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埼玉(精密機械器具製造)自殺控訴事件【うつ病・自殺】

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
埼玉(精密機械器具製造)自殺控訴事件【うつ病・自殺】
事件番号
東京高裁 - 平成17年(ネ)第2265号
当事者
その他控訴人兼被控訴人 個人1名
その他被控訴人兼控訴人 株式会社(A)、株式会社(B)
業種
製造業
判決・決定
判決
判決決定年月日
2009年07月28日
判決決定区分
控訴一部変更(一部認容・一部棄却)
事件の概要
被控訴人兼控訴人(第1審被告、以下「被告」)Aは、精密機械・器具等の製造販売を主たる業とする会社であり、被告Bはソフトウェアの開発・設計・作成等の労務の請負を業とする会社である。T(昭和50年生)は、平成9年10月に被告Bに入社し、被告Aの熊谷製作所に配属され、主としてステッパーの完成品検査作業に従事していた。

同年12月以降、Tは被告A従業員の交替勤務と同様のシフト業務に従事し、毎月の夜勤は概ね6〜8日になり、休日労働はほぼ毎月行われ、平成10年7月には夜勤が7日に達した。平成11年1月14日から、Tは連続15日間に及ぶソフト検査業務に従事したところ、その後頭痛等を訴え、味覚が鈍磨し、著しく体重が減少するなどしたことから、Tの母親である控訴人兼被控訴人(第1審原告、以下「原告」)に対し退職の意向を伝えた。Tは同年2月22日及び23日に欠勤し、翌24日上司に対し同月末で退職したい旨告げたが、上司は契約上の定めがあるので難しい旨回答した。その後Tは同月27日及び28日に無断欠勤し、その後連絡がつかないまま同年3月10日に自殺した。

原告は、Tは過重労働によりうつ病を発症して自殺に至ったとして、被告A及び被告Bに対し、安全配慮義務違反ないし不法行為に基づき、逸失利益、慰謝料など総額1憶4455万5294円の支払いを請求した。

第1審では、Tは過重な業務によりうつ病に発症し、被告らには安全配慮義務違反があったこと、一方Tの自殺の原因として原告及び兄への金銭の貸与及び喪失が一定程度精神的負担となったこと、うつ病の発症から自殺まで短期間で結果回避可能性が高くなかったことなどを斟酌して3割減額し、被告らに対し総額2488万9471円の損害賠償請求を認めたところ、原告及び被告双方から、これを不服として控訴がなされた。
主文
1 1審被告ニコンは、1審原告に対し、1審被告アテストと連帯して7058万9305円及びこれに対する平成11年3月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2 原判決主文第1項及び第2項のうち1審被告アテストに関する部分を次のとおり変更する。

(1)1審被告アテストは、1審原告に対し、1審被告ニコンと連帯して7058万9305円及びこれに対する平成11年3月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(2)1審原告の1審被告アテストに対するその余の請求をいずれも棄却する。

3 1審原告が当審において追加したその余の請求をいずれも棄却する。

4 1審原告の1審被告ニコンに対する控訴及び1審被告アテストの控訴をいずれも棄却する(なお、原判決主文第1項のうち1審被告ニコンに関する部分は失効した)。

5 訴訟費用は、第1、第2審を通じてこれを2分し、その1を原告の負担とし、その余を1審被告らの負担とする。

6 この判決は、第1項及び第2項に限り、仮に執行することができる。
判決要旨
1 Tのうつ病ががその業務に起因するものか否か

労働者派遣法(平成11年改正前のもの)は、港湾運送業務、建設業務その他適当でない業務以外の政令で定める適用対象業務につき行うことができるとする一方、何人も適用対象業務以外の業務について労働者派遣事業を行ってはならず、また労働者派遣事業を行う事業主から労働者派遣の役務の提供を受ける者は、その指揮命令の下に当該労働者派遣に係る派遣労働者を適用対象業務以外の業務に従事させてはならないとしている。

これを本件についてみると、1審被告(被告)Bは、自己の雇用するTを、被告Aの指揮命令を受けて被告Aのための労働に従事させたこと、被告Bがこれを業としていたことが明らかであり、他方、被告Bが被告Aに対しTを被告Aに雇用させることを約した事実は認められないから、被告BがTを被告Aの指揮命令の下に就労させたことは労働者派遣に当たり、Tは派遣労働者に当たるものといわざるを得ない(被告らは、Tが被告Aと被告Bとの業務請負契約に基づき被告Bの従業員として熊谷製作所内で業務に従事したと主張するが、被告Aと被告Bとの間に業務請負契約が成立したことを認めることはできない)。すると、被告Bが労働者派遣事業としてTを被告Aの指揮命令の下に就労させたことは労働者派遣法4条3項に違反するものであり、派遣労働者たるTを被告Aがその指揮命令の下に熊谷製作所における業務に従事させたことは同条4項に違反するものである。

