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海上自衛隊三曹自殺控訴事件【うつ病・自殺】

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
海上自衛隊三曹自殺控訴事件【うつ病・自殺】
事件番号
福岡高裁 - 平成17年(ネ)第771号
当事者
控訴人個人2名 A、B

被控訴人国
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2008年08月25日
判決決定区分
原判決変更(一部認容・一部棄却)
事件の概要
Dは、平成9年3月高校卒業後海上自衛隊に入隊し、翌10年4月に海士長になった者である。Dは仕事に対して消極的であるとの評価を受け、見習教育機関が延長されたが、期間延長後も知識・技能の習得に対する積極的な姿勢が見られず、技能練度が向上しているとはいえないとの評価を受けた。

 平成11年8月末頃から、Dは同僚に対し、「自分は馬鹿で仕事が覚えられない」などと口にするようになり、勉強のため普段より1、2時間程度遅く帰宅することが2、3回あった。同年10月初旬、Dは岳父に対し、直属のL班長らから、分からないことを質問されたり、機械の分解などわからないことを部下の前でやらされたりして、非常にきついなどと落ち込んだ声で話したりした。

 同月初旬頃、K班長は、Dと他の士長に対し、「ゲジ2が2人揃うとるな」と言った上で、Dを自宅に招待する目的もあって、「焼酎いつ持ってくっとや」と聞き、Dのことを「百年の孤独要員」と呼んだ。その頃から。DはL班長らから「三曹らしい仕事をしろ」、「おまえは覚えが悪いな」、「馬鹿かおまえは、三曹失格だ」などと言われ、「分からないところを聞いても教えてもらえない」と、妻に言うようになった。

 同月13日、Dは妻とともに、「百年の孤独」などを持参してK班長宅を訪問したが、K班長はその席でDに対し「お前はとろくて仕事ができない、自分の顔に泥を塗るな」などと言ったり、士長を丸刈りにした話などをした。こうした中で、同年11月8日午前10時頃、Dが首吊り自殺をしているのが発見された。

 Dの両親である控訴人(第1審原告)らは、Dの自殺は、(1)上官らのいじめが原因であること、(2)上官らにはDの自殺を防止すべき安全配慮義務があったこと、(3)海上自衛隊佐世保地方総監部の自殺原因についての調査結果は、Dを組織的に自殺に追い込んだものを個人的な自殺にすり替えたもので、その公表は原告らの名誉権等を侵害することを主張し、不法行為に基づく謝罪、損害賠償各5000万円の支払い、軍事オンブズパーソン制度の設置を被控訴人(第1審被告)に要求した。
 第1審では、Dの上司らの言動は、全体としていじめと評価されるものではなく、指導・教育として許容される範囲内にあったとして、控訴人らの請求を棄却したことから、控訴人らはこれを不服として控訴に及んだ。
主文
1 原判決を次のとおり変更する。

(1)被控訴人は、控訴人Aに対し、150万円を、同Bに対し、200万円をそれぞれ支払え。

(2)控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は、第1、2審を通じ、これを3分し、その1を被控訴人の、その余を控訴人の各負担とする。
判決要旨
1 上官らの言動の違法性、安全配慮義務違反の有無

 一般に、人に疲労や心理的負荷等が過度に蓄積した場合には、心身の健康を損なう危険があると考えられるから、他人に心理的負荷を過度に蓄積させるような行為は、原則として違法というべきであり、国家公務員が、職務上そのような行為を行った場合には、原則として国家賠償法上違法であり、例外的に、その行為が合理的理由に基づいて、一般的に妥当な方法と程度で行われた場合には、正当な職務行為として違法性が阻却される場合があるというべきである。そして、心理的負荷を過度に蓄積させる言動かどうかは、原則として、これを受ける者について平均的な心理的耐性を有する者を基準として客観的に判断されるべきでる。

 また、労働者が労働するに際し、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険があることからすれば、使用者は、その雇用する労働者に従事する業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であり、使用者に代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う権限を有する者(履行補助者)は、使用者の上記注意義務の内容に従ってその権限を行使すべきである。そして、このことは公権力を行使する国家公務員においても妥当すると解されるから、被控訴人は上記公務員に対し、公務遂行のために設置すべき場所、施設若しくは器具等の設置管理又は公務員が被控訴人若しくは上司の指示の下に遂行する公務の管理に当たって、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負い、これに違反する行為は、国家賠償法上違法というべきである。

