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H労基署長(Y社)脳出血死控訴事件【過労死・疾病】
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- H労基署長(Y社)脳出血死控訴事件【過労死・疾病】
- 事件番号
- 名古屋高裁 − 平成8年(行コ)第1号
- 当事者
- 控訴人 個人1名
被控訴人 半田労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1997年03月28日
- 判決決定区分
- 棄却
- 事件の概要
- Kは昭和36年4月Y社に入社し、昭和56年11月、同社T工場化薬研PO第1グループのグループリーダー(GL)に就任し、以後有機過酸化物製品の改良等の業務に従事していた。
Kは、昭和51年4月の健康診断において、血圧が188-110を記録し、昭和52年2月から降圧剤の投与を受け、血圧値は最高140台に落ち着いてきて、血圧硬化剤の投与回数も減ってきたが、昭和55年3月には180-118となった。
Kは、昭和57年11月以降は、専らグループ員が研究するテーマに関しての管理業務に従事し、その所定労働時間は実働7時間15分であり、日曜日及び祝日以外に、土曜日を含めて年間36日の休日があったが、午後5時30分から6時頃の間に退社し、残業はほとんどなかった。
昭和57年11月29日、Kは午前7時55分頃出社し、午前8時30分から11時30分頃まで研究発表会に、午後12時30分から3時まで月例文献報告会にそれぞれ出席した。これらの月例の会議は特に紛糾することもなく進行し、Kはいつものように発言が少なく、特に変わった様子は見られなかった。午後3時から5時まで、Kは業務打合せを行い、午後6時頃Kはまだ残って仕事をしており、変わった様子は見られなかったが、午後9時50分頃、GL室でいびきをかいて倒れているKを守衛が発見し、病院に搬送して手術をしたが、翌30日午前8時36分脳内出血により死亡した。
Kの妻である控訴人(第1審原告)は、Kの死亡は業務に起因するものであるとして、被控訴人(第1審被告)に対し、労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の請求をしたが、被控訴人はKの死亡は業務上の事由によるものとは認められないとして、不支給の処分(本件処分)をした。控訴人は本件処分を不服として審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
第1審では、Kの死亡の業務起因性を認めず、控訴人の請求を棄却したため、控訴人はこれを不服として控訴に及んだ。 - 主文
- 1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務起因性の判断基準について
当裁判所も、労働基準法及び労働者災害補償保険法に基づく労災補償の給付を受ける一般的要件として、当該業務と死傷病との間に相当因果関係の存在が必要であること、その存在を肯定するには、まず当該業務が当該労働者を基準として過重負荷を有すると認められる上に、発症の原因として複数の原因が考えられる場合には、当該業務が他の原因に比べて相対的に有力な原因と認められることが必要であると判断する。
労基法及び労災保険法による労災補償制度の趣旨は、労働に伴う災害が生ずる危険性を有する業務に従事する労働者について、右業務に内在ないし随伴する危険性が発現し、労働災害が生じた場合に、使用者の過失の有無にかかわらず、被災労働者の損害を填補するとともに、被災者及びその遺族の生活を保障しようとすることにあるものと解される。そして、労基法75条、79条等において「業務上負傷し、又は疾病にかかった(死亡した)」、労災保険法1条において「業務上の事由により」と規定するほか、何ら特別の要件を規定していないことからすると、業務と死傷病との間に業務起因性があるというためには、当該業務により通常死傷病等の結果発生の危険性が認められること、すなわち業務と死傷病との間に相当因果関係の認められることが必要であり、かつこれをもって足りるものと解するのが相当である。そしてこの理は本件脳内出血のような脳血管疾患及び虚血性心疾患等の非災害性の労災に関しても何ら異なるものではない。
業務と死傷病との間に相当因果関係が認められるためには、まず業務に死傷病を招来する危険性が内在ないし随伴しており、当該業務がかかる危険性の発現と認めるに足りる内容を有すること、すなわち、当該業務が過重負荷と認められる態様のものであること(業務過重性)が必要であり、また本件脳内出血のような脳血管疾患の発症については、もともと被災労働者に、素因又は基礎疾患等に基づく動脈瘤等の血管病変等が存し、それが何らかの原因によって破綻して発症に至るのが通常であると考えられるところ、右血管病変等は医学上、先天的な奇形等を除けば、加齢や日常生活等がその主要な原因であると考えられており、右血管病変の直接の原因となるような特有の業務の存在は認められていないこと、また右血管病変等が破綻して脳内出血等の脳血管疾患が発症することは、右血管病変等が存する場合には常に起こり得る可能性があるものであり、右血管疾患を発症させる危険を本来的に内在する特有の業務も医学上認められておらず、むしろ複数の原因が競合して発症したと認められる場合が多いことに鑑みれば、単に業務がその脳血管疾患の発症の原因となったことが認められるというだけでは足りず、右業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化とみることができる関係が存在すること、換言すれば当該業務が加齢その他の原因に比べて総体的に有力な原因と認められることが必要であるというべきである。そして、業務過重性の判断に当たっては、それが当該業務に従事することが一般的に許容される程度の基礎疾患等を有する労働者であり、これまで格別の支障もなく同業務に従事してきているといった事情が認められる場合は、当該労働者を基準にして、社会通念に従い、当該業務が労働者にとって自然的経過を超えて基礎疾患を急激に増悪させる危険を生じさせるに足りる程度の過重負荷と認められるか否かにより判断するのが相当である。
