判例データベース
名古屋南労基署長(運輸会社)くも膜下出血死事件
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 名古屋南労基署長(運輸会社)くも膜下出血死事件
- 事件番号
- 名古屋地裁 − 平成2年(行ウ)第3号
- 当事者
- 原告個人1名
被告名古屋南労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1995年09月29日
- 判決決定区分
- 認容
- 事件の概要
- S(昭和24年生)は、昭和51年11月、T運輸に入社し、以後一貫してセミトレーラー(最大積載量23トン)の運転手として主に鋼材等の重量物の運送の業務に従事していた。
Sは、昭和60年2月、高血圧症、動脈硬化症の診断を受け、血圧測定で180‾100、210‾120であり、その後一時禁煙したり、頭痛薬を服用したりしていたが、専門医師による医学的治療を受けることはしなかった。なおSは、昭和62年2月には鼻血を出して耳鼻咽喉科で受診したり、同年9月には「急性鼻咽頭炎、咽頭出血」と診断されたこともあった。Sは、晩酌としてビール1本か日本酒2号を嗜み、喫煙も高血圧症と診断された後10ヶ月位禁煙したことがあったものの、その後は従前と同様、1日1箱位を吸っていた。
昭和63年2月1日から本件発症前日である同年3月1日までの間においてSの1日の労働時間が8時間を超えなかったのは2回にすぎず、時間外労働が恒常的に行われていたことが認められる。その上、その間に昼夜連続勤務が、本件発症直前の勤務を除き、合計7回に及んでいるところ、そのうち「自動車の改善基準」における2暦日における最大限の拘束時間21時間を超えなかったのは1回であり、何回かは右基準を大幅に超えていた。そして、この間4回にわたって、1日の最大運転時間である9時間を優に超え、合計7回に及ぶ昼夜連続勤務における運転時間の平均が13時間25分強、多い時には17、8時間にも達し、これらの昼夜連続勤務の後の休息期間は、いずれも基準の20時間を大幅に下回っていた。また、同年2月1日から14日までの2週間の総拘束時間は178時間に達するにもかかわらず、日曜日には休日が取られていなかった。
Sは、昭和63年3月1日、午前5時34分に出勤し、昼間勤務を終えて午後7時頃帰宅した。当初Sの勤務はこれで終了することになっていたが、急遽午後9時頃に出庫し、翌2日午前3時頃に目的地である沼津に到着する予定であったが、沼津に向かう途中の午前零時50分頃脳動脈瘤破裂を発症し、同日午前2時頃運転席で意識不明の状態にあるところを発見された。Sは病院に搬送されて治療を施されたが、同月9日午後1時10分、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のため死亡した。
Sの妻である原告は、Sの死亡は業務上の事由によるものであるとして、昭和63年6月8日、被告に対し遺族補償年金及び葬祭料を請求したところ、被告は業務上の事由とは認められないとして、平成元年3月24日付けで不支給処分(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として審査請求をしたが3ヶ月を経過するも決定がないとして、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 被告が原告に対して平成元年3月24日付けでした労働者災害補償保険法による遺族補償年金給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務起因性の判断基準
労基法及び労災保険法による労働者災害補償制度の趣旨は、労働に伴う災害が生ずる危険性を有する労働者について、右業務に内在ないし随伴する危険性が発現し、労働災害が生じた場合に、使用者の過失の有無にかかわらず、被災労働者の損害を填補するとともに、被災者及びその遺族の生活を補償しようとすることにあるものと解される。そして、労基法75条、79条等において「業務上負傷し、又は疾病にかかった(死亡した)」、労災保険法1条において「業務上の事由により」と規定するほか、何ら特別の要件を規定していないことからすると、業務と死傷病との間に業務起因性があるというためには、当該業務により通常死傷病等の結果発生の危険性が認められること、すなわち業務と死傷病との間に相当因果関係の認められることが必要であり、かつ、これをもって足りると解するのが相当である。そして、この理は本件脳動脈瘤破裂のような脳血管疾患及び虚血性心疾患等の非災害性の労災に関しても何ら異なるものではない。
これに対し被告は、労基法施行規則別表第1の2第9号に定める「その他業務に起因することの明らかな疾病」の認定に関しては、新認定基準にいう「業務による明らかな過重負荷」等の認定基準に該当する事実の存在が必要である旨主張する。しかし、労基法75条2項が業務上の疾病の範囲を命令で定めることとした趣旨は、業務上の疾病に関する相当因果関係は傷害の場合ほどに明確でないため、その点を命令で明らかにしようとしたことにあるのであって、これにより相当因果関係の認められる範囲を拡張したり、制限したりしようとしたものではないというべきである。また「その他業務に起因することの明らかな疾病」の認定に関する新認定基準についても、それはあくまで下部行政機関に対する運用のための通達であって、行政の適正、迅速処理のための判定基準を示したものに過ぎないから、相当因果関係の存否の判断を直接拘束するものでないことはいうまでもない。
