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日刊新聞制作局次長自殺事件(うつ病・自殺)

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
日刊新聞制作局次長自殺事件(うつ病・自殺)
事件番号
長崎地裁 − 平成14年(ワ)第17号
当事者
原告個人1名

被告株式会社N新聞社
業種
サービス業
判決・決定
判決
判決決定年月日
2004年09月27日
判決決定区分
一部認容・一部棄却(確定)
事件の概要
被告は、日刊新聞を発行する株式会社であり、T(昭和17年生)は被告の社員であり、制作局次長の地位にあった者である。

 被告は、N新聞発行部数を20万部とする計画を立て、その一環としてフルページシステム(新聞作成の工程をコンピューターで全て処理するシステム)の導入計画を立て、平成6年12月に導入検討委員会を設置し、平成9年8月から段階的に移行し、同年10月からフルページシステムに完全移行する計画を立てた。Tは、フルページシステムへの移行計画の制作局の要となっており、また制作局次長兼制作部長として通常の業務である新聞発行作業を行う他にフルページシステムへの移行作業を行わなければならなかった。

 フルページシステムの移行計画はスタートしたものの、同計画には無理があったことから、研修が間に合わないという問題が生じたり、機械の不具合などが発生し、そうした中で、労使の代表で構成されるフルページ検証委員会の第1回会合が平成9年7月11日に開催され、組合側から移行計画の問題点が指摘されるなどし、同月24日の検証委員会で移行計画の1ヶ月延期が発表された。

 Tは、平成8年暮頃から独り言を言うようになり、平成9年6月末から7月にかけて頻繁に言うようになった。Tは、多忙のため、平成9年5月頃からは休日もほとんど休まずに出勤し、妻である原告に対し辛いと訴えるようになり、同年5月末頃には、勤務時間ではできないと言って、株式面を文字化する作業を自宅に持ち帰り、原告はTのことを思って、4日間にわたりほとんど1人で作業を行って文字化の作業を完成させた。

 Tは、同月27日(日)、午前10時30分頃、いつものように出勤し、その日は帰宅しなかったため、原告は午前2時、午前4時頃Tに電話をして異常がないか確認したところ、この時は事件は起きていなかったが、その後同日午前8時30分頃、警察署から原告に電話があり、Tの自殺を知らされた。

 原告は、Tの自殺は被告の安全配慮義務違反あるいは不法行為によるものであるとして、主位的にはTに対する慰謝料3000万円、予備的には原告と被告との間に雇用関係に準じた法律関係が発生しているとして原告固有の慰謝料3000万円を請求した外、労使間の労災補償協定書に定められている退職金3倍規定に基づく未払退職金4594万円を請求した。
主文
1 被告は、原告に対し、2000万円及びこれに対する平成13年5月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2 原告のその余の請求を棄却する。

3 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。
判決要旨
1 被告は債務不履行責任を負うか

 Tは、まじめで仕事熱心な性格であったことから、うつ病親和性があったといえるところ、Tは通常の新聞発行作業を制作部の要として行っていた他、フルページシステムへの移行作業に関しても制作部の要として関与するようになったことで、平成8年暮頃からは慢性的に疲労がたまるようになり、その上、平成9年5月頃からは休日も休まず出勤することでストレスがたまっていた上、同年6月頃からは睡眠不足となり、同年7月には原告もTが自殺するのではないかと考えるような状態になっていたのである。以上のようなTの状態からすると、Tは遅くとも平成9年7月にはうつ病に罹患していたといえる。

 Tはうつ病に罹患していたところ、同月にはフルページシステムの研修中であるのに、機械の故障が生じ、研修の予定が狂った上、同月24日にはフルページシステムへの移行計画が1ヶ月延期されたが、Tにとって、それだけではフルページシステム問題が解決できないと思えたのに、更に移行が1ヶ月延期されたことで被告に損害が生じると役員から責められたと感じ、うつ病が悪化していき、希死念慮に捉えられ、本件事件を引き起こしたと考えられる。以上からすると、本件事件は業務起因性(Tの業務とうつ病との因果関係及びTのうつ病と自殺との因果関係)が認められる。

 使用者は、労働者が労務提供のため設置する場所、設備若しくは器具等を使用し又は使用者の指示の下に労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負っている。安全配慮義務の具体的内容としては、事業者には労働環境を改善し、あるいは、労働者の労働時間、勤務状況等を把握して労働者にとって長時間又は過酷な労働とならないように配慮するのみならず、労働者が労働に従事することによって受けるであろう心理面又は精神面への影響にも十分配慮し、それに対して適切な措置を講ずべき義務があるものと解される。

 本件の場合、Tはフルページシステムへの移行計画が実施されたことにより、被告の制作局次長兼制作部長として通常の新聞発行作業を行う他にフルページシステムへの移行計画の作業を行わなければならなくなった上、Tは、制作局の仕事の要であると同時にフルページシステムへの移行計画の制作局の要であったのであるから、被告としては、Tが上記労働によって受ける心理面又は精神面への影響を配慮して、適切な処理をすべきであり、しかも、Tは中間管理職として労使の板挟みになり得る地位にいたのであるから、その点についても被告としては十分に配慮すべきであった。そして、被告が、Tの置かれた状況を配慮し、適切な処理を行っていれば、Tのうつ病を早期に発見することができ、本件事件を防ぐことができた可能性が極めて高いといえる。ところが、被告は上記配慮を一切せず、Tがうつ病に罹患したことも把握できずにいたのであり、その結果、本件事件が引き起こされてしまったのであるから、被告には安全配慮義務違反があったことは明らかである。よって、被告は、Tに対して債務不履行責任を負う。

