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S児童相談所調査員頸肩腕症候群控訴事件

事件の分類
職業性疾病
事件名
S児童相談所調査員頸肩腕症候群控訴事件
事件番号
大阪高裁 − 昭和59年(行コ)第49号
当事者
控訴人 地方公務員災害補償基金兵庫県支部長
被控訴人 個人1名
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1989年08月29日
判決決定区分
原判決破棄(控訴認容)
事件の概要
 被控訴人(第1審原告・昭和21年生)は、短大卒業後、昭和43年4月兵庫県職員として採用され、児童相談所で児童相談業務に従事してきた女性である。

 被控訴人らケースワーカーは、来所者に面接をした後カルテの整理を行い、判定措置会議を経て措置関係の文書の作成及びカルテの整理を行うが、関係書類はいずれもカーボン紙による複写をしながら作成するため、ボールペンにより相当の筆圧をかけて記入することが求められた。また、ケースワーカーは付随業務として、巡回相談、訪問調査、児童移送、児童実態調査、在宅重症心身障害児訪問指導その他の業務があった。

 被控訴人は、昭和47年5月以降心身障害相談係に配置されたところ、頭重感や肩凝り、身体のだるさを覚え、昭和48年に入ると、疲労がひどくなり、同年3月7日に整形外科を受診したところ、頸肩腕症候群との診断のもとに投薬治療を受けたが、仕事は継続した。しかし、被控訴人の症状は右治療によっても改善されず、むしろ悪化したため同月26日から休業に入った。ところが、被控訴人の症状は休業前よりもむしろ重くなり、更に別の病院において極超短波治療や牽引、マッサージ、投薬鍼灸、体操等の治療を受けた結果、若干症状が軽減したため、同年7月23日から職場復帰した。しかし、被控訴人はなお昭和50年頃までは午前中通院して午後半日の勤務を続け、昭和52年及び53年は概ね毎日3時間欠勤、その後の1ヶ月平均の全日勤務(それ以外の日は3時間欠勤)は、昭和54年9.4日、同55年9.2日、同56年8.4日、同57年は6.9日となっていた。

 被控訴人は、本件頸肩腕障害は公務上の災害であるとして、控訴人(第1審被告)に対し、地方公務員災害補償法に基づく公務災害認定請求をしたところ、控訴人は被控訴人の障害は公務に起因するものではないとして、公務外災害と認定する処分(本件処分)をした。被控訴人は本件処分を不服として審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却されたため、本件処分の取消を求めて本訴を提起した。

 第1審では、業務が相対的に本件疾病の有力な原因になっているとして、公務起因性を肯定し、本件処分を取り消したことから、控訴人はこれを不服として控訴に及んだ。
主文
1 原判決を取り消す。

2 被控訴人の請求を棄却する。

3 訴訟費用は第1、2審とも被控訴人の負担とする。
判決要旨
1 公務起因性の行政的判断基準

 地方公務員災害補償法に基づく補償の請求をするには、災害が公務により生じたものであることを要するところ、控訴人理事長は、公務災害の認定を迅速、適正、斉一的に行うための指針「公務上の災害の認定基準について」(昭和48年11月26日地基補539号)を発し、右通知のうち特殊疾病の取扱いに関し「キーパンチャー等の上肢作業に基づく疾病の取扱いについて」(昭和45年3月6日地基補123号。昭和53年に改正されたものを以下「昭和53年通知」という。)を発していること、昭和53年通知等の内容は、穿孔、印書、電話交換又は速記の業務、金銭登録機を使用する業務、引金付き工具を使用する業務その他上肢に過度の負担のかかる業務による手指のけいれん、手指、前腕等の腱、腱鞘若しくは腱周辺の炎症又は頸肩腕症候群に関し、労働省労働基準局長が発した「キーパンチャー等上肢作業に基づく疾病の業務上外の認定基準について」(昭和44年10月29日基発723号。その後昭和50年2月5日基発59号に改正。以下「昭和50年通達」という。)に則って定められていることが認められる。

