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S林業急性心筋梗塞死事件
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- S林業急性心筋梗塞死事件
- 事件番号
- 名古屋地裁 - 昭和52年(ワ) 第3147号
- 当事者
- 原告個人3名 A、B、C
被告S林業株式会社 - 業種
- 建設業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1989年01月01日
- 判決決定区分
- 棄却
- 事件の概要
- Hは、昭和33年3月、被告に入社し、昭和51年12月9日から昭和52年5月7日まで被告仙台支店建材課に課長補佐として勤務しており、同課に課長が置かれていないことから、課の中心的な立場にあった。
Hは、当初家族を東京の社宅に残して仙台に単身赴任し、昭和52年1月23日に家族が同居するまでの間、ホテル住まいを余儀なくされた。Hは同月末頃から妻に疲労を訴えるようになり、同年4月からは、疲労を訴えたり多忙をこぼしたりする度合いも増え、体もやつれたが、医者には行かなかった。また、同月下旬、Hは山形、酒田、秋田、盛岡に出張したとき、Hが居眠り運転し、トラックに衝突しかけたこともあった。
Hは出張から帰った同月29日、30日、5月1日は休んで在宅し、同月2、3、4日は出勤し、5日は自宅近くへ行き、6日は出勤し、7日は在宅していたところ、午後6時頃胸部を押さえて苦悶し始め、酸素吸入、人工呼吸がなされたが、午後7時頃急性心筋梗塞により死亡した。
Hの妻である原告A、Hの子である原告B及び同Cは、Hの死亡は苛酷な労働に起因するものであり、被告には安全配慮義務違反があったとして、既に支払を受けた厚生年金及び遺族年金並びに弔慰金を控除し、固有の慰謝料400万円を含む800万円を原告それぞれに支払うよう要求した。 - 主文
- 1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。 - 判決要旨
- 鑑定人の鑑定の結果を併せ考えると、Hは、(1)仕事の内容が主として坐業であり、激務のため定期的運動をする余裕がなく運動不足を来したこと、(2)度々の出張による精神的・肉体的疲労が蓄積したこと、(3)中間管理職として実質上の責任者であり、各月の目標達成への圧迫、他の競合者との激しい競争関係、仕事を取り巻く激しい状況等から精神的に負担が多く、かつ責任感が強く、仕事熱心な性格から休日や退社後も職務から精神的に解放されない日常生活を送ったため慢性的なストレスを蓄積させたこと、(4)仙台支店への単身赴任により生活の激変等をもたらしたこと、以上の経過のもとでHの冠動脈硬化症は悪化し急性心筋梗塞を起こし死亡するに至ったと推認するのが相当である。してみれば、Hの死亡とHの仙台支店における勤務とは因果関係があると認めるのが相当である。
ところで使用者は、労働契約に基づき、労働者の安全と健康につき配慮する義務があると解されているが、右義務は一定の身分関係に基づく一般的かつ無限定の庇護義務的なものではなく、労働契約の場における具体的結果発生阻止義務的なものと解するのが相当である。即ち、使用者は、労働契約に基づく労働者からの労務提供を受領するに当たり、時間、場所、方法、態様等を指示し、又は機械、器具を提供することが予め合意されている場合があり、かかる場合、使用者としては、右具体的な労務指揮又は機械、器具の提供に当たって、右指示又は提供に内在する危険に因って労働者の生命及び健康に被害が発生しないように配慮する義務があると解するのが相当であり、右労務指揮等の場面を離れて、労働者の健康一般につき無制限の配慮義務が使用者にあると解することはできない。
以上の観点に立って判断すると、Hが被告との間に締結された労働契約存続中に健康を害し、死亡した一事をもって、使用者たる被告に安全配慮義務の不履行があるということはできない。Hは冠動脈硬化症ひいては急性心筋梗塞にかかる素因を有していたことは明らかであり、被告がHに命じた仕事は、健康な者に対するものであれば格別苛酷、過重なものとはいい難いが、右の如き危険な体質、原因を持つ者に対する労務指揮としては過重な負担を課するものであったというべく、被告としては差し当たって出張を減らすとか、他の職務を一部免除するなどしてHの負担を軽減する義務があったと解するのが相当である。するとこの点につき配慮を欠いた被告の右労務指揮は、Hの生命及び健康を確保するにつき配慮する義務を十分に履行しなかった不完全履行に当たると認めるのが相当である。
被告は、Hの死の結果を予見することは不可能であったと主張する。そして客観的に判断する限り、被告がHの死亡を予見することが可能であったことを認めることはできない。本来自己の体調の異常や健康障害の兆しは、特段の事情がない限り、自己が真っ先に気付くものであり、これに基づいて本人自らが健康管理の配慮をするものである。しかるに、H自身医師の診察を受けたこともなく、僅かに妻に疲労を訴えていたに過ぎず、H本人のみならず同居していた妻も異常を知らなかったのであり、右事実はHないしは家族すらHの健康障害ましてや死の結果等を予見し得るような状況ではなかったものというべきであり、被告がこれを予見することは不可能であったといわざるを得ない。
更に原告は、適切な健康診断により死の結果を予見すべきであったと主張するが、被告は健康診断を行ったこと、昭和52年4月には支店長がHを健診に誘ったが、同人は「私は大丈夫」と言ってこれを受けなかったことが認められる。以上の事実からみると、Hは多忙であったとはいえ、健康診断受検のための余裕を作るため上司に申し出るとか、自ら仕事内容を調整することは立場上可能であったと推認されるにも拘わらず、かかる所為に出たことを認めるに足りる証拠もなく、被告において強制的にHに健康診断を受けさせる義務があったことを認めるに足りない以上、Hは自己の健康に対する過信からか健康診断を怠ったといわざるを得ず、その責任は同人が負うべきものと判断される。更に昭和51年6月、昭和52年4月に行われた健康診断をHが受診していたとしても、その内容からは冠動脈疾患の有無を見出すには極めて不十分であり、冠疾患危険因子の存在を予知し、本件死を防げたと推認することはできず、本件死亡の危険を予知し得べき健康診断の内容としては、被告の実施項目の外心電図検査、血清コレステロール値測定、詳細な問診を行うことが必要であったと認められるところ、労働安全衛生法、労働安全衛生規則には右各項目について実施義務を定めていない。確かに右規則は最低限を定めたものであって、右内容のみを実施していれば使用者は常に被用者に対する健康管理義務を尽くしたとはいえないことは勿論であるけれども、Hの地位、職務内容、年齢、従前の健康状態等からみて、被告が実施した前認定以上の内容の項目の健康診断を強制的にHに対してすべきであったとまでいうことは到底できない。従って被告において予見義務違反があったとはいえない。
以上によると、Hの発病ないしは死について、被告は予見可能性がなかったものというべく、結局被告の前記生命ないしは健康確保義務不履行は、被告の責に帰すべき事由に基づかないものといわねばならない。 - 適用法規・条文
- 02:民法415条、709条
- 収録文献(出典)
- 労働判例378号64頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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