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地公災基金京都府支部長(京都市立中学校)教員脳内出血死事件
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 地公災基金京都府支部長(京都市立中学校)教員脳内出血死事件
- 事件番号
- 京都地裁 − 昭和59年(行ウ)第27号
- 当事者
- 原告個人1名
被告地方公務員災害補償基金京都府支部長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1990年10月23日
- 判決決定区分
- 棄却(控訴)
- 事件の概要
- 甲(大正11年生)は、昭和25年9月助教諭、昭和26年7月教諭に任命され、京都市立の各中学校に勤務した後、昭和47年4月から昭和53年3月までT中学校に勤務した。T中学校は、いわゆる同和関係校で、甲は通常の教科担当、クラス担任その他の校務のほか、同和地区生徒に対する毎週の学習会活動、毎月の家庭訪問、庶務部長、育友会書記、互助・共済組合担当、クラブ顧問等を受け持っていた。
甲は昭和53年4月からS中学校に勤務し、3年生のクラス担任となり、転任直後から一般の教科指導と併せて進学問題についての職務にも取りかかったほか、間近に迫った修学旅行の準備に追われた。甲は、同年4月2、9、16、23、29、30日、5月3、5、7日に休日を取ったほか、4月3、4、6日は自宅待機となっており、出勤日は概ね午後6時までには退庁していた。
同年5月12日、甲は風邪を引きながら修学旅行の引率のため、朝京都を発って三島からバスで箱根に着いたが、気分が悪いため、生徒が見学に出る中、バス内で休んでいた。同日午後3時25分頃、見学から帰った教諭が甲の異常な様子に気付き、付添医師が診察した後、午後4時5分に甲を救急車で病院に搬送したが、午後4時30分死亡が確認され、死因は脳内出血とされた。
甲の妻である原告は、主位的には甲の発症及び死亡は公務に起因すること、また、予備的には、仮に甲の発症について公務起因性が認められないとしても、甲は発症後時機を失することなく適切な措置を受けていれば少なくとも生命は助かったはずであるのに、発症後直ちに異常を発見されず、そのため適切な処置を受ける機会を失って死亡したものであるから、甲の死亡と公務との間には因果関係があり、公務災害に当たると主張して、被告に対し、地方公務員災害補償法に基づいて公務災害認定請求をした。これに対し被告はこれを公務外認定処分(本件処分)としたことから、原告は、本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 公務上災害の判断基準について
地公災法が、労働者災害補償保険法、国家公務員災害補償法などと同様に、労働基準法の使用者による災害補償制度を基礎に発展してきた労災補償制度の一環であること、現行の労災補償制度は、労働関係に内在ないし通常随伴する危険により生じた労働者の死亡、負傷等の損失を、その危険の違法性や使用者の過失の有無を問わず、いわゆる従属的労働関係に基づき労働力を支配する使用者の負担において補償しようとするものであることに照らし、公務に関連する発症ないし死亡のすべてを補償の対象とすべきものと解することはできない。
地公災法31条にいう「職員が公務上死亡した場合」とは、職員が公務に因り死亡し、若しくは疾病に罹り、若しくはこれらにより死亡したものを指し、右の死亡、負傷又は疾病と公務との間に相当因果関係のあることが必要であり、かつこれをもって足る。そして、公務上災害であることを主張する原告において、この事実と結果との間の相当因果関係を是認し得る高度の蓋然性を証明する責任、即ち通常人が合理的疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得る程度の立証をする責任があると解するのが相当である。
原告は、相当因果関係の内容が不法行為におけるものよりも軽減されるべき旨主張するが、公務災害と認めるのに必要な相当因果関係は、使用者である地方公共団体自身において、予見していた事情及び健全な常識と洞察力のある者が認識し得た一切の事情を前提として、公務によって所属職員の疾病又は死亡が生じたもので、これが公務に内在し又は通常随伴して生ずるものといえること、即ち、公務なければ疾病、死亡がないといえる関係、またはそれが同種の結果発生の客観的可能性を一般的に高める事情にあると判断されることが必要である。民法の不法行為では、事実上の因果関係と保護範囲ないし額の問題とを区別する必要が生ずるのに対して、地公災法上の死亡、疾病と公務の起因性においては、公務起因性が認められる以上、その責任の範囲ないし額に差異を設ける余地はない点で、不法行為の事実上の因果関係と異なる面があり、公務起因性の場合には相当因果関係につき結果発生の客観的可能性の予見ないし予見可能性が必要であると考える。しかしながら、この相当因果関係は、この点を除き、不法行為における相当因果関係と異ならないのであって、原告の右主張は失当である。