1ヶ月単位の変形労働時間制を定める労働基準法32条の2の規定との関係では、派遣元の使用者が就業規則等により同条に規定する変形労働時間制に関する定めをすることが派遣労働者に対する適用の前提とされている。そして、Tの派遣元である被告Bの就業規則にはこの点の特定がないから、Tに対して同条の規定の適用があると解することはできない。また、時間外等の労働に関する同法36条との関係では、派遣元の使用者が当該派遣元の事業の事業場との関係で同条の協定(36協定)をすることが前提とされている。しかるに、Tの派遣元である被告Bが労働基準監督署長に届けた36協定は、ステッパーの一般検査を対象とするものではなく、平成9年10月21日以降については36協定の成立自体が認められない。これらによれば、被告Aが変形労働時間制によってTに労働をさせることはできず、また時間外労働や休日労働をさせることはできないはずであるが、被告AはTを交替制勤務によって就業させ、またTに時間外労働や休日労働を命じていたことを自認しているのであって、これらによれば、被告Aの指揮命令下でのTの労働条件は法令の規制から外れた無規律なものであったといわざるを得ないし、被告ら間の契約は法令による規律をおよそ度外視した内容であって、Tはその内容に沿って就業していた疑いを否定できない。

Tが休憩時間にも作業に従事していた可能性があり、Tの自殺後、その居室からステッパー検査のマニュアルや社内検査の記録、ソフト検査の検査報告等が発見されたことに鑑みれば、Tはこれを持ち帰り、恒常的に社内検査やソフト検査について検討するなどしていた可能性があるから、Tは本来自由時間である終業後や休日も恒常的に業務に割いていた疑いを拭うことはできない。加えて、被告Aは、平成10年3月以降の同年中にTについて10回にわたるシフト変更を行い、法令の規制から外れた無規律な労働条件下にあったTに対して、重点的に、その意向にかかわらず、被告Aの業務上の都合からシフト変更が命じられた可能性があり、そうしたことが行われていたとすれば、これによりTは相当な心理的負荷を継続的に受けたものと考えられる。また、Tは同年12月2日から5日まで、ソフトウェアの不良箇所の修正作業のために台湾出張を命じられた可能性があり、Tが本来業務ではない業務で出張まで命じられ、心理的負荷を蓄積させた疑いがある。

従来の職業安定法が労働者供給事業等を例外を除いて一律に禁止していたのは、憲法18条や27条1項及び2項、労働基準法1条1項、5条等の規定を前提として、供給契約に基づき労働者を他人の指揮命令を受ける労働に従事させ、またこれによって供給される労働者を自らの指揮命令の下に労働させる場合、その過程で中間搾取が行われ、かつ劣悪な労働条件の下に過酷な労働が強制されるなど労働者に不当な圧迫が加えられるおそれがあるためと解される。そして、労働者派遣法は、職業安定法制定時と比べて労働力の需要と供給において変化が生じたことを前提に、労働力の需給調整に資しかつ派遣労働者の保護と雇用の安定を図り得ると認められる限りにおいて、労働者派遣等に関して従来の職業安定法によってされていた禁止の一部を解除したものと解され、その場合を除いてこの禁止がなお維持されたのは、従来の職業安定法が労働者供給事業等を禁止したのと同趣旨に出たものと考えられる。

交替制勤務の下閉所内のクリーンルーム作業において当該労働者がどのような労働環境下でいついかなる業務を遂行したか等を個別具体的に外部者自らが明らかにすることはほとんど不可能に等しい一方、その業務を管理監督する使用者がこれをするのに特段の困難はないというべきである。そうだとすると、そうした労働者の労働災害に関する損害賠償請求訴訟において、当該労働者のうつ病の発症がその業務に起因するか否かが問題となった場合、主張立証責任の分配上は外部者の原告がこれを主張立証すべきであると解されるものの、上記のような場合においては、原告側はその業務に起因してうつ病が発症したことについて相当な疑いがあることを合理的根拠をもって提示すれば足り、その場合、うつ病発症がその業務に起因するものとはいえないことを使用者たる被告の側で明らかにしない限り、そのうつ病の発症が業務に起因するものであることが推認されるとするのが訴訟上の信義則にかない公平であるというべきである。

