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鉄道会社(本荘保線区)教育訓練命令控訴事件

事件の分類
その他
事件名
鉄道会社(本荘保線区)教育訓練命令控訴事件
事件番号
仙台高裁秋田支部 − 平成2年(ネ)第142号
当事者
控訴人個人1名、旅客鉄道会社

被控訴人個人1名
業種
運輸・通信業
判決・決定
判決
判決決定年月日
1992年12月25日
判決決定区分
控訴棄却(上告)
事件の概要
被控訴人(第1審原告)は、控訴人(第1審被告)会社秋田支店本荘保線区施設係で稼働する現場労働者で、国労の組合員であり、控訴人は、同保線区の区長の地位にあった者である。

控訴人は、昭和63年5月11日、被控訴人が国労マークのついているベルト(本件ベルト)を身に着けて作業に従事しているのを見つけ、本件ベルトの取り外しを命じた。翌12日、控訴人は朝礼点呼の際、他の職員に対し、被控訴人に対し教育訓練する旨告知し、就業規則全文の書き写しと、その後感想文の作成、書き上げた就業規則の読み上げを命じ、控訴人はその間、早く書くよう怒鳴ったり、机を蹴って大きな音をたてたり、被控訴人が用便に行くのを一時制限するなどした。

被控訴人は、帰宅後腹痛が起きたため、翌13日の年休を求めたところ、その申し出が認められず、控訴人は被控訴人に対し、前日と同様の作業を命じたところ、被控訴人は午前中に腹痛を訴え、胃潰瘍の病歴があることを説明したことから、控訴人は就業規則の書き写しを止めさせた。被控訴人は、その後病院で診察を受けた結果、翌14日から同月20日まで入院するに至った。

被控訴人は、本件ベルトの着用は職務専念義務に何ら反するものではないこと、仮に本件ベルトの着用が就業規則に違反するとしても、控訴人による本件教育訓練は正当な業務命令の裁量の範囲を明らかに逸脱した違法があり、不法行為を構成することを主張して、控訴人及びその使用者である控訴人会社に対し、それぞれ、慰謝料100万円、弁護士費用10万円を支払うよう請求した。

第1審では、本件教育訓練は不法行為に当たるとして、控訴人及び控訴人会社に対し、各自慰謝料等25万円の支払いを命じたことから、控訴人らがこれを不服として控訴に及んだ。
主文
1 本件控訴をいずれも棄却する。

2 控訴費用は控訴人らの負担とする。
判決要旨
就業規則に基づき、職場内教育訓練を含めて控訴人会社が社員に命じる教育訓練の時期及び内容、方法は、その性質上控訴人会社の裁量的判断に委ねられているものというべきであるが、その裁量は無制約なものではなく、その命じ得る教育訓練の時期、内容、方法において労働契約の内容及び教育訓練の目的等に照らして不合理なものであってはならないし、またその実施に当たっても社員の人格権を不当に侵害する態様のものであってはならないことはいうまでもない。かかる不合理ないし不当な教育訓練は、控訴人会社の裁量の範囲を逸脱又は濫用し、社員の人格権を侵害するものとして、不法行為における違法の評価を受けるものというべきである。

控訴人会社は、鉄道事業の社会性、公共性、右事業の性質に由来する職場秩序維持の必要性及び社員の安全確保等の目的から、必要な範囲で制服の着用を義務付け、ベルトのように控訴人会社が特定の物品を指定していないが社会通念上必需品と認められる服装品の着用については、原則として社員の自由選択に委ね、合理的理由がある場合は、控訴人会社がその着用、使用を禁止又は制限できることとし、腕章、胸章等必ずしも必需品とはいえない物品については、控訴人会社が特に認めた物以外の着用、使用を禁止する趣旨と解するのが相当である。

本件ベルトの形状、意匠等の点で格別一般人に嫌悪感、不快感を与えたり、奇異な感を抱かせるようなものではなく、被控訴人が従事していた保線作業を遂行する上で具体的な支障が生じる欠陥があることを認めるべき証拠もないから、その形状、意匠等を見る限り、被控訴人に対して本件ベルトの着用を禁止する合理的理由は見出し難い。「服装の整正」との表題が付された就業規則20条は、合理的に解釈する限り全体として組合活動の制限を直接の目的としたものと解すべきではなく、旅客に不快感を与えたり、職場規律の弛緩から事故の発生を招来することなどを防止するため、社員の服装を規律しようとしたものと解するのが相当であるから、本件ベルトに国労の記章があることにより、弊害が生じるおそれがない限り、本件ベルトの着用を禁止することに合理的理由があるとはいい難い。被控訴人が稼働していた施設関係の職場の社員は旅客に接する機会が少なく、被控訴人が本件ベルトを着用することによって、控訴人会社が社員の時間内組合活動を容認し、職場規律が乱れているかの如き印象を与える可能性は極めて少なかったというべきである。また、本件ベルトの形状、意匠等からして、右着用が併存組合の組合員を殊更刺激して職場規律が乱れるおそれがあったとは直ちに認め難く、労使が対立する状況下でも、本件ベルトは組合の統一的意思活動として各国労組合員が着用していたわけではなく、労使の対立を徒に助長、拡大するようなものとは認め難いから、本件ベルトの着用及びこれを契機とする控訴人等現場管理者の不快感等により、職場内の融和、協調に支障が生じたとしても、被控訴人にその責めを負わせるのは相当とは考えられない。