2 通達等を判断基準とした公務起因性の判断

 昭和50年通達等によると、当該頸肩腕症候群が業務上のものとして扱われるべき要件として、上肢の動的筋労作又は静的筋労作を主とする業務に相当期間継続して従事した職員であることを要するとしているところ、動的筋労作とは、打鍵作業などの手、指を繰り返し反復するような作業、更にカード穿孔機・会計機の操作、電話交換の業務、速記の業務のように、主として手、指の繰り返し作業をいうのであり、また静的筋労作とは、ベルトコンベヤーを使用して行う調整、検査作業のように、ほぼ持続的に主として上肢を前方或いは側方挙上位に空間に保持するとか、顕微鏡使用による作業のように頸部前屈など一定の頭位保持を必要な作業をいうとされている。被控訴人の従事した業務は、種々の雑務が混入するいわゆる混合作業であって、これらをもって、上肢の動的筋労作又は静的筋労作を主とする業務ということができないことは明らかであるから、右通達等を基準として被控訴人の本件疾病と公務との間に因果関係を認めることはできない。

3 通達等によらない場合の相当因果関係の判断

 昭和50年通達等の趣旨に従って考えると、業務量が同種の他の公務員に比較して過重である場合、又は業務量に大きな波がある場合には当該公務と疾病との間に相当因果関係があると解されることもあり得る。

 被控訴人が従事した業務のうち、面接作業については、配置から本件発症に至るまでの間の業務量は、被控訴人に有利にみたとしても、所内勤務1日当たり1.8件前後であり、到底過重な業務量といい得るものではなく、巡回相談等出張による面接についても、巡回相談等は継続的に行われており、その回数も出張1回当たり2件ないし7件弱であって、業務の過重性を窺わせるものはない。書字作業に関し、文書処理件数及びカルテ整理件数についてみると、右件数100件以上を示すのは昭和45年8月、同47年7、8月及び12月であるところ、その業務は定型的に処理の可能なものであって、かつ被控訴人において処理方向、処理の時期を任意選択の可能な事務であったということができ、加えてその際作成する措置停止書の複写作業にしても、さほどの筆圧を要するものとは認め難い。そうすると、被控訴人が強調する措置停止事務の業務量は、その件数に比し軽易な業務ということができる。また、その余の文書処理件数及びカルテの整理についてみるに、その処理件数自体(1日当たり6、7件)からしてさほど業務の過重性を思わせるものではない。そして、右のような文書を複写で作成するにしても、その複写枚数が2ないし4部で、カーボン紙を用紙の間に挿んで行うものであり、種々の事務処理の中で行われるものであって、終日これに従事するものではないこと等の諸事情からすると、これをもって過重と評し得る程の業務ではない。児童福祉施設入所措置書作成件数は、他のケースワーカーに比し少ない方ではないと認められるが、それをもって業務過重と評し得る程の件数ということはできない。一斉調査については、被控訴人の担当した件数が81件であり、平均件数が95件であり、100件以上の処理をしている者がいることからすると、右過重であったと認めることはできない。児童の移送、重症心身障害児の移送の際に被控訴人が児童を抱えたり、不自然な姿勢を取ることがあるが、その機会が少なかったことに照らすと、過重な作業とはいえない。以上の業務のほか、被控訴人は判定措置会議に出席し、3歳児精密検診に従事し、情緒障害児治療学級へ参加し、日直、受付業務に従事し、各種研修に参加し、統計、自己及び相談指導課長の旅費請求書を作成し、カルテの廃棄作業に従事するなどしたが、これらはケースワーカーあるいは公務員として通常従事する業務の域を出ず、これをもって過重な業務とは到底いえない。

 被控訴人は、業務量に波があったと主張するが、本件発症前1年間における被控訴人の業務における波として顕著なのは、昭和47年7、8月、12月及び昭和48年1月におけるカルテ及び文書処理のそれであり、その他の時期及び面接業務はさしたる波もなく経過している。そして、右波は、夏休みと冬休みの措置停止事務が集中したためであると認められるところ、その実質的業務量自体は、件数に比し軽易なものということができる。更に、被控訴人の所内勤務日数、出張日数を含む実質勤務日数は、昭和45、46年の所内勤務日数がやや多い以外、いずれも他のケースワーカーの平均日数より日数が少なく、また被控訴人の年休取得日数等無就労日数は、他のケースワーカーの平均日数より毎年多いことなどからすると、被控訴人において多少の疲労があったとしても、右年休等を取得することによって回復する余地はあったということができる。被控訴人の時間外勤務が他のケースワーカーの平均に比し多いが、時間外勤務の把握に疑問があるほか、仮に他のケースワーカーに比し多かったとしても、被控訴人の勤務内容、状況に徴すると、これをもって直ちに業務が過重であったとの結論を裏付けるには至らない。また、被控訴人の出張日数が他のケースワーカーに比し、際立って多いとか、変動が大きいということはできない。