 まず、L班長のレンジャー入隊適格に関する発言(「「お前なんか仕事もできないのに、レンジャーなんかに行けるか」)は、Dを一方的に、殊更に誹謗するとの態度に出たとしか評価できない。また、L班長は少なくとも9月中旬以降、殊更にDに対しお前は三曹だろ、三曹らしい仕事をしろ」、「覚えが悪い」、「バカかお前は、三曹失格だ」などの言辞(本件行為)を用いて半ば誹謗していたと認めるのが相当である。そしてこれらの言辞は、それ自体Dを侮辱するものであるばかりでなく、経験が浅く技能練度が階級に対して劣りがちなDに対する術科指導に当たって述べられたものが多く、かる閉鎖的な艦内で直属の上司である班長から継続的に行われたものであるといった状況を考慮すれば、Dに対し、心理的負荷を過度に蓄積させるようなものであったというべきであり、指導の域を超えるものであったといわなければならない。

 K班長がDに対し「ゲジ2が2人揃っている」、「百年の孤独要員」、「お前はとろくて仕事ができない」と言ったり、士長に対する指導として丸刈りにしたといった話をしたことが認められる。しかしながら、K班長とDは乗艦中には良好な関係であり、Dは2回にわたり自発的にK班長に焼酎を持参したこと、K班長が返礼の意味を込めてD一家を自宅に招待したこと等からすれば、客観的にみて、K班長はDに対し好意をもって接しており、K班長の上記言動はDないし平均的な耐性を持つ者に対し、心理的負荷を蓄積させるようなものであったとはいえず、違法性を認めるに足りないというべきであり、国家賠償法上違法な言動であるとはいえない。

 Dは、8月頃になっても技能練度において不足している面があり、消極的な執務態度であったものであって、これに加え、海上自衛隊の護衛鑑の機関科に所属する隊員は、場合によっては危険な任務に臨むことも想定され、できるだけ早期に担当業務に熟練することが要請されるものであるから、ある程度厳しい指導を行う合理性はあったというべきであり、本件行為は、Dに対し、自己の技能練度に対する認識を促し、積極的な執務や自己研鑽を促すとの一面を有していたということはできる。しかしながら、本件行為は、Dの技能練度に対する評価にとどまらず、同人の人格自体を非難、否定する意味内容の言動であったとともに、同人に対し、階級に関する心理的負荷を与え、下級の者や後輩に対する劣等感を不必要に刺激する内容だったのであって、不適切というにとどまらず、目的に対する手段としての相当性を著しく欠くものであったといわなければならず、結局、本件行為の違法性は阻却されないといわなければならない。

2 相当因果関係の有無

 うつ病は、その病態として自殺念慮が出現する蓋然性が高いことから、うつ病を発病したと認められた人が自殺を図った場合には、精神障害によって、正常な認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態に陥ったものと推定すべきである。うつ病の発症原因の判断については、医学的にストレス-脆弱性理論が用いられるのが一般的である。すなわち、ストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし、逆に脆弱性が大きければストレスが小さくても破綻が生じるとされており、Dは10月中旬頃にはうつ病に罹患していたものと認められる。

 判断指針においては、上司とのトラブル、仕事上の差別、不利益取扱等は、平均的な心理的負荷の強度が中程度とされているところ、本件行為は、これらの項目に該当するということができ、類型的に強度のストレスがあったとまではいえないが、その態様によっては強度のものであるということができる。本件行為は、地位階級に言及し、人格的非難を加えたものであって、その態様からも強度のストレスと評価し得るものである。また、Dは、実習を終え、実務について数ヶ月にしかならず、同期の隊員も身近にいないという心細い状況にあり、親族らにも本件行為に係る言動を繰り返し述べる等していたことからすれば、本件行為を非常に苦にし、追い詰められた心情になっていたことも明らかである。更に、Dは勉強して班長らに認められたいという対応をし、かえって焦燥感を募らせ、心理的負荷の蓄積につながったことも明らかであって、これらの事情を総合するとき、本件行為による心理的負荷の蓄積は強度で、しかも持続的であったと評価するほかない。