本件の場合、被告Bが入寮制の前提でTを雇用し、その寮にTを居住させた上で交替制勤務があり得るとの前提で被告Aの指揮命令の下で就労させ、また被告Aが被告Bとの契約に基づきTを熊谷製作所でのクリーンルーム作業に従事させ、平成9年12月15日以降は交替制勤務のシフトに組み込み、Tが平成11年2月下旬まで基本的にそうした形態によって被告Aの指揮命令の下に就労した。そして、Tを被告Bが被告Aに派遣して、被告Aがその指揮命令の下で熊谷製作所における業務に従事させたことは、労働者派遣法によって禁止された労働者供給事業等に当たり、この場合、中間搾取が行われるとともに、劣悪な労働条件の下に過酷な労働が強制されるなど労働者に不当な圧迫が加えられるおそれが類型的に高い場合に当たる上、実際にも、Tは法令の規制から外れた無規律な労働条件の下、本来命じられるはずのない時間外労働や休日労働に従事している。加えて、実労働時間を確定することはできないものの、Tが本件週報に記載された時間を超えて業務に従事したことは明らかである上、休憩時間に業務に従事したり、相当期間にわたり終業後や休日を業務に割いたりした疑いが拭えないこと、Tがその意向にかかわらず、被告Aの業務遂行上の都合から重点的にシフト変更を命じられ、また本来業務ではない出張まで命じられて、相当な心理的負荷を継続的に受けていた疑いがあること、一般検査の担当であったTがその意向にかかわらず被告Aの業務遂行上の都合から、一般検査の仕事との兼務でソフト検査を担当させられ、それによって心理的負荷を蓄積させた疑いが極めて強く、これらによれば、Tにその業務による過重な心理的負荷等によってうつ病が発症したことについて合理的な根拠に基づく相当な疑いがあることは明らかである。そうすると、被告らは、Tのうつ病発症が就業前のことであるとか、他に有力な原因があるとか、業務が発症の有力な原因とはなり得ないとかいったことを示して、うつ病発症がその業務に起因するものとはいえないことを明らかにしない限り、そのうつ病発症が業務に起因するものであることが推認されるというべきである。

被告らの意見書には、Tが被告Aの指揮命令下に就労する以前から気分変調証を発症していたとの記載があるが、これが正確であると確認することができない。また被告Aは、Tが極めて消極的・内向的で精神的に脆弱になっていた一方、まじめで上昇志向の強い性格は維持され、国家資格の勉学に励むために睡眠不足に陥り、お金に対する執着が強く貯蓄した学資の半分も原告に貸さざるを得なくなって精神的に影響を受けたと主張するが、Tが非常に消極的・内向的な性格に変容していたと認めることはできず、受験勉強などがうつ病を発症させるほどの心理的負荷をもたらすものであったと認めることはできない。更に、被告Aは、労働の過重性を判断するには、概ね6ヶ月間に集中して精神的・身体的負荷が高まることによって過重労働になったか否かが問われるべきところ、Tの自殺前6ヶ月の時間外労働は1日平均1.5時間、休日は合計90日で、長時間労働は僅か2週間程度のものであり、夜勤頻度は低いから過重な労働ではなかったと主張する。しかし、2週間の長時間労働程度は問題にならないとする主張に合理的根拠は認められないし、夜勤頻度が減っていたとしても、シフト変更を多数回にわたって命じられ、継続的に相当な心理的負荷を受けていた可能性があることに照らし問題ないとはいえない。加えて、被告Aは、Tが担当した一般検査及びソフト検査の概括的な内容を一般的、抽象的に主張するのみであって、Tの業務の密度や心身に対する負荷の状況を具体的に把握することはできず、Tが従事した業務が精神障害を発症させる心理的負荷をおよそもたらすものではないとの主張は到底認められない。結局のところ、被告らの上記主張はいずれも理由があるとは認められず、むしろ次のようにいうことができる。