 被控訴人は、本児童相談所におけるケースワーカー等の人員配置が厚生省の示す基準より少なかったと主張するが、これは今後の望ましい方向を示したものであって、その人員を満たさなければ職員の業務量が過重になり望ましくないとしているものではない。昭和47年12月13日から同48年1月9日まで被控訴人と同一係の同僚が、同47年11月4日から同48年2月26日まで他の係の同僚がそれぞれ休業したが、被控訴人は同47年11月30日から12月22日まで研修に参加していたので、右期間中は両名の休業の影響を直接受けることはなく、その後においても被控訴人の業務量が際立って変動したものとは認め難い。また、本児童相談所における執務環境についてみると、冷暖房設備、照明設備、電話、椅子などの設置程度、内容は被控訴人ら職員の求めるところと完全に一致するものではなかったとしても、被控訴人の体調に影響を及ぼすような劣悪なものであったとは到底いうことができない。

 以上、検討したように、被控訴人が本児童相談所において従事した業務量が肉体的・精神的に過重なものであり、あるいはその業務量に大きな波があるということは認め難いといわざるを得ない。もっとも、被控訴人は、業務が過重であるかどうかは当該労働者の体力を基準にして判断すべきである旨主張するかのごとくであるが、当裁判所は、被控訴人主張のように被控訴人の体力を考慮したとしても、被控訴人の従事した業務が過重であったとの心証を得るに至らないし、また右主張にも賛同し難い。何故ならば、業務と頸肩腕症候群との間に相当因果関係があるといい得るためには、業務上の負荷が本人の素因等、考えられる公務外の要因と並ぶ相対的に有力な発症原因として指摘することが医学的にも肯定される程のものである場合でなければならない。しかして、昭和50年通達等において認められている一定の職種においては、一定量以上の業務に従事した場合に頸肩腕症候群が発症したとき、これを業務に起因するものとみることに医学的にも納得のいくものと解されているのであるが、そうでない職種或いは業務においては、頸肩腕症候群の発症機序について医学的に十分には解明されず、かつ、業務従事とは関係なく発症するなど原因不明とされる症例も多くあるとされていることが広く知られていることからして、一般的な業務量によることなく、個人的な要因である体力などという事情を考慮に入れて業務量の過重の有無を判断することになると、その頸肩腕症候群が果たして業務に起因するものか、あるいは体力を含む個人的素因等が原因となって発症したものかどうかが結局のところ判断し難くなるのである。したがって、業務と疾病との間に相当因果関係があるかどうかの判断の前提としての業務量は一般的な業務量を基準にして判断するのが正当というべきである。

 被控訴人は、昭和43年4月、本児童相談所に配置されて以後、昭和47年4月に受診するまで特に医師の診断を受けることなく経過していること、いい加減に処理することができない性格であること、昭和44年から組合活動に参加し、昭和47年9月には青婦協副議長に選出され、時にはビラのためガリを切ることもあったこと、所長から脅しを受けるなど組合活動に関し職場でかなりのストレスを感じていたことが認められる。

 そこで、以上において認定した事実を前提に本件疾病と公務との関連について検討するに、被控訴人の従事した業務は、これに従事している者が本件疾病である頸肩腕症候群を発症したとき、右業務と疾病との間に相当因果関係が認められるとして一般に認められた場合でなく、また被控訴人の業務が一般的にみて過重といえる程のものではないし、その業務に目立った大きな波が認められず、更に被控訴人が置かれた執務環境等も格別劣悪なものではなく、他方、被控訴人は本件疾病発症後業務を軽減され、少なくとも右発症後10年を経過するも明確な改善は認められず、また右発症前において、被控訴人は職場における組合活動等を巡る人間関係において精神的苦痛を感じる状況になかったとはいえないし、その他右疾病治療の過程においてではあるが、低血圧の傾向を示しているなど、被控訴人の従事した業務の業務量、業務態様、執務環境及び本件疾病の発症前後の経緯等からすると、被控訴人の従事した業務が本件疾病発症に何らかの関連を有することは否定できないとしても、右業務に従事したことが相対的に有力な発症又は増悪の要因となったものとは認め難いといわざるを得ず、本件疾病は、むしろ、むしろ被控訴人の身体的ないし精神的要因が絡み合って発症した疑いがあり、結局、被控訴人の本件疾病と公務との間には相当因果関係は認められないというべきである。
適用法規・条文
99:その他 地方公務員災害補償法26条、28条、45条
収録文献(出典)
判例時報1380号54頁
その他特記事項