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飯田労基署長(S電機)くも膜下出血死事件【過労死・疾病】

事件の分類
過労死・疾病
事件名
飯田労基署長(S電機)くも膜下出血死事件【過労死・疾病】
事件番号
長野地裁 − 平成2年(行ウ)第6号
当事者
原告 個人1名
被告 飯田労働基準監督署長
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1995年03月02日
判決決定区分
容認
事件の概要
 K(昭和32年生)は、昭和53年3月工科短大を卒業し、他社の勤務を経て、昭和56年6月にS電機に入社し、塗装用ロボット操作業務に従事していた。S電機は、M電機の協力工場として設立され、取引先はM電機のみである。

 Kが所属するG工場においては、昭和56年9月頃からM電機長野工場の発注によるプリント基板の組立を開始し、Kは製品積込み作業を行ったり、組立ラインの適正配置や作業指導票の作成等を行うなどしたほか、M電機長野工場において修正を急ぐときは、出張して修正作業を行ったほか、昭和58年11月29日午後11時10分から翌30日午前8時30分まで本社工場で残業応援に従事した。

 Kは、昭和58年5月16日から同年12月14日までの間に、休日出勤の結果、20日間、20日間、34日間、32日間、16日間、13日間とそれぞれ連続出勤しており、かつ盆休暇の3連休と10月の連休を除いて2日以上連続して休みを取ったことがなく、しかもその間、午前8時台(中には午前4時台、5時台もある)に出勤し、午後10時を過ぎて(中には午前2時台、3時台もある)退社した日が37日間もあったほか、自宅で部品を挿入する作業をしたこともあった。

 昭和58年12月14日、Kは午後5時までの通常勤務に従事した後、午後8時50分頃まで不良品検査、トラックへの製品積込み作業等に従事した。また、この日本社第二工場では、納期が迫っていたクリーナー収納箱の組立作業の残業を行うことになっており、Kがその要員として呼ばれ、作業に入ったところ、約30分後の午後9時45分頃、くも膜下出血と思われる疾病を発症して倒れ、午後10時29分死亡が確認された。なお、Kの過去における傷病の受診歴には本件疾病に関連した疾病は見られず、血圧はやや高めであるが、正常範囲内で一定していた。
 Kの父である原告は、Kの死亡は長時間労働等の過重労働に起因するものであるとして、被告に対し、昭和59年8月13日、労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したところ、被告は平成60年3月29日、業務上の死亡とは認められないとしてこれらを支給しない旨決定(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
主文
1 被告が昭和60年3月29日付けで原告に対してなした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を各支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
判決要旨
1 業務起因性の判断基準

 労働者の死亡が労災保険法12条の8第1項4、5号所定の保険給付の対象となるためには、労働者が業務上死亡した場合であること、すなわち業務起因性を要し(同法12条の8第2項、労働基準法79条、80条)、労働者が疾病により死亡した場合に業務起因性があるというためには、当該労働者が当該業務に就かなかったら死亡しなかったであろうという条件関係だけではなく、業務と死亡原因たる疾病の発症原因との間及びその発症原因と死亡原因たる疾病との間にそれぞれ相当因果関係があることを必要とする。そして、相当因果関係があるというためには、業務が疾病の唯一かつ直接の原因である必要はなく、労働者に疾病の基礎疾患があり、その基礎疾患も原因となって疾病を発症した場合も含まれるが、その場合には業務が相対的に有力な原因となっていることが必要であると解される。但し、右にいう「相対的に有力」とは、健康な労働者を基準とする抽象的、一般的な比較考量によって決すべきではなく、基礎疾患を有する当該労働者を基準として具体的、個別的に判定すべきものであり、その業務の遂行が当該労働者にとって精神的、肉体的に過重な負荷となって基礎疾患を刺激し、その自然的経過を超えて急速に増悪させて疾病発症の時期を早めた場合なども業務が相対的に有力な原因となったものとして、相当因果関係を肯定するのが相当である。

 被告が依拠する新認定基準は、それなりに尊重されるべきであるが、裁判所を拘束するものではない。すなわち、新認定基準は、脳血管疾患及び虚血性心疾患等について、これらの疾患が労働基準法施行規則別表第1の2所定の業務に起因することの明らかな疾病と認定するためには、発症直前から前日までの間の業務が特に過重であること又は発症前1週間以内に過重な業務が継続していることを要し、発症前1週間以前の業務については付加的要因に留めることとしているが、発症前1週間の線引きは、医学的根拠というよりは、むしろ行政通達としての明確性の要請によるものと考えられるから、業務外認定処分取消請求訴訟の場においては、右基準に拘泥することなく、基準にない事由と労働者の死亡との間の相当因果関係が認定されることは十分あり得るものと考えられる。