まず、(1)遅くとも平成11年2月中旬頃まではTにうつ病が発症していたと推認されるところ、これはICDの10のF3に分類される精神障害ということができる。(2)平成11年1月頃に未経験者には本来こなせないとされている動作確認や安全性確認の業務を含んだソフト検査を担当するようTが命じられたことは、評価表1の出来事類型の「(3)仕事の量・質の変化」に該当し、「平均的な心理的負荷の強度」としてはこの出来事が「仕事内容・仕事量の大きな変化があった」場合に当たると解されるから、その心理的負荷の強度は「2」に該当すると解される。そして、「心理的負荷の強度を修正する視点」において、一般検査しか経験のないTがソフト検査を担当させられ、しかも動作確認や安定性確認の業務までを担当したことに鑑みれば、心理的負荷の程度は「3」に修正するのが相当と考えられる。更に「出来事に伴う変化等を検討する視点」から検討すると、仕事量(労働時間等)の変化については、連続15日間の勤務をし、その間に深夜時間帯に及ぶような長時間の時間外労働を度々行っており、ソフト検査の経験のないTが動作確認や安定性確認の業務までをも行うソフト検査まで担当したのであるから、その変化が通常予測される変化と比べて過大である。Tの仕事の責任の変化については一般検査との兼務であったことを前提とすれば増大しているといえ、同種の労働者と比較して業務内容が困難で、業務量も過大であると認めることができるから、業務による心理的負荷の強度の総合評価は「強」であるというべきである。そして、個体側要因について、Tに精神障害の既往歴や、過去の学校生活、職業生活、家庭生活等における適応困難、アルコール依存傾向は認められず、生活史を通じて社会適応状況に特別の問題があるとも認められないから、Tのうつ病発症、ひいてはその自殺には業務起因性が認められる。

以上検討したところに鑑みれば、健康管理態勢を整備していたこと等の被告らのその余の主張を検討するまでもなく、被告らは、Tのうつ病発症が就業前のことであるとも、他に有力な原因があるとも、その業務が発症の有効な原因とはなり得ないとも示すことに成功しておらず、結局のところ、Tのうつ病発症がその従事した業務に起因するものとはいえないとは到底認めることができない。

2 被告Aの被用者の注意義務違反の有無

Jは、Tが熊谷製作所でその業務に従事した期間を通じて、その業務遂行の指揮命令を担当し、Tのシフト変更を命じたほか、Tの時間外勤務や休日勤務の承認権限を行使し、またTの労働時間を把握していたというのであるから、被告AはTの就業の過程において過重な労働等が行われていたことを認識していたか、少なくとも認識し得たことは明らかというべきである。ところで、使用者は、その雇用し又はその指揮命令の下に置く労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、その業務の実情を把握し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であって、使用者に代わり労働者に対し業務上の指揮監督を行う権限を有する者は、使用者のこの注意義務の内容に沿ってその権限を行使すべきである。しかるに、Jは被告Aに代わりTに対し業務上の権限を有し、Tの就業の過程全般について管理監督していたところ、結果として過重な労働等が行われたのであるから、少なくとも検査グループのリーダーの指示の内容を正確に把握しないまま、漫然とそうした過重な労働等が行われることを放置したものと推認することができる。そして、Jがその権限を行使するについて、Tの就業の過程で過重な労働等が行われることを回避することができなかったとすべき事情は認められないから、Jには少なくとも、そうした過重な労働等が行われることを放置し、この注意義務に違反した過失を認めることができる。

被告Aは、一見明らかに過重な労働条件・労働環境ではない場合、その労働者の健康状態を斟酌してその労働者にとって過重であるか否かが判断されなければならないが、本件においては労働条件・労働環境の過重性の程度が低かったから、予見可能性を認めることができないと主張するが、本件における労働条件・労働環境の過重性の程度が低かったとは到底認められないから、この主張は失当といわざるを得ない。

また、被告Aは、被用者に注意義務違反を認めるためには、うつ病を発症し得るに足りる業務上の著しい強度の心理的負荷があることを認識しているだけでは足りないなどと主張するが、過重な業務への従事の点についての認識あるいは認識可能性があれば、労働者の心身の健康が損なわれることについて予見することができ、また過重な業務を回避すれば労働者の心身の健康が損なわれることを回避することができたということができ、被告Aの上記主張は失当といわざるを得ない。