被控訴人は、組合員の団結を維持、昂揚しようとする目的をもって勤務時間中に本件ベルトを着用したのであるから、形式的には職務専念義務を定めた就業規則3条1項に違反したものと評価せざるを得ない。しかしながら、労働者がその注意力を集中し得る人としての生理的限界も自ずから明らかであり、日々勤務時間の全てにつき、瞬時の間もなくその精神的活動力の全てを職務にのみ完全に傾注させることは容易になし得ることとは考えられないから、労働者に対し、その法的義務の不履行を形式的ないし厳格に問うことは、慎重さが要求される部分があると解せざるを得ない。

被控訴人が本件ベルトを着用したことにより、その身体活動面において職務に専念していなかったとは認め難いし、被控訴人が本件ベルトを着用することにより本来職務に向けられるべきその注意力がさほど減殺されたとは認められないし、現実に被控訴人の遂行すべき業務に何らかの具体的支障が生じ、あるいは生じるおそれがあったことを認めるに足りる証拠もないから、被控訴人の本件ベルト着用行為は実質的違法性がなく、職務専念義務に違反するものではないというべきであり、仮に被控訴人の右所為を右義務に違反するものというとしても、その違反の程度も違法性が強度であるとは認め難いから、右所為に対して執られるべき措置も、これとの均衡を十分弁えたものであることが要求されるものとすべきである。

以上によれば、被控訴人の本件ベルト着用行為は、就業規則20条3項に違反するものではないし、23条及び3条1項にも違反しないか、違反するとしてもその程度は軽微であり、特に職務専念義務違反の点については、事実上黙認されている他の行為との均衡を十分考慮すべきものといえる。

就業規則は、労使関係を規律する重要な規範であるから、控訴人会社の管理者が部下職員に対して、就業規則の周知、徹底のため教育訓練を命ずることも直ちに違法となるものではない。しかし、日常業務を通じての職場内訓練として、管理職職員が当該職員の本来業務を一切外してある期間当該職員のみに対して就業規則の周知、徹底のための訓練を命ずることはそれ自体異例と解されるし、しかもその方法が、就業規則全文の機械的書き写しを主たる内容とするものであるとなると、その合理性は疑わしい。すなわち、就業規則の内容を認識させることだけを目的とするなら、それを黙読又は朗読させるだけでもその目的を相当程度果たすことが可能なはずであり、またその意味を理解させることまで意図するなら、就業規則の規定は多分に法的概念及び不確定概念等を含み、一見しただけではその意味を明白かつ正確に把握し難い部分があり、職員に対してこれを機械的に書き写させるだけでその趣旨、意味を十分理解させるに足りないことは明らかである。しかも、成人した社会人が自発的意思に基づかずに本来の業務を離れて全文142条もある就業規則を一字一句の間違いもないように書き写すことは、時間的制限等がないとしてもそれ自体肉体的、精神的苦痛を伴うものと推測するに難くない。かように、就業規則の全文書き写しは、それを命ぜられた職員に苦痛を強いるものであるし、就業規則の内容を認識させるなら、職員の苦痛がより少なく、かつその効果を相当程度期待できる他の手段があり得るし、その規定を理解させることまで目的とするなら多くの効果を期待できないものというべきである。

以上によれば、なるほど、被控訴人の本件ベルト着用につき控訴人がこれを就業規則に違反すると考えたことに過失があるとはいえず、被控訴人が素直に取り外しに応じなかったことから、控訴人が純粋に本来の教育訓練の目的である職員の知識、技能等の向上という見地から、被控訴人に対する教育訓練が必要と判断したのだとすれば、そのこと自体も直ちに非難できないし、本件教育訓練においても、被控訴人に一定時間内で全文書き写すよう命じたわけではなく、控訴人が終始被控訴人の面前でその一挙手一投足まで監視したり、被控訴人を物理的監禁状態に置いたものでもない。しかしながら、客観的には、被控訴人の本件ベルト着用は、就業規則に違反しないか、一部の規定に抵触するとしてもその違反の程度は極めて軽微であること、にもかかわらず、本件教育訓練の主たる内容である就業規則の全文書き写しは、一般にそれを命ぜられた者に肉体的、精神的苦痛を与えるものであり、しかもその合理的教育的意義は認め難いこと、本件の契機からすれば、就業規則の全文を書き写させる必要性を見出し難いこと、控訴人の態度には、被控訴人に対して心理的圧迫感、拘束感を与えるものがあり、合理的理由なくして被控訴人の人格を徒に傷つけ、またその健康状態に対する配慮も怠ったこと、勤務時間中、事務室内で長時間に亘り行われるなどの事情に鑑みると、控訴人の命じた本件教育訓練は、被控訴人に就業規則を学習させるというより、むしろ、見せしめを兼ねた懲罰的目的からなされたものと推認せざるを得ず、その目的においても具体的態様においても不当なものであって、被控訴人に故なく肉体的、精神的苦痛を与えてその人格権を侵害するものであるから、教育訓練についての控訴人の裁量を逸脱、濫用した違法なものというべきであり、これが控訴人の被控訴人に対する不法行為を構成することは明らかであるし、またこれが控訴人の職務に関してなされたことも明白である。
以上のとおりであるから、控訴人は民法709条により、また控訴人会社は同法715条により、被控訴人が控訴人の不法行為によって被った損害につき、これを賠償する義務がある。本件教育訓練に至る経緯及びその態様等本件に顕れた諸般の事情を総合考慮すると、控訴人の不法行為により被控訴人の被った精神的損害の慰謝料は20万円をもって相当と認め、弁護士費用は5万円をもって相当と認める。
適用法規・条文
憲法28条、民法709条、715条
収録文献(出典)
労働判例690号13頁
その他特記事項
本件は上告されたが、原判決に違法はないとして棄却された(最高裁平成5年(オ)502号、1996年2月23日判決)。