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尼崎労基署長(タクシー会社)脳出血死事件
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 尼崎労基署長(タクシー会社)脳出血死事件
- 事件番号
- 神戸地裁 − 平成2年(行ウ)第7号
- 当事者
- 原告個人1名
被告尼崎労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1994年03月11日
- 判決決定区分
- 認容
- 事件の概要
- Yは、昭和54年3月、K社にタクシー乗務員として雇用され、夜間勤務のない日勤の勤務を続けていたが、K社の要求もあって、昭和59年11月21日から隔日勤務に代わった。Yは、日勤の当時は、午前6時半頃出庫し、3時間の休憩を挟んで午後5時ないし6時頃入庫するのを常とし、1日の乗車時間は150km前後であった。しかし、隔日勤務に変わった後は、1当務に1日の非番はあるものの、出勤日には午前6時前後には出庫し、2時間の休憩を挟んで翌日午前2時頃に入庫し、入金・洗車して午前3時ないし4時頃帰宅する生活となり、乗車時間は18時間前後、走行距離は1日260km前後に達するようになった。
Yの一般健康診断の結果は、昭和59年6月に両眼の網膜動脈硬化症と軽度の加齢による中心動脈の硬化が認められており、またYは、腰痛等で通院しているが、右通院期間中の同年6月に受けた検査結果では、胸部X線検査上心肥大が認められ、肥満の傾向が認められたものの、心電図には著変なく、血圧は144-82であったため、高血圧症に対する投薬治療は行われなかった。
Yは、昭和60年1月6日から17日間、9当務連続して勤務し、この間の休日の取得は1日であったところ、同月22日、タクシー走行中に何者かが飛び出して来たために驚愕してとっさにハンドルを切って事故を回避しようとし電柱に車体をぶつけ、そのままの状態で発見された。Yは病院に収容されて脳出血と診断されたが、2週間後に心衰弱で死亡した(死亡時63歳)。
Yの妻である原告は、Yは高血圧にもかかわらず過重な業務の連続で疲労していたところ、事故を避けようとした緊張で脳出血を発症したものであるから「業務上に起因した」疾病に当たるとして、被告に対し、労災保険法に基づく遺族補償給付等を請求した。これに対し被告は、Yの疾病及び死亡は業務に起因するものではないとして、不支給の処分(本件処分)としたことから、原告はこれを不服として審査請求、更には再新請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 被告が昭和60年5月21日付で原告に対してなした労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付、休業補償給付、遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 異常な出来事の有無
Yは、本件発症のために意識を失い、乗車車両を電柱に当てた状態で発見されたものであるところ、Yに外傷はなく、車両のバンパーの損傷も軽微であり、これによれば、Yはさほど高速度で走行はしていなかったと推認されるから、Yが本件発症時に事故回避のための運転行為をしたものとは認め難い。従って、本件発症が業務中の異常な出来事に遭遇したために生じたものと認めることはできず、これを理由として業務起因性を肯定することはできない。
2 基礎疾病と業務起因性
被災労働者の遺族に対して労災保険法上の給付が行われるのは、「労働者が業務上死亡した場合」であり、「労働者が業務上死亡した場合」とは、労働者が業務により負傷し、又は疾病にかかり、右負傷又は疾病により死亡した場合をいい、業務により疾病にかかったというためには、疾病と業務との間に相当因果関係がある場合でなければならない。そして、右の相当因果関係があるというためには、必ずしも業務の遂行が疾病の唯一の原因であることを要するものではなく、当該被災労働者が有していた既存の疾病(基礎疾病)が条件又は原因となっている場合でも、業務の遂行が右基礎疾病を自然的経過を超えて増悪させた結果、より重篤な疾病を発症させて死亡の時期を早める等、業務の遂行がその基礎疾病と共働原因となって死の結果を招いたと認められる場合には、相当因果関係が肯定されると解するのが相当である。
3 Yの業務の過重性
深夜勤務を伴う長時間の勤務は、昼働き、夜休息するという人間の自然な生活リズムに反するものであり、6ないし7当務連続という会社における隔日勤務は、健康な乗務員にとっても厳しい勤務であり、非番の日では疲労回復が十分でなく疲労が蓄積する傾向があるため、Yのように年齢も高く、高血圧症の基礎疾病を有する者にとっては、会社における隔日勤務は厳しい勤務であったと考えられる。特に昭和60年初めのYの勤務のような実質9当務連続の勤務は極めて厳しい勤務であったというべきであり、このような隔日勤務を連続することは、Yのような基礎疾病を有する者にとっては、過重な負担であったと認めるのが相当である。
もっとも、Yの業務量は、他の従業員に比べて決して多い方ではなかったといえるが、同じ業務量であっても、健康な者と基礎疾病を有する者とでは、業務によって受ける影響は異なり、またタクシー運転業務、特に夜間のそれは、身体的・心理的緊張による血圧上昇を伴うものである上、高血圧症の者は健康な者よりも血圧変動が大きく、上昇した血圧が下がりにくいことを考慮すれば、本件発症前のYの業務は、高血圧の基礎疾病を有する者にとっては、やはり過重なものであったというべきである。
4 本件発症の業務起因性
本件は、高血圧症の基礎疾病を有していたものの、さほど重篤なものとはいえず、しかも昭和59年11月初め頃には、投薬治療の必要はないとして生活指導を受けたのに止まるYが、酒、煙草等も嗜まないのに、その後4ヶ月も経ない間に脳出血を発症したものであるところ、前記の通り右発症前の業務がYにとって過重であったことを考慮すると、Yがその基礎疾病の自然的経過によって脳出血を発症したとは考え難い。むしろ隔日勤務に変わってから本件発症日までのYにとって過重な業務が、Yの基礎疾病を自然的経過を超えて増悪させ、そのために脳内小動脈瘤が血圧に耐えられなくなって脳出血が発症し、Yを死亡させるに至ったものと認めるのが相当である。
なお、被告は、Yは肥満及び糖尿病(疑い)等の危険因子をも有しており、これらの事情を勘案すれば、Yの高血圧症は自然的経過を超えて増悪したとはいえないと主張するが、Yの肥満及び糖尿病(疑い)は重篤なものではない上、肥満や糖尿病は脳梗塞の危険因子ではあるが、高血圧性脳出血の危険因子にはならないという疫学的な調査結果もあるから、右の肥満や糖尿病(疑い)があるからといって、直ちにYの本件発症が、その基礎疾患の慈善的経過によって生じたものとはいえず、右主張は採用し得ない。
以上によれば、本件発症はYの基礎疾患と業務が共働原因となって生じたものということができるから、本件発症には業務起因性があり、Yの死亡は業務と相当因果関係があると認めるのが相当である。 - 適用法規・条文
- 99:その他 労災保険法16条の2,17条
- 収録文献(出典)
- 労働判例657号77頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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