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中野労基署長(K工務店)大工脳出血死事件【過労死・疾病】

事件の分類
過労死・疾病
事件名
中野労基署長(K工務店)大工脳出血死事件【過労死・疾病】
事件番号
東京地裁 − 昭和57年(行ウ)第24号
当事者
原告個人1名

被告中野労働基準監督署長
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1985年09月30日
判決決定区分
棄却
事件の概要
H(昭和3年生)は昭和37年1月以前から一貫して型枠大工をしており、昭和45年頃にK工務店に雇用されるようになった。

Hは責任者として、昭和51年10月21日から、複雑な型枠工事である本件工事に従事し、同年12月4日に1階部分のコンクリート打ちが終わり、同月6日から2階部分の作業に取りかかり同月27日にはそのコンクリート打ちが予定され、同月23日の時点では、2階部分の80%が終了していた。

Hは、同月26日、防寒の準備をした上、午前7時40分頃に、2階部分で食堂、台所の屋根付近の作業を行っていたところ、午前8時30分から9時頃までの間に頭痛を訴えて倒れ、病院に搬送されたが、同月31日午前11時に脳出血により死亡した。なお、作業当日の天候は、晴れ一時曇りで、気温は3〜4度と前数日と比較すると多少気温も高かった。

Hの妻である原告は、Hの死亡は業務上の事由によるものであるとして、被告に対し、労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したところ、被告はHの死亡は業務上の事由によるものではないとして、不支給の処分(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
主文
原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする
判決要旨
労働基準法79条及び80条にいう「業務上死亡した場合」に当たるというためには、業務と死亡との間に相当因果関係のあることが必要であって、労働者が基礎疾病を有し、それが原因となって死亡した場合にこの相当因果関係を肯定するには、業務に起因する過度の精神的、肉体的負担によって、労働者の基礎疾病が自然的経過を超えて急激に悪化し、死亡の結果を招いたと認められるのでなければならないというべきである。

Hの労働時間は割合に自由であったが、出勤時刻は一応8時とされ、Hは午後7時半から8時頃までの間に帰宅しており、雨が降ったとき以外はほとんど休むことはなかった。本件工事についてのHの勤務状況をみると、昭和51年10月(21日以降)は10日勤務で1日休み、11月は25日勤務で5日休み、12月(24日まで)は23日勤務で1日休みとなっており、特に11月22日から13日間及び12月6日から19日間は連続して出勤していることが認められる。

Hは死亡当時48歳であったが、喫煙をせず、酒も年数回少量を飲む程度であり、風邪を引く位で病気らしい病気はしたことがないこと、血圧は一時160になって投薬を受けたが、その後下がって薬の服用を止めたこと等が認められる。

以上の事実に基づいて考察すると、本件工事が一般的な建物の場合よりは複雑なものであったこと及びこれを担当した3人の中でHが責任者としての地位にあったことやHの真面目な性格からすると、Hは他の2人の指導や工事の進行等について種々の配慮をしていたであろうことが推認され、またHの勤務状況も11月下旬以降は早出や残業を含む13日間あるいは19日間の連続勤務を行い、年末が近づくと帰宅時間も通常より遅くなって、発症の前々日には午後11時過ぎとなっている。したがって、Hにはそれに応じた精神的、肉体的な疲労の蓄積があったものといわなければならない。

しかしながら、他方で、Hは型枠大工として少なくとも14年以上の経験を有し、その技量もK工務店で1、2を争う程のものであったのであり、このようなHの型枠大工としての経験と技量及び本件工事を受け持つようになった際のHの言動などからすると、本件工事が著しく困難な工事であったとも一概には言い得ない。本件工事は、工期を特別に急がされたことはなく、Hの要請によって応援も行われた結果、多少の遅れはあったものの12月27日に予定されていたコンクリート打ちには間に合う状況にあった。更に、Hには前記のような連続勤務の事実はあるが、従来からHは雨が降ったとき以外は休みを取らなかったというのであるから、本件工事だけが過度の出勤を余儀なくさせたといい得るものではなく、殊更に長時間の残業を続けたわけではなく、発症の前日には格別仕事をしていない。そして、当時の寒さは例年の冬と大差なく、発症当日の気温は前数日よりも多少高く、風も穏やかで、H自身も長年従事した型枠大工としての経験から防寒に十分なだけの服装をして出掛けているものと考えられる。このような事実からすると、Hの年齢や当時の気象条件を考慮に入れても、本件工事に従事したことによる精神的・肉体的疲労の蓄積が、Hの既存の高血圧症を急激に悪化させる程の負担となるに至っていたとまでは認めるには足りない。そして、他には、Hに業務に起因する過度の精神的、肉体的負担があったものと認めるに足りる具体的事実はない。

本態性高血圧の発症は一般に緩徐であり、年数を経て器質的変化が進み、脳卒中、心筋梗塞などの合併症を起こしてくることも多いこと、本態性高血圧症があって降圧剤を服用していた場合に服用を中止すると、いわゆるリバウンド現象があること、脳血管疾患の発症には著しい個人差が存在し、ほとんどの人が障害を起こすことのない程度の過重負荷が人によっては障害を起こすこともあり、また素因のみによって業務と無関係に発症することもあることが認められる。

これらの事実と上記認定事実を考え併せれば、Hは昭和39年に高血圧症で約1年間降圧剤を服用後これを中止し、その後は高血圧症について何らの治療をすることなく、日常生活においても格別の注意を払うことがなかったというのであるから、昭和51年12月に脳出血を発症するまでの間に、このような経過がHの症状を一段と悪化させて脳血管等の器質的変化を招来させた可能性も否定できないのであって、Hの発症は、こうした病的素地の自然的推移の過程において、たまたま業務遂行中に発生したということも十分に考え得るところである。

以上のとおり、本件に現れた事実関係をもってしては、いまだHの脳出血による死亡を業務に起因するものと認めるには不十分といわざるを得ない。
適用法規・条文
労働基準法79条、80条、労災保険法16条の2、17条
収録文献(出典)
労働判例464号32頁
その他特記事項