本件脳動脈瘤破裂のような脳血管疾患の発症については、もともと被災労働者に素因又は動脈硬化等に基づく動脈瘤等の血管病変が存し、それが何らかの原因によって破綻して発症に至るのが通常であると考えられるところ、血管病変等は、医学上、先天的な奇形等を除けば、加齢や日常生活等がその原因と考えられており、血管病変等の直接の原因となるような特有の業務の存在は認められていない。また、血管病変等が破綻して脳動脈瘤破裂等の脳血管疾患が発症することは、血管病変等が存する場合には常に起こり得る可能性が存するものであり、右脳血管疾患を発症させる危険を本来的に内在する特有の業務も医学上認められていない。したがって、こうした脳血管疾患等の発症の相当因果関係を考える場合、まず第一に当該業務が過重負荷と認められる態様のものであること(業務過重性)が必要であり、更に「相当」因果関係が認められるためには、単に業務が脳血管疾患等の発症の原因となったことが認められるというだけでは足りず、当該業務が加齢その他の原因に比べて相対的に有力な原因と認められることが必要というべきである。
ところで、新認定基準等に沿って業務過重性を判断することにも一定の合理性があるが、業務過重性について、新認定基準等が、日常の業務に比して特に過重な肉体的、精神的負荷と客観的に認められる業務でなければならないとした上、客観的とは、「医学的に」、「急激で著しい増悪」の要因と認められることをいうのであるから、被災者のみならず、「同僚又は同種労働者」にとっても、特に過重な肉体的、精神的負荷と判断されるものでなければならないとしている点は、結果として相当因果関係の判断に特別の要件を付加することになるのであって採用できない。なぜなら、とりわけ医学的な証明を必要要件とすると、精神的、肉体的負荷の1つとされるストレスや疲労の蓄積といったものが高血圧症に及ぼす影響や高血圧症と脳出血の発生機序について、医学的に十分な解明がされているとはいい難い現状においては、被災労働者側に相当因果関係の立証について過度の負担を強いるおそれがあり、ほとんどの場合業務と脳血管疾患等との間の因果関係が否定される結果となりかねないこと、このような結果は、現在の社会の実情に照らし、労災補償制度の趣旨にも合致しないと考えられるからである。また、新認定基準等により業務過重性判断の基準とされる「同僚又は同種の労働者」についても、基礎疾患、健康等に問題のない労働者を想定しているとすれば、それは、多くの労働者が健康上の問題を抱えながら日常業務に従事しており、しかも高齢化に伴いこうした問題を抱える者の比率が高くなるといった社会的現実の存することが認められることを考慮すると、業務過重性の判断の基準を社会通念に反して高度に設定しているものといわざるを得ないものであって、採用できない。
そして、高血圧症等の基礎疾患を有する労働者の業務過重性の判断に当たっては、それが当該業務に従事することが一般的に許容される程度の基礎疾患を有する労働者であり、これまで格別支障もなく同業務に従事してきているといった事情が認められる場合には、当該労働者を基準として、社会通念に従い、業務が労働者にとって自然的経過を超えて基礎疾患を急激に増悪させる危険を生じさせるに足りる程度の過重負荷と認められるか否かにより判断するのが相当である。
2 業務起因性
Sは、時間外労働が恒常化した勤務体制の中で、昭和63年2月初め頃から同月20日頃までの間、休息を十分に取ることなく、休日も1回返上した上で、長時間にわたる昼夜連続勤務に連日のように従事し、身体的、精神的疲労を蓄積させ、その後もその疲労を回復することなく、慢性的、恒常的な過労状態に陥ったまま本件発症前日に至ったことが認められる。そして、そのような身体状況にあったSが、本件発症前日である昭和63年3月1日の早朝5時34分から午後6時までの間12時間以上にわたる昼間勤務を終えた後、引き続き予定外の昼夜連続勤務に就き、昼間勤務を終えて一旦帰宅する際、脳動脈瘤破裂の前駆症状とも目される頭痛と疲労を訴えていたというのであり、これら本件発症直前の就労の経過とその状況、Sの身体の状況等の事実を総合考慮すると、高血圧症の基礎疾患を有するSにとって、本件発症直前のその業務内容は日常業務に比較して著しく過重であり、その血圧を急激に上昇させるに足りるものであったことが認められる。
以上を総合すると、Sは過重な業務による精神的、身体的疲労を回復することなくこれを蓄積させ、その結果、急激な血圧上昇を起こしやすい身体的状態のまま発症直前に至り、発症当日に著しく過重な業務に従事したことが認められるから、右過重な業務によりSの血圧が自然的経過を超えて急激に上昇し、その結果、脳動脈瘤破裂の結果を招来したことが推認できる。
以上により、Sの業務は本件発症の相対的に有力な原因に当たるものとして、両者の間には相当因果関係があると認めるのが相当である。 - 適用法規・条文
- 07:労働基準法 75条,79条,
99:その他 労災保険法1条,16条の2,17条 - 収録文献(出典)
- 労働判例684号26頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
---|