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函館労基署長(タクシー会社)脳内出血事件
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 函館労基署長(タクシー会社)脳内出血事件
- 事件番号
- 函館地裁 − 昭和56年(行ウ)第1号
- 当事者
- 原告個人1名
被告函館労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1989年12月21日
- 判決決定区分
- 棄却
- 事件の概要
- 原告(昭和6年生)は、昭和31年5月からタクシー運転手として稼働し始め、昭和36年1月にH社にタクシー運転手として雇用された。
H社におけるタクシー運転手の勤務は、泊り勤務、終車上り勤務の2形態からなり、これと勤務明け、公休日との組み合わせから勤務体制が作られている。このうち、泊り勤務は拘束24時間(午前8時30分から翌日午前8時30分)、実働16時間であり、終車上り勤務は拘束18時間(午前8時30分から翌日午前2時30分まで)、実働16時間である。H社における勤務体制は1週間単位で組み立てられ、第1日泊り勤務、第2日勤務明け、第3日終車上り勤務、第4日勤務明け、第5日終車上り勤務、第6日勤務明け、第7日公休日と、拘束60時間実働48時間週休体制であった。この基本勤務体制による所定労働時間は、「自動車運転者の労働時間の改善基準」(労働基準局長通達)で示された範囲内の労働時間で、右基本勤務体制は、当時のタクシー業界において一般的な勤務体制であった。
昭和49年5月13日午前1時過ぎ、原告は営業運転の途上、後方から追突されて側溝に転落し(本件追突事故)、「全身打撲、舌挫傷、左下腿擦過傷」との診断を受け、同月31日まで入院した後、「治癒」の診断を受ける昭和50年2月28日まで通院治療を受けた。
しかし、原告は症状が残るとして、被告に対し障害補償給付等の請求をしたところ、被告から障害補償区域に達しないとして不支給処分を受けた。
原告は、同年2月21日、タクシー運転業務に復帰したが、同日から同年6月12日までの期間は、H社により泊り勤務のない拘束54時間実働48時間の勤務形態をとることになった。原告は、同月13日から基本勤務体制とする勤務形態をとることになったが、この間特段のことなく推移した。
原告は、同年10月13日の公休日の後、14日泊り勤務(労働時間16時間)、16日終車上り勤務(同16時間)、18日終車上り勤務(同16時間)という勤務をなし、20日は当初公休日に当たっていたが、欠勤者があったため、原告はH社の求めに応じて終車上りの勤務に就いた。同日、原告はタクシー運転業務に入り営業運転を続けていたところ、午後9時40分頃乗客を乗せたままハンドルを握れない状態になり、H社に連絡した後脳出血により意識を失った。
原告の血圧は、顕著な高血圧値を示すことはなく、正常血圧を示すこともある一方、昭和49年5月13日(150‾110)、同年11月8日(130‾90)、昭和50年10月6日(160‾100)、同月20日から27日まで(192‾140)、昭和51年2月12日(120‾90)、昭和52年2月17日(134‾90)と、総じて正常血圧からやや高いレベルで推移し、動揺を繰り返しながらも境界域血圧、更には高血圧に至る動きを示していた。
原告は、被告に対し、本件脳出血の発症について業務上の疾病であると主張し、労災保険法に基づく療養補償給付の支給を請求したところ、被告は本件脳出血は業務上の疾病とは認められないとして、支給しない旨の処分(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務起因性の判断基準
労働基準法8章は、労働者が業務上疾病に罹った場合等における使用者の災害補償の義務を規定し、これを受けて労災保険法は、業務上の事由による労働者の疾病等に対して保険給付を行う旨規定するところ、右業務上の事由があるというためには、当該疾病が業務に起因していること(業務起因性)が必要である。そして、右業務起因性があるというためには、業務と当該疾病との間に相当因果関係があることを要し、労働者に基礎疾病が存在する場合、業務がその基礎疾病と共働原因となって当該疾病を発症させたと認められるときには右相当因果関係があると解するのが相当である。
2 本件脳出血における業務起因性の有無
原告は本件追突事故以前から、既に本態性高血圧症の基礎疾病を有しており、本件脳出血は、この本態性高血圧症の増悪により脳内の左側視床線状体内側枝の小動脈瘤が破裂して生起したというものである。そして、脳出血と業務の内容が脳出血のリスクファクターと何らかの関連性を有していることは明らかであるが、現在のところ、労働の内容の如何なる要素がどのように右リスクファクターと関連しているかの分析は不十分である、脳出血を発症させる引き金因子については、異常な興奮(驚愕、恐怖、緊張等を含む。)や物理的な強い衝撃が引き金因子になることがあり得るとする専門家が存在するが、現在のところ、学会で認められた引き金因子は存在しない。なお、タクシー運転業務それ自体が一般的に脳出血のリスクファクター又は引き金因子となるということはできない。そうすると、本態性高血圧症の増悪により脳出血が発症する場合、業務の内容の如何なる要素がどのようにリスクファクターと関係しているかが医学的には不明となるけれども、脳出血の発症に当たって業務がおよそ無関係としているわけではなく、業務が当該労働者にとって(肉体的又は精神的に見て)過重負担であると認められる場合には、如何なる機序によるかの点はこれを明確にできなくても、経験則上、右業務が脳出血の発症について増悪要因として作用したものと推認することが相当といえる。
要するに、業務が当該労働者にとって過重負担である場合において、右業務遂行中に脳出血が発症したとすれば、右業務が、当該労働者の有する基礎疾病たる本態性高血圧症とともに、右脳出血発症の共働原因となったものと見ることができ、この場合において、右業務と脳出血の発症との間に相当因果関係を認めることができるというべきである。
原告は、本件脳出血の発症時まで約15年余の期間タクシー運転手の業務に従事してきたところ、本件追突事故まで、とりたてて健康上の異常を意識したことはなく、本件追突事故を受けて入院及び通院治療をし、昭和50年2月28日治癒した。このような事情の下で、原告は同月21日に職場復帰し、同年6月12日までは負担の軽減された勤務形態で業務に従事し、欠勤等体調に特段のことなく推移した。その後原告は通常の勤務形態をとるに至ったが、この間も体調に特段のことなく本件脳出血時まで推移した。更に本件脳出血の発症当日の原告の勤務状況を見ると、当日は公休日とされていたのを、H社の求めに応じて終車上り勤務に就労したもので、この点は定型的な基本勤務体制に比較してより重い業務負担であったといえるが、かかる変則的な勤務形態への従事は欠勤者が出る等の場合に時折行われる措置で、長い運転歴を有する原告としては、かかる変則的な勤務形態が時として起こり得ることに適応しているものと推認され、その点で、10月20日当日が終車上り勤務に振り替えられた事実自体、必ずしも原告にとって加重負担とまではいえず、その他当日の勤務状況を見ると、特段他の勤務日と異なる事情はなく、むしろ当日は通常より暇な方であったといえる。
以上、復帰後本件脳出血発症時までの原告の勤務状況を見ると、勤務内容が原告にとって過重負担であるとはいえず、本件脳出血については、原告の業務が基礎疾病たる本態性高血圧症と共働原因となってこれを発症させたと見ることはできず、結局本件脳出血は、本態性高血圧症の自然増悪により発症したというほかないものである。したがって、原告の業務と本件脳出血の発症との間に相当因果関係あると認めることはできないから、本件脳出血について業務起因性が認められないとしてなされた本件処分に違法はない。 - 適用法規・条文
- 07:労働基準法8章,99:その他 労災保険法13条
- 収録文献(出典)
- 労働判例555号46頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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