2 被告は不法行為責任を負うか

 労働者が長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは周知のところである。労働安全衛生法65条の3は、作業の内容等を特に限定することなく、事業者は労働者の健康に配慮して労働者の従事する作業を適切に管理するよう努めるべき旨を定めているが、これは上記のような危険が発生するのを防止することをも目的とするものと解される。このことからすれば、使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であり、使用者に代わって労働者に業務上の指揮監督を行う権限を有する者は、使用者の上記義務の内容に従って、その権限を行使すべきである。

 本件の場合、被告が、Tの置かれた状況を配慮し、適切な措置を行っていれば、Tのうつ病を早期に発見することができ、本件事件を防ぐことができた可能性が極めて高かったのに、上記配慮を一切せず、Tがうつ病に罹患したことも把握できずにいたことから本件事件が引き起こされてしまったのであり、被告には過失があったことは明らかであるから、被告は本件事件について不法行為責任を負う。

3 原告と被告との間には雇用関係に準じた法律関係が発生するか

 雇主と雇用契約ないしこれに準ずる法律関係にない者が、雇用契約ないしこれに準ずる法律関係上の債務不履行により固有の慰謝料請求権を取得するものとは解し難い。本件の場合、確かに、原告は自宅において、4日間、株式面を文字化する作業を行い、文字化の作業を完成させたが、このことから、直ちに原告と被告との間に雇用契約あるいはこれに準ずる法律関係が生じたと認めるに足りる証拠がない以上、原告が被告に対し、安全配慮義務違反によるTの死亡に伴う原告固有の慰謝料請求権を有することになるとはいえない。

4 過失相殺が認められるか

 身体に対する加害行為を原因とする被害者の損害賠償請求において、裁判所は加害者の賠償すべき額を決定するに当たり、損害を公平に分担させるという損害賠償法の理念に照らし、民歩722条2項の過失相殺の規定を類推適用して、損害の発生又は拡大に寄与した被害者の性格等心因的要因を一定の限度で斟酌することができる。この趣旨は、労働者の業務の負担が過重であることを原因とする損害賠償請求においても、基本的に同様に解すべきである。そして、労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない限り、裁判所は業務の負担が過重であることを原因とする損害賠償請求において使用者の賠償すべき額を決定するに当たり、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を、心因的要因として斟酌することはできないというべきである。

 本件の場合、第一に、Tにはうつ病親和性があったといえるが、これは通常の性格傾向の一種といえるものであり、これを理由として損害賠償の減額事由とすることはできない。第二に、T自身が病院に行かなかったことに関しても、Tの性格から勤務を休んで病院へ行けなかったと考えるのが合理的であり、Tが病院へ行かなかったことも、Tの過失と見ることはできない。第三に、Tに業務外の事由においてうつ病を発生させる原因があったとは認められない。第四に、原告は、Tの心理的負荷等が過度に蓄積していることを少なくとも平成9年5月頃から認識し、同年7月にはTの自殺を心配するようになっていたとしても、Tの性格からすると、原告がTに休暇を取らせるよう期待するのは困難であり、また、被告側がTの労働条件が過重にならないように配慮し、Tの健康状態に配慮すべきであったのであり、そのような配慮をしていない以上、被告が過失相殺を主張することは許されない。第五に、うつ病に罹患した者は健康な者と比較して自殺を図ることが多いことに加え、Tの場合、フルページシステムへの移行計画に関して労使双方の板挟みに遭い、フルページシステムへの移行計画も思うように進まず、うつ病が悪化していく中で自殺という選択をしたのであり、このような事情からすると、被告に損害の全額の賠償を求めるのが公平に合致しないともいえず、本件において過失相殺の類推適用は認められない。

5 Tに本件三倍規定の適用があるか

 労働協約は、締結当事者である労働組合の組合員に対してのみ効力を生じ、それ以外の社員には効力が生じないのが原則である。しかし、労働組合法は、一つの事業場に常時使用される同種の労働者の4分の3以上の数の労働者が一つの労働協約の適用を受けるに至ったときは、当該事業場に使用される他の同種の労働者に関しても、当該労働協約が適用される(事業場単位の一般的拘束力)。そして、事業場単位の一般的効力が適用されるには、Tが同種の労働者に該当することが必要になるが、非組合員である管理監督者は、労働組合法上労働協約の適用を予定されていない者であり、同種の労働者に該当しないものと解され、Tは制作局次長兼制作部長であることからすると、Tに本件労災協定が適用されるとまでは認められない。

6 慰謝料の額

 Tは被告のために一生懸命稼働していたにもかかわらず、被告が本件事件を防ぐための措置をとらず、そのため本件事件が引き起こされたことからすると、Tの慰謝料額は3000万円とするのが相当である。本件の場合、T個人の慰謝料請求が認められる以上、原告固有の慰謝料の額については判断しない。

 労災保険法附則64条1項は、労働者の遺族が遺族補償年金を受けるべき場合であって、同一の事由について、事業主から民法その他の法律による損害賠償を受けることができる場合の当該損害賠償と保険給付との間の調整措置を定めているが、ここに同一の事由とは、労働災害が同一であることはもちろん、賠償や補償の対象である損害の種類の同一性も要求されるところ、慰謝料は、労働者の稼得能力の回復・填補を趣旨とする労災保険給付による填補の対象とはなっていないのであるから、上記調整の対象になることはない。したがって、原告が遺族補償年金を受給しているとしても、そのことが慰謝料額に影響を及ぼすものではない。特別弔慰金1000万円は慰謝料3000万円から控除される。
適用法規・条文
02:民法415条、623条、709条、722条2項,

99:その他 労災保険法附則64条1項,

99:その他 労働安全衛生法65条の3、69条,

12:労働組合法17条,
収録文献(出典)
判例時報1888号147頁
その他特記事項