 業務と死亡との間の相当因果関係の判断は、通常人が疑いを差し挟まない程度の確信を持ち得ることを必要とするから、これが医学的知見に全く反するものであってはならないことは明らかである。しかしながら、厳格に医学的な因果関係の証明責任を原告に負わせることは、もともと未解明な部分の多い疾病について、ほとんど不可能な立証を強いる結果となり、労災保険法の趣旨に照らして相当とはいえない。のみならず、労災補償制度との関係で要求される因果関係は、医学的判断そのものではなく、法的評価としての因果関係であるから、医学的知見が対立し、厳密な医学的判断が困難であっても、所与の現代医学の枠組みの中で基礎疾患の程度、業務内容、就労状況、当該労働者の健康状態等を総合的に検討して業務が相対的に有力な原因となって死亡原因たる疾病を発症させた蓋然性が高いと認められるときは、法的評価としての相当因果関係があるというべきである。

2 Kの業務内容

 Kの業務は、役職こそ就いていないが、品質管理業務の責任者としての業務と見て差し支えないものであり、特に不良品の原因究明及び修正については工場内で代替性のない唯一の技術者であったということができる。Kの業務は、それ自体の肉体的負荷は少なく、指導、検査、修正等の作業内容は、一般的には軽作業に分類されるものであり、人間関係も良好であったことから、精神的負荷もさほど問題にならないと考えられる。しかしながら、検査、修正等は、目視による認識と判断という精神的作用が重要な要素となる作業であり、これを行うに当たっては精神的集中を要するばかりでなく、品質管理責任者であるKは、重大な責任を負っていたものと解するのが相当である。以上に加えて、KがS電機に入社する前にM電機N製作所の工作部長の紹介があり、KはM電機に気を遣う立場にあったことを考慮すると、26歳の中途入社であるKにとっては、代替性のない品質管理業務の責任者としての業務は、過重な精神的負荷をもたらしたものと認めるのが相当である。

3 Kの勤務状況、健康状況等

 作業内容自体は軽作業であっても、精神的負荷の大きな業務を長時間継続すれば肉体的負荷も大きくなることは明らかである。Kの所定外労働時間が製造業平均の約5倍から9倍、総労働時間が約1.5倍から約1.9倍というのは、非常に長時間の労働を行っていたものといわざるを得ない。また、休日出勤が多く、その結果連続出勤日数も多くなっていること、深夜残業も多いことは、肉体的負荷による疲労を回復するための十分な休息を取ることができなかったことに帰着するから、長時間労働、連続出勤、深夜残業時間の継続はますます肉体的負荷を過重にさせる要因となったものと解される。なお、新認定基準は、日常業務と比較した特定時期の業務の過重性を重視するが、本件のように同業種の平均的労働者と比較しても相当な長時間労働が常態化している場合には、日常業務それ自体が過重なものというべきであり、業務が最も過重な時期と比較して労働時間が軽減したから過重でなくなったと解すべきである。以上に加えて、工場の女子従業員は若い既婚女性が多く、家事都合等による有給休暇、早退、欠勤が多かったから、Kが代行に入ることが多かったと推認される。

4 本件疾病とKの業務の関係

 Kにはこれまで特記すべき既往歴等はなく、健康診断でも特に脳血管障害を疑わせる所見もない。Kの業務は、精神的負荷、肉体的負荷ともに過重であり、このような業務内容は昭和56年9月16日から約2年3ヶ月にわたり一貫して、時間数の少ない時期の部類である発症前3ヶ月間においてもなお製造業平均よりもはるかに長時間にわたり、それぞれ継続していたものである。このような精神的負荷、肉体的負荷により、遅くとも昭和58年6月頃からKに著しい疲労が生じ、回復することなく継続し、むしろ疲労の程度が増大していったものである。そして、同年6月から9月までの再び相当な長時間労働に戻り、かつ休日出勤により、20日間、34日間、32日間といった連続勤務が続き、深夜残業も多かったことが、右疲労の増大に関する最も有力な原因となったというべきである。

 Kは発症直前には、相当長期の休養を取らなければ疲労が回復しない程度に至っており、このような強いストレスの下で、僅かの刺激により血圧が急激に上昇しやすい状態にまでなっていたところ、昭和58年12月14日午後9時15分頃からの本社応援残業中に著しい血圧上昇を生じ、ついに脳動脈瘤が破裂し、くも膜下出血を発症した。Kの血圧上昇の原因は発症当日以前に既に形成されていたというべきであるが、応援残業中の発症の事実は、S電機の長時間労働が常態化している点で、Kの業務に内在する危険(代替性のない技術者であるKに過重な責任が負わせられたこと、S電機の残業管理がルーズであったことも含めてKの個別具体的業務に内在する危険ということができる)が現実化したものと解することができる。
 そうすると、Kのくも膜下出血は、先天的基礎疾患である脳動脈瘤が破裂して生じたものであるが、Kの担当業務が基礎疾患を有するKにとって過重な負荷となり、その基礎疾患を自然的経過を超えて増悪させて発症を早め、通常の基礎疾患発症の自然的経過を死亡の結果を生じさせたものというべきである。したがって、本件発症については、業務が相対的に有力な原因となっているものとみられ、Kの本件業務と死亡との間には相当因果関係が認められる。
適用法規・条文
労働基準法79条、80条、
労災保険法12条の8、16条の2、17条
収録文献(出典)
労働判例671号46頁
その他特記事項