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地公災基金埼玉県支部長(帰国小学校長)くも膜下出血死事件

事件の分類
過労死・疾病
事件名
地公災基金埼玉県支部長(帰国小学校長)くも膜下出血死事件
事件番号
浦和地裁 − 昭和62年(行ウ)第6号
当事者
原告個人1名 

被告地方公務員災害補償基金埼玉県支部長
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1990年12月21日
判決決定区分
棄却(確定)
事件の概要
 Tは、昭和53年4月から昭和56年3月までの3年間、埼玉県の市立小学校長の身分のまま、外務省の委嘱を受けて、イタリアのミラノ日本人学校の校長を務めた。Tが同校に赴任した当時、同校は創立後2年に満たない時期であったことから、Tは教育内容、施設の拡充、教育環境面の整備等の外、教員の赴任、帰国、私的な旅行などに関する総領事館との折衝事務、学校運営理事会との折衝事務、現地公的機関との折衝事務などを行わなければならず、特に言語、風俗、文化、法律制度等の異なる異国の地での折衝事務には苦労が多かった。しかも、子供の誘拐事件や同校への発砲事件、盗難事件などの発生のため、児童・生徒の安全について配慮する必要があったほか、教育関係者による視察も多く、その対応事務もあり、新規に派遣される教員の住宅確保など本来の職務から外れるようなことも行わなければならない状況にあった。しかし反面、同校には非行問題はなく、理事会も年7〜8回程度開催されるだけであって、日本国内で行うような行事も少なく、春休み及び冬休みは各約2週間、夏休みは約40日間あった。

 Tは帰国して本件小学校の校長に就いたところ、その後の昭和56年12月から昭和57年1月にかけて、教員の人事異動に関する考課資料の作成事務があり、Tにとっては本件小学校では初めての人事異動であったが、特に苦慮しなければならない問題はなかった。

 昭和57年1月29日、Tは通常通り午前8時頃出勤し、同8時30分頃まで校務についての企画及び準備をし、職員朝会を行った後午後0時20分まで校長室で執務し、同0時30分頃から研修員会に出席した。Tは研修委員会を退席した後職員室において昼食を摂っていたところ、突然顔色が青ざめ、嘔吐し、身体が硬直し、直ちに病院に搬送されたが、同月31日午後5時56分頃くも膜下出血により死亡した。

 Tの妻である原告は、Tの死亡は校務に起因するものであるとして、被告に対し昭和58年2月12日、地方公務員災害補償法に基づく公務災害認定請求をしたところ、被告は同年12月17日、公務外災害であるとの認定(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
主文
1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。
判決要旨
1 公務起因性の判断基準

 地方公務員災害補償法31条に定める「職員が公務上死亡した場合」とは、職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、公務と右負傷又は疾病との間に相当因果関係のあることが必要であり、その負傷又は疾病が原因となって死亡事故が発生した場合でなければならず、単に右職員が公務の遂行時又はその機会に死亡したような場合は含まれないものと解するのが相当である。そして、右死亡が公務の遂行を唯一の原因とする場合に限らず、被災職員の基礎、既存疾病が条件ないし原因となって死亡した場合であっても、公務の遂行が基礎、既存疾病と共働原因となって死亡の結果を招いたと認められる場合には、右死亡と公務との相当因果関係が肯定され、公務上の死亡と認められると解するのが相当である。もっとも、公務及びその遂行はそれ自体常に精神的、肉体的な緊張や負担を伴うものであるから、公務の遂行が基礎、既存疾病と供働原因となったとして相当因果関係が肯定されるためには、過度の精神的、肉体的緊張又は負担を来す公務ないしはその遂行をしたことを要するというべきである。

2 Tの死亡の公務起因性

 Tは、脳動脈瘤破裂によってくも膜下出血の発症に至ったものと推定されるところ、定期検診の結果、血圧がやや高いという程度であり、発症の前日ないし前々日に妻に対して疲れているとこぼしていた事実が認められるものの、医師の診断を経ていないので、それが特に医学上留意すべき所見であったとまでは認められない。したがって、Tは通常の勤務をしていた中で、特段の前駆症状もなく突然に発症したものといわざるを得ず、発症の直前又はその数週間前の期間をとってみても、Tの職務内容が過度の肉体的、精神的緊張又は負担を伴うものであったとは認められない。

 原告は、本件小学校における激務により肉体的・精神的疲労が蓄積された結果であると主張するところ、確かにTは、懸案事項であった教科書常置問題や、特殊学級新設の準備、創立20周年記念事業などに対して校長として真摯に取り組んでいたことは認められるものの、右職務内容は、小学校の校長として通常予想される職務に対比して、過度に肉体的・精神的緊張又は負担を伴うものであったとまでは認められない。

 また原告は、ミラノ日本人学校在職中の激務を主張する。なるほど、言語、風俗、文化等が異なる外国で創立後2年に満たない同校を運営することは、日本国内での学校運営とは異なった苦労が伴い、それによって肉体的・精神的な疲労が生じたことは推認するに難くない。しかしながら、Tが、同校の校長として在職したのは、くも膜下出血発症の10ヶ月ないし3年10ヶ月も前の期間であって、しかもTはミラノに赴任する直前の2年間は校長として、更にそれ以前の約28年間は教員としての経験を有していたのであるから、学校運営自体については通暁し、また日常生活面においても次第に順応してきたものと推認され、帰国後は再び校長職に戻ったのである。そうすると、帰国して10ヶ月後まで外国生活の疲労が蓄積して回復せず、それが発症の原因となったとは考えにくく、10ヶ月の時間的間隔をもって発症したことが医学上も妥当なものとして肯定できるとする証拠もない。そして、以上のミラノ日本人学校及び本件小学校の校長としての職務内容及びその遂行状況等を総合しても、これに従事していたこととくも膜下出血の発症が全く関係ないとまでは断定できないとしても、それが発症との因果関係の相当性を肯定できるほど過度のものであったとまでは認められない。そうすると、Tの死亡と公務との間には相当因果関係が認められず、本件疾病が公務外であると認定した本件処分は相当である。
適用法規・条文
99:その他 地方公務員災害補償法31条
収録文献(出典)
判例タイムズ759号199頁
その他特記事項