の枠組みの中で、当該疾患の形成及び発症の機序として矛盾なく説明できるものであれば、業務と発症との相当因果関係を肯定することができるというべきである。

2 本件発症と業務との因果関係

 Tの基礎疾病である高血圧症は、昭和61年9月からの治療により徐々に改善し、昭和62年5月8日に血圧が160/92となった段階で、概ね日常の勤務に耐え得る程度には安定していた。そして過重な業務による疲労とこれに基づく血圧の上昇がなければ本件発作が生じなかった可能性が高いと認められるから、本件発症はTの基礎疾病である高血圧症がその自然的経過として発症したものとみることはできない。

 Tは昭和62年10月5日から同年12月26日まで連続83日間無休の勤務状態になっていた上、この間の実労働時間(978時間)は、所定内労働時間(483時間)の約2倍に達していたこと、しかもそのうち同年10月25日から12月26日までの間は、東京のホテルで単身生活を送りながら、肉体的・精神的に負担のかかる校正業務をこなしていたことに照らすと、この間の業務は高血圧症を有するTにとって極めて過重な業務であったということができ、この段階で既にかなりの肉体的・精神的疲労を蓄積していたものと推認することができる。

 昭和63年になってからも人事録が完成する1月29日頃までの間は相当に厳しい勤務状態が継続していたが、同年2月になってからはTの所定外実労働時間はかなり減少した。しかしながら、Tはそれまで長期間にわたって蓄積した疲労を取ることもなく、入試問題集の編集や新企画に精力的に取りかかっており、そのためTの肉体的・精神的疲労は2月に入ってからも更に蓄積し続けていた。更にこの頃には降圧剤の服用が十分でなかった可能性があり、これらの事情が重なってTの血圧は高い状態が続き、脳動脈瘤が形成されつつあったものと推察できる。そして、本件発症の前後に催された会合で飲酒したアルコールの影響が切れた際に、交感神経が緊張し、それによって血圧上昇や血管痙攣が起こって脳動脈瘤が破裂し、脳出血の発症に至ったと考えられる。

 このように見てくると、本件発症は昭和62年10月5日から本件発症までの間の業務によってもたらされた肉体的・精神的疲労の蓄積に基づく血圧の上昇によって生じたものであると認められ、本件発症と業務との間の条件関係を肯定することができる。そしてTの業務内容が肉体的・精神的に過重な業務であり、これが血圧上昇の最も有力な原因であったと是認し得るのであるから、本件発症はTの業務に内在する危険が現実化したことによるものと見ることができ、本件発症と業務との間に相当因果関係を認めることができるというべきである。
 この点、高血圧症の基礎疾病があったにもかかわらず、Tが仕事を優先して病院に通わなかったことや、昭和63年2月以降における降圧剤の服用が十分でなかった可能性を業務起因性の判断においてどのように考慮すべきかが問題となる。しかし、当時出版センターの中心的立場にあったTが現場から離れて入院治療を受けるとなると、出版センターの業務全般に支障が生じる可能性があったことに鑑みると、Tが入院治療に踏み切れなかったのは業務自体に起因したことであるというべきであるし、またTの疲労が本件発症当時かなりのものであったと認められることに照らすと、降圧剤の服用不十分の可能性が本件発症に与えた影響は、Tの業務のそれと比べれば小さかったものと考えられるから、いずれも前記相当因果関係を否定するに足りるものにはなり得ないといわなければならない。
適用法規・条文
労働基準法79条、80条、
労災保険法7条1項、16条の2、17条
収録文献(出典)
労働判例763号21頁
その他特記事項
本件は控訴された。