もっとも、基礎疾患を有する当該労働者を基準として当該業務の過重性を判断するといっても、単なる主観的な疲労感や精神的圧迫感をその要素として過大に斟酌すべきものではなく、あくまでも社会通念に従って、換言すれば、そのような状態の労働者一般に対しても、当該業務が自然的経過を超えて急激に右基礎疾患を増悪させる危険性を有するかという客観的見地から判断されなければならない。
2 業務の過重性について
Kは、開発研究課長に就任する以前である昭和51年頃から高血圧症に罹患し、昭和55年頃から発症に至る期間中は、最高血圧が200近く、最低血圧も110以上の数値を示していたものであって、適切な治療ないし血圧管理がされない場合には、脳内出血が発症する危険性の高い重篤な状況に陥っていたということができる。
Kは、昭和54年4月以降本件発症時までの3年以上の間は、研究開発等を担当する部署の責任者としての業務を特段の支障もなく遂行していたものであり、通常は午後5時30分から6時までの間に退社し、通勤時間は極めて短時間であったこと、出張の回数も毎月2、3回に留まり、休日は昭和57年当時1ヶ月に8、9日あり、仕事の内容も休日等の取得によって回復することができないような負担の重いものではなかったことなどが明らかであり、これらを総合考慮すれば、Kの業務が、当時罹患していた高血圧症を自然的経過を超えて急激に増悪させる危険を生じさせ得るほどに過重な身体的負荷をもたらしたとは到底認めることができない。
一般論として、過度の精神的ストレスが高血圧症や脳内出血の発症に関与し、リスクファクターと考えられている事実が認められる。Kが相当のストレスを感じていた事実は否定し難いが、ストレスに対する感受性やその解消の容易性などは個人差が大きく、Kの業務はそれほど大変ではない旨、部下に相応の管理責任を分担してもらっていたから特に大きなストレスを感じたことはない旨の原審における証言が存在すること、Kは仕事に心理的充実感を抱いていたと推認できること、Kが業務の遂行過程で具体的なトラブルに巻き込まれたとの事実を窺わせる証拠はないこと、当時控訴人方では控訴人が主宰する学習塾が開かれており、100名前後の生徒が週に2回、午後9時頃まで出入りしていた事実が認められること、これらを総合すると、Kがその業務から高血圧症を持続させ、あるいは脳内出血の引き金となるほどの過重な精神的負荷、ストレスを受けていたと認めることはできない。
控訴人は、Kの脳内出血発症の直接的契機は、組織変更、年度末業務の負担、当日の研究発表における精神的緊張等である旨主張する。しかし、Kが組織変更に伴う部下の増員について不満を漏らしていたとか、精神的負担を感じていたとの事実を認めるに足りる証拠はなく、右増員によってKの業務が特に過重となったと認めることはできない。また年度末業務といっても既に経験済みであること、本件発症当時には年度末業務は既にほぼ終了していること等を考慮すると、これによってもKの業務が過重となったと認めることは困難である。更にKは、本件発症当日研究会に出席したが、自ら研究発表をしたり、司会を務めたわけではないこと、Kにとってこのような研究会への出席は通例のことであり、普段と異なる様子は見受けられなかったことなどの事実に照らすと、これが本件発症の有力な原因となったとは認め難い。
3 Y社による安全配慮義務違反について
災害について業務起因性が認められるためには、それが当該業務に内在ないし通常随伴する危険性が現実化した結果であるとみることのできる関係が必要というべきところ、ここにいう業務とは、当該事業の運営にかかる業務そのものであって、かつ当該労働者が従事するものを指すと解すべきであるから、使用者が労働者の健康を管理すること自体は、右業務に含まれるものではない。したがって、仮にY社に安全配慮義務違反が認められるとしても、これをもって直ちに災害における業務起因性を基礎付けるものではないと解するのが相当である。
もっとも、使用者が右安全配慮義務に違反したために基礎疾患を有するに至った労働者を、その者を基準として過重と考えられる業務に従事させた結果、さらに重篤な疾病を右労働者に発症させた場合には、右疾病と業務との間の相当因果関係を肯定することができるから、このような例外的な場合は、安全配慮義務違反と業務起因性との関連性を肯定することがあり得るというべきであるが、本件においては、Kが高血圧症を発症した原因が業務にあったということはできないし、Kの右疾患を前提としても、客観的に考察すれば、業務が自然的経過を超えてこれを悪化させたと認められるほど過重であったということはできないから、いずれにしても、控訴人の主張は採用できない。 - 適用法規・条文
- 収録文献(出典)
- 労働判例716号62頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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名古屋地裁 − 平成元年(行ウ)第14号 | 棄却 | 1996年08月01日 |
名古屋高裁−平成8年(行コ)第1号 | 棄却 | 1997年03月28日 |