他方、被告は、被災職員の死亡が公務上と認定されるためには一定の時間的限定をもった明確な事由としての「災害」の存在が必要である旨主張する。しかし、地公災法31条等が補償の要件として、単に「公務上の死亡」等を挙げるのみで、これと区別された被告の主張する不慮の出来事という意味での「災害」を必要とする旨の規定は存在せず、かえって同法1条は、災害とは「負傷、疾病、障害又は死亡をいう」と定義しているのであって、現行労災補償制度が、沿革的に右の意味における災害(施設欠陥、天災地変、第三者の行為等)のみに止まらず、これによらない業務上疾病(災害性疾病と職業性疾病)をも併せて補償の対象としていることに照らすと、被災職員の死亡が必ずしも被告がいう「災害」によって生じたものではなくても、死亡ないしその原因となった負傷ないし疾病と公務との間に相当因果関係がある限り「公務上の死亡」と認定すべきものである。
2 甲の死亡の公務起因性
T中学校における甲の職務は、同和関係校でもあり、また渉外担当として週2、3回、午後7時から9時頃まで勤務する必要があり、負担の多い職場であったことは否めない。また、昭和52年度末に残務整理が多かったことが認められるが、これが特に過重な業務とはいえないし、これらの疲労が重なり甲の小脳血管の脆弱化をもたらしていたことを認めるに足る的確な証拠はない。6年間のT中学校及び昭和53年4月以降のS中学校における職務に従事していた当時においても、特に持続的な血圧上昇があるとはいえず、またその間に特異な一過性の血圧上昇があったことを認めるに足る証拠はない。したがって、たとえ甲の疾病が小脳出血であるとしても、これと甲の公務との間に相当因果関係を認めることはできない。
また、本件修学旅行の引率につき突発的な異常事態は発生しておらず、甲は従前にも前後8回にわたり修学旅行の引率をしており、経験も豊富であるし、本件旅行では殆どバス内で休息していたのであって、これにより京都市において、小脳出血を発症することを認識し、又は認識し得べき客観的可能性があったと認めることはできないから、この点でも公務と小脳出血との間に相当因果関係はないというほかない。したがって、甲の死因を劇症型の小脳出血によるものとみたとしても、その公務起因性は認められない。よって、甲の死因が小脳出血であって、これと公務との間に相当因果関係があり、甲の死亡につき公務起因性があるとの原告の主位的主張は、いずれの点からみても、これを採用することはできない。
3 救命可能性の剥奪
甲の疾病が小脳出血ないし脳動脈瘤破裂のいずれであっても、午後零時45分頃、バスの中で甲が「気分が悪い」と訴えているが、甲は風邪の症状が完治せず、体調が優れなかったのであり、それのみでは甲自身も、周囲の者にとっても、同人を大病院の医師の診断を早急に受けさせなければならないと判断する状態にあったとはいえない。その後も甲は取り立てて外見的に異常な行動もなかったものであり、また午後2時30分から2時50分頃までの間も、甲は頭痛、めまい、吐き気を訴えたのみで、別段意識障害が出現してはいないから、近くで見ている者からも格別医者の診断を受けた方が良いと思われるような異常はなかったものと考えられる。そして、甲が脳外科の専門病院へ搬送する必要を認めるに足る状態になるのは、早くても午後2時50分頃であり、同人が午後2時50分ないし55分に異常を発見されて脳外科の大病院へ搬送されたとしても、遅くとも午後3時30分頃付添医師が甲を診察し、午後4時5分に病院に到着した際、甲は意識昏睡、四肢弛緩、顔面蒼白、チアノーゼがあり、瞳孔拡大、呼吸停止、脈拍停止、心音なしという状態であったから、患者の搬送時間、CTスキャナーなどの検査、開頭手術時間を考慮すると、この死亡までの1時間10分ないし15分の短時間に、これらの手順を経て救命され得たもので、甲の救命が合理的な疑いを超える程度に確実であったと認めることはできない。したがって、甲が修学旅行の引率業務に従事のため、あるいはバスに乗務中という特殊な公務環境における公務により治療を受ける機会を失い、死亡するに至ったという原告の予備的主張も採用することはできない。
以上のとおり、甲の死亡を公務外の災害と認定した被告の本件処分は結論において相当であって、本件処分の取消を求める本訴請求は失当である。 - 適用法規・条文
- 99:その他 地方公務員災害補償法31条
- 収録文献(出典)
- 労働判例590号72頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
---|---|---|
京都地裁−昭和59年(行ウ)第27号 | 棄却(控訴) | 1990年10月23日 |
大阪高裁 − 平成2年(行コ)第65号 | 原判決取消(控訴認容) | 1993年02月24日 |