3 被告Bの注意義務違反の有無

労働者派遣事業は、派遣労働者を雇用した上で、これを労働者派遣の役務の提供を受ける者(受役務者)の下に派遣し、その者の業務に従事させることによって収益を得るのであり、他方、派遣労働者は、受役務者との間に直接契約関係を有さず、業務遂行についての指揮命令を受けるのであって、こうした労働者派遣の性質も相まって、労働者は不安定な立場に置かれやすく、また労働者に対し直接雇用主の立場に立たない受役務者は、労働者を自ら雇用する場合と比べて、労働者の就労環境等に意を用いず、また過重な労働等を行わせがちであると考えられることに照らしても、労働者派遣事業を行う者は、派遣労働者を派遣した場合、当該派遣労働者の就業の状況を常に把握し、過重な業務等が行われるおそれがあるときにはその差し止めあるいは是正を受役務者に求め、また必要に応じて当該派遣労働者についての労働者派遣を停止するなどして、派遣労働者が過重な業務に従事することなどにより心身の健康を損なうことを予防する注意義務を負うと解するのが相当である。しかるに、被告Bは、自ら雇用したTを被告Aの下に派遣したのに、主に給与管理の面から前月の勤怠状況を翌月になってから把握していた以上に、Tがいかなる業務に従事し、その仕事量がどの程度であるかなどその就業状況を把握していなかったのであるから、これらによれば被告Bに上記注意義務違反があることが明らかである。そして、Tが従事した業務の過程において過重な業務等が行われ、そのことに起因してTにうつ病が発症し、それによってTが自殺するに至ったところ、被告BがTの就業状況を常に把握してれば過重な労働等が行われることを察知することができ、その上で被告Aに対しその差し止めあるいは是正を求め、必要に応じてTの労働者派遣を停止することによってTのうつ病を未然に防ぐことができたのに、上記注義務違反によってこれをすることができず、その結果過重な労働等が行われ、そのことに起因してTがうつ病を発症し、それによってTが自殺をするに至ったというべきであるから、被告Bには注意義務違反の過失が認められる。

4 被告らの責任について

以上によれば、被告Aの被用者Jが被告Aの事業の執行についてTに損害を加えたといえるから、被告Aはその使用者としてTの死亡による損害を賠償する責任を負う。また被告Bには、Tの死亡について不法行為が成立するから、これによる損害を賠償する責任を負う。そして、以上は民法719条1項の場合に当たるから、これらの被告らの責任は不真性連帯の関係に立つ。

5 損害額

当時23歳のTが自殺に至らなければ、67歳までなお44年間稼働し、その間を通じ平均してTと同じ学歴の平均的な労働者が得られるであろう収入を得ることができたものと認められるから、その逸失利益のTの死亡時点での現在価額を、平成19年度賃金構造基本統計調査第1巻第1表産業計・企業規模計による高専・短大卒の男性労働者の全年齢平均賃金491万3100円を基礎として、5割の割合による生活費控除を行い、ライプニッツ方式により年5%の割合による中間利息を控除して算出すると、4338万9305円となる。また、本件不法行為によるTの慰謝料は2000万円とするのが相当であり、120万円程度の葬儀関係費用を必要としたことを推認することができ、これは相当損害と認められる。また、弁護士費用は600万円とするのが相当である。

6 責任の阻却、過失相殺、いわゆる素因減額の当否

被告Bは、Tの自殺の主たる原因は、親族らによる金銭搾取に加え、資格試験の受験勉強がTにとって相当程度の心理的負担となったことから、大幅な過失相殺をすべきと主張するが、この主張は失当といわざるを得ない。また被告Bは、原告らTの親族は、Tの身体的変調を認識していたにもかかわらず、Tの受診を勧めたり、休暇取得を勧めたりしていないと主張するが、原告やTの兄弟がTの身体的変調を認識していたと認めるに足りる証拠はないから、この主張は失当といわざるを得ない。更に被告Bは、身体的変調を来していたにもかかわらず、T自身が何ら医療機関を受診していないと主張するが、Tが何ら医療機関を受診していないとまで認めるに足りる証拠は存しない。加えて被告Bは、Tのうつ病発症から自殺までは比較的短期間であり、被告Bの結果回避可能性は僅少であったと主張するが、Tのうつ病発症から自殺までが比較的短期間であったとしても、そのことと被告Bの過失の重大性とは直接関係しないから、この主張は失当といわざるを得ない。

被告Bは、執着性格といったストレス脆弱性をTが有していたため、一見して過重な業務が存在しない本件においては、Tのストレス脆弱性に応じて素因減額が行われるべきと主張するが、こうしたTの性格あるいはこれに基づく業務遂行の態様等が損害の発生や拡大に寄与したとしても、そのような場合に、当該業務に従事する特定の労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない場合には、裁判所は、業務の負担が過重であることを原因とする損害賠償請求において使用者の賠償額を決定するに当たり、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を心因的要因として斟酌することはできないというべきであるところ、Tのこうした性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものとまで認めるに足りる証拠はないから、被告Bの主張は失当である。

7 消滅時効

被告らの消滅時効の主張はいずれも理由がない。
適用法規・条文
憲法18条、27条1項、2項、民法709条、719条1項、722条2項、724条、労働基準法1条1項、5条、6条、32条の2、36条、職業安定法44条、労働者派遣法4条3項、4項
収録文献(出典)
労働経済判例速報2050号3頁
その他特記事項