 一方、Dが、本件行為以外の原因でストレスを受けていたかどうかについてみると、8月下旬には建物建築工事請負契約を結び、その後解約することになったが、業者とのトラブル自体は9月初めには解決している。また、Dの家庭は概ね円満であったと認められるから、家庭において特段のストレスがあったとは認められず、Dの業務について本件行為とは無関係にストレスがあったとも認められない。更にDの個体側要因についてみると、Dには遺伝的負因は認められず、本件うつ病に罹患するまでの間には、精神的疾患に罹患したことがないことはもとより、他人から暴力を受けたり、転居・転校等のストレスがあっても不適応を起こしたこともなく、入隊時の心理適性検査においても、やや業務処理能力が低く、精神的な偏りも強く、不適応が表出しやすいが、情緒の安定した積極外向型の適応性の高い性格で、不安に対する耐性が強く精神的にタフで安定していると判定されているのであって、個体側に脆弱性があったとは認められない。

 以上によれば、Dが本件行為によって受けたストレスは強度で持続的なものであったといえる上、他に強いストレス原因はなく、個体側にはうつ病に至るまでの脆弱性は認められないのであり、これらのことに、Dのうつ病に罹患するに至った経緯における本件言動や親族らに対する言動等を総合すれば、本件行為とDのうつ病への罹患及び自殺との間には相当因果関係が認められるというべきである。3 故意又は過失の有無

 本件行為は、Dに対する指導の一環として行われたものであるが、一般に、階級が上位である者から指導を受ける者を侮辱するような言動をする場合に対象者に強度の心理的負荷を与えること、心理的負荷が蓄積すると心身の健康を害するおそれのあることについては、部下に指揮命令を行う立場の自衛隊員は当然認識し得べきであり、結局、本件行為が手段の相当性を欠き、少なくとも過失があったというべきである。4 いじめに関する控訴人の主張について

 控訴人らは、違法性の判断に当たって、上官らの意図や目的を考慮すべきではなく、また部下本人を基準とすべきである等と主張するが、ある行為が正当な職務行為であって違法性が阻却されるかどうかの判断に当たり、当該行為に合理的な目的があったかどうかを考慮すべきことは当然であって、違法性の判断においても、およそ行為者である上官らの主観を考慮しないということはできない。もっとも、違法性は原則として客観的に判断されるべきであって、部下本人を基準とするのではなく、平均的な者を基準とすべきである。なお、例外的には、行為者において、その言動を受ける者の心理的耐性が平均的な者に比較して劣ることを知り、又は知り得べきであった場合は本人を基準とすることもあり得るが、Dの心理的耐性は少なくとも平均的であったとみられるのであり、本人を基準としたとしても結論が異なるものではない。5 本件公表の違法性の有無

 本件公表部分の記載は、専らDに関するものであり、控訴人らの社会的評価を低下するものとはいえないから、控訴人らの名誉を侵害するものとはいえない。仮に本件公表がDの名誉を毀損するものだとしても、民法711条(国家賠償法4条)の趣旨に照らし、Dの名誉が毀損されたことによって、近親者である相続人ではない控訴人らが固有の慰謝料を請求することはできないというべきである。この点を措くとしても、名誉毀損に当たる行為であっても、(1)その目的が公共の利害に関する事実に係り、(2)その目的が専ら公益を図るものである場合において、(3)摘示された事実がその重要な部分において真実であることの証明があるとき、又は行為者がそれを真実と信ずるについて相当の理由があるときは、不法行為は成立しないものと解される。本件調査委員会報告書は、公共の利害に関する事実の記載であり、専ら公益を図る目的での公表と認められ、その内容については真実であることの証明があったものというべきである。以上によれば、本件公表について名誉毀損は成立しないというべきである。

 プライバシーの侵害については、その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由を比較衡量し、前者が後者に優越する場合に不法行為が成立すると解されるから、その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由に関する諸事情とを比較衡量して判断することが必要であるところ、事実を公表されない法的利益が優越するものとは認められない。以上によれば、本件公表が控訴人らの人格的利益を違法に侵害するとはいえない。6 損害額
 控訴人BはDの実母であり、同AはDの養父であって、前途ある大切な息子を僅か21歳の若さで失った控訴人らが、Dの死亡について耐え難い精神的苦痛を被ったことは明らかであり、その他本件に顕れた一切の事情を考慮するとき、これを慰謝するためには、控訴人Bについて200万円、同Aについて150万円の支払を相当と認める。控訴人らはDの相続人ではなく、既に成人し、婚姻して親とは別居した子の親としての慰謝料が上記金額に留まることはやむを得ないというべきである。
適用法規・条文
国家賠償法1条1項、4条、
民法711条、715条、
収録文献(出典)
労働経済判例速報2017号3頁
その他特記事項