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池袋労基署長(バセドー病)自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 池袋労基署長(バセドー病)自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件番号
- 東京地裁 − 平成19年(行ウ)第791号
- 当事者
- 原告個人1名
被告国 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2009年09月09日
- 判決決定区分
- 棄却
- 事件の概要
- C(昭和35年生)は、昭和55年3月に工業高校を卒業した後Y社に入社し、建設工事現場管理業務に従事していた。
平成12年2月、Cは担当していた大規模なビル建設工事が終了したため、同工事の現場作業所長から、Y本社工事部計画課課長補佐に異動し、主に工事の受注及び施工計画業務を行ってきた。Cは同年9月、強い希望により現場に復帰することとなり、同月18日から大宮市内の新築工事現場に異動した。Cは、同ビル建設工事現場に異動後の同年10月4日午後所在不明となり翌5日も無断欠勤し、同月18日にも通院のため無断欠勤した。Cは、同年11月6日から15日まで入院した後、同月19日まで自宅療養するなどして、計14日間甲状腺機能亢進症のため休業した。
Cは、平成12年10月10日、全身倦怠感等により内科を受診し、軽度の甲状腺機能亢進症(バセドー病)と診断され、入院による内服治療を受けるなどした結果、甲状腺機能は改善し、退院時にも14日分の内服薬の処方を受けていた。
Cの同年1月から10月までの時間外労働時間は、それぞれ、27時間30分、85時間20分、85時間20分、63時間20分、66時間50分、89時間50分、38時間10分、53時間30分、73時間00分、52時間00分であり、通勤時間は片道1時間30分程度であった。
Cは、同年11月25日(土曜日)、部長に電話を架け、現工事現場に残りたい旨申し出たが、部長は清水への異動を今更取り消せないと言われ、夜単身赴任先から自宅に戻り、家族と過ごした際、妻に対し清水には行きたくないと述べた。その後Cは、翌26日午後10時頃、ユニットバスのドアにロープ様のものを掛けて縊死した。
Cの妻である原告は、Cの業務は精神的緊張を伴うもので、長時間の残業を余儀なくされていたところ、平成12年夏に、部長がCの意向を確認しないまま、異動後僅か2ヶ月で清水市の建設工事現場への異動という屈辱的な人事を行い、Cがその取消を頼んだにもかかわらず断られたことから自殺に及んだとして、労働基準監督署長に対し、労災保険法による遺族補償給付及び葬祭料を請求したところ、同署長がこれらを支給しない旨の処分をしたことから、審査請求及び再審査請求を経て、同処分の取消を求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務起因性に関する法的判断の枠組み
労働基準法及び労災保険法に基づく保険給付は、労働者の業務上の死亡について行われるが、業務上死亡した場合とは、労働者が業務に起因して死亡した場合をいい、業務と死亡との間に相当因果関係があることが必要であると解される。
また、労働基準法及び労災保険法による労働者災害補償保険制度は、業務に内在する各種の危険が現実化して労働者が死亡した場合に、使用者等に過失がなくとも、その危険を負担して損失の補填の責任を負わせるべきであるとする危険責任の法理に基づくものであるから、上記にいう業務と死亡との相当因果関係の有無は、その死亡が当該業務に内在する危険が現実化したものと評価し得るか否かによって決せられるべきである。そして、精神障害の病因には、個体側の要因としての脆弱性と環境因としてのストレスがあり得るところ、上記の危険責任の法理に鑑みれば、業務の危険性の判断は、当該労働者と同種の労働者、すなわち、何らかの個体側の脆弱性を有しながらも、当該労働者と職種、職場における立場、経験等の点で同種の者であって、特段の勤務軽減まで必要とせずに通常業務を遂行することができる者を基準とすべきであり、このような意味での平均的労働者にとって、当該労働者の置かれた具体的状況における心理的負荷が一般に精神障害を発症させる危険性を有しているといえ、特段の業務以外の心理的負荷及び個体側の要因のない場合には、業務と精神障害発症及び死亡との間に相当因果関係が認められると解するのが相当である。
2 平成12年1月から同年10月までの間のCの労働時間
平成12年1月から同年10月までのCの労働時間は、1ヶ月の時間外労働時間が90時間近い月もあるなど、相当程度長かったこと、平成12年3月には週2回の深夜残業に従事していることなどを認めることができる。しかしながら、Cの就労状況は、深夜残業が恒常化していたのであり、特に不規則な勤務時間であるといえるものではなく、概ね1週間に2日の休日を取得している。また、Cは、「仕事のある日は午前6時30分頃起床し、午後10時頃帰宅して、午前零時頃就寝していたこと、睡眠時間は平均6時間であったこと」が認められ、Cが午後11時から12時頃帰宅し、睡眠時間も6時間を大幅に下回っていた旨の原告の主張は採用できない。以上の事実に照らすと、Cについて、恒常的な長時間労働による心理的負荷が原因となってうつ病を発症したとは考え難い。
3 Cのうつ病発症後のできごと
Cは、遅くとも平成12年8月にはうつ病を発症していたところ、同年10月4日以降より軽易な現場に配置転換されることとなり、同年11月15日に清水市の建設工事現場への配置転換の内示を受け、これに応諾して顧客への挨拶等も済ませた後、部長に配置転換の取消しを申し出たが、部長はこれを拒否し、そのためCも改めて配置転換を承諾した。この点原告は、会社の不適切な対応があった旨主張するが、Cが無断欠勤を始める同年10月4日より前に部長がCの異動を提案する理由はない上、同日以降のCの就労状況や体調を勘案して、より軽易な清水市の建設工事現場へCを異動させることは、企業として合理的な措置であり、更にCもそれまでの顧客に異動の挨拶等に出向いていることからすれば、C自身少なくとも異動をやむを得ないものとして受け入れていたことが推認され、これらの事実に照らせば、Y社の対応を不適切なものということはできない。
そして、既にうつ病を発症していたCが、上記配置転換を契機として自殺をするに至ったとしても、同配置転換がCの体調及び就労状況に伴う合理的な措置であったことからすれば、これを一般にうつ病を発症させる危険性を有する心理的負荷に当たると評価することはできない。
4 Cの甲状腺機能亢進症の影響
Cは、平成12年夏頃から全身倦怠感、易疲労、発汗、体重減少(約10kg)が出現したところ、問診等によれば、うつ病に伴う食欲低下以前に甲状腺機能亢進症による体重減少が進んだものと推認される。そして、医師の意見によれば、身体疾患の症状が精神面にも影響するとはいえ、甲状腺機能亢進症による不安感等の精神症状の発現も報告されていることからすれば、Cがうつ病を発症するに際し、甲状腺機能亢進症の影響があった可能性を否定できない。
5 まとめ
以上、Cのうつ病発症前後の業務の心理的負荷は、同種の平均的労働者にとって、一般的に精神障害を発症させる危険性を有する特に過重なものとはいえず、Cの個体要因として、甲状腺機能亢進症の影響があったことが否定できない。したがって、本件は、Cの業務と同人の精神障害の発症及び自殺との間に相当因果関係を認めることは困難であるといわざるを得ない。 - 適用法規・条文
- 収録文献(出典)
- 労働経済判例速報2056号16頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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