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茨木労基署長(S社)脳出血死事件【過労死・疾病】

事件の分類
過労死・疾病
事件名
茨木労基署長(S社)脳出血死事件【過労死・疾病】
事件番号
大阪地裁 − 昭和63年(行ウ)第72号
当事者
原告 個人1名
被告 茨木労働基準監督署長
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1992年03月23日
判決決定区分
棄却
事件の概要
 N(昭和7年生)は、昭和56年8月7日、S社に雇用され、国鉄(当時)新幹線大阪運転所構内の事務所において、新幹線車内の清掃業務に従事していた。作業は運転終了間もない車両の清掃であるため、冬期においても車両内の温度は平均23度前後であるが、車両内外の温度差は約10度あった。また、作業場内は相当程度の騒音状態にあり、耳鳴り等を感じることもあった。

 Nは、S社において約4ヶ月間にわたり徹夜勤(32回)や夜勤(27回)に従事し、同年8月16日から9月15日まで47時間、翌16日から同年10月15日まで33時間20分、翌16日から同年11月15日まで54時間50分、翌16日から同年12月1日まで25時間の超過勤務を行った。

 Nは、同年12月13日午後10時45分頃、業務を終え点検を受けるために車内で待機している最中に倒れ、病院に搬送されて治療を受けたが、翌14日午前11時31分、本態性高血圧症に基づく脳出血(本件疾病)により死亡した。
 Nの妻である原告は、昭和57年10月19日、被告に対し、労災保険法に基づき遺族補償給付及び葬祭料の請求をしたが、被告は昭和58年6月15日、Nの死亡を業務上の事由によるとは認められないとして不支給処分(本件処分)とした。原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却されたことから、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
判決要旨
1 本件疾病の業務起因性

 医学経験則上、業務が急激な血圧変動等を招く過重負荷となり、自然経過を超えて本件疾病を発症させた場合、業務は右発症の相対的に有力な原因であると認めるべきである。業務による過重負荷の典型例は業務に関連した異常な出来事への遭遇や日常業務に比較して特に過重な業務に就労したことであり、この場合、負荷から発症まで、通常は24時間以内、稀には数日を経過する例もある。医学経験則上、通常の業務によって受ける負荷は自然経過の範囲内と考えられ、慢性疲労による継続的精神負荷と本件疾病発症との関連は否定できないが、医学上は未解明である。しかし、業務が右発症の相対的に有力な原因であるか否かの判断は、右に尽きるものではなく、業務の内容、性質、就労状況、基礎疾病の程度、生活態度その他諸般の事情を総合的に勘案してなすべきである。

2 Nの死亡の業務起因性

 Nは、超過勤務により相応の精神的肉体的疲労が生じていたことは推認できる。しかしながら、Nの作業内容、作業量、就労状況等に照らすと、本件業務は著しい肉体的精神的負担を伴う重労働ではないし、本件発症当日の作業も特段過重な労働ではないこと、Nは同年12月2日から本件発症まで11日間残業を行っていないから、発症当日の労働負荷は従前に比較して減少していたと推認されること、Nは同年11月21日から5日間休養し、その後も発症日の前日までに公休日3日、非番・非休4日を取得しており、殊に本件発症の前日、前々日は休養し、発症当日も午後6時頃まで休養していたこと、Nの労働負荷は他の労働者に比較して質・量ともに格別大きいとはいえないこと等に照らすと、夜間勤務の生理的影響を勘案したとしても、Nの発症当日及びこれに近接した時期の本件業務が同人の高血圧症を自然経過を超えて急激に増悪させたり、S社における約4ヶ月間の本件業務が同人の高血圧症を自然経過を超えて急激に増悪させる蓄積疲労をもたらしたと認めることは困難である。

 もっとも、作業の際の寒冷負荷等がNの血圧に作用したことは認められるが、その場合でも高血圧が持続するものではないし、発症3日前の外気温も発症当日と同様に低かったが、Nは徹夜勤に従事し、無事勤務を終えていることが認められるから、右当日の寒冷負荷等がNの高血圧症を自然経過を超えて増悪させたということはできない。また、Nが新幹線のモーター音に起因する騒音曝露やドアの開閉試験による車内圧の変動によってある程度の精神的ストレスを受けていたことは認められるが、Nの就労状況等に照らすと、これがNの高血圧症を自然経過を超えて増悪させたと認めることは困難である。

 他方、Nは昭和51年当時既に高血圧症の診断を受けたにもかかわらず、以後3年間血圧降下剤の投与を受けたのみで治療を中止し、却って1日40本も喫煙し、食事療法も行わなかったこと、更にNはS社採用当時、血圧は168/78の高数値を示し、心肥大も生じていたが、高血圧症の治療を継続していないこと等に照らすと、本件疾病は同人の長年にわたる高血圧症が自然経過により増悪し、発症したことも優に考えられる。
 以上のとおり、Nの従事していた本件業務が本件疾病発症について相対的に有力な原因であったと認めることはできないから、本件疾病の業務起因性を否定した本件処分は正当である。
適用法規・条文
労災保険法16条の2、17条
収録文献(出典)
労働判例617号頁62
その他特記事項