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伊勢市(消防吏員)狭心症死事件
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 伊勢市(消防吏員)狭心症死事件
- 事件番号
- 津地裁 − 平成元年(ワ)第518号
- 当事者
- 原告個人2名 A、B
被告伊勢市 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1992年09月24日
- 判決決定区分
- 一部認容・一部棄却
- 事件の概要
- U(昭和11年生)は、昭和29年5月、被告市の消防署に消防吏員として採用され、昭和63年6月1日付けで本署に配置換えとなり、消防救急等の現場業務を担当する警備二係に配属され、平成元年1月25日に被告市消防本部が実施した耐寒訓練である登山(本件訓練)に参加した。Uは、30歳台の他の5名と共に、午後1時6分頃出発し、約10分歩いて登山口から山道を登り始めたところ、登山口から1200m進んだあたりから急に道が険しくなり、休憩しようと考えていた矢先の午後1時39分頃、Uは歩行中に突然直立不動のまま左側方に倒れた。Uは倒れてから、低い唸り声を発しただけで、顔面蒼白となり、脈拍と呼吸が停止した状態となったため、他の隊員達は人工呼吸、心臓マッサージを施す一方、Uを下山させて救急車で病院に搬送したが、Uは午後3時4分頃労作性狭心症による不整脈で死亡した。
Uは、昭和58年7月、運動負荷等によって心筋虚血を原因とした胸痛発作等を起こす労作性狭心症の診断を受けて入院し、その後自宅療養期間を含めて4ヶ月間休暇を取った。そして、職場復帰以後も、Uは勤務中や寒い季節に胸部圧迫感等が起こることがあったが、漸次快方に向かい、被災日頃には昭和58、59年頃に比べかなり症状が改善し、ニトログリセリン等の薬も使用しないようになっていた。
Uの妻である原告A及びUの子である原告Bは、Uが参加した本件訓練は、厳寒期で、しかも夜勤明けの非番日に、30歳台の若い隊員達と一緒に所要時間が決められた登山を強制するという過重な公務であり、Uはこれにより持病の労作性狭心症を悪化させ、その結果死亡に至ったから、本件訓練とUの死亡との間には相当因果関係があるところ、被告市はUの健康状態を把握していたにもかかわらず、適切な措置を怠ったとして、葬儀費用100万円、逸失利益5461万0037円、慰謝料3000万円、弁護士費用800万円を請求した。 - 主文
- 被告は、原告らそれぞれに対し、金2281万1480円及びこれに対する平成元年11月22日から支払済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。
原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は2分し、その1を原告らの、その余を被告の負担とする。
この判決は第1項に限り仮に執行することができる。 - 判決要旨
- 1 公務とUの死亡との因果関係について
Uが昭和58年7月頃に罹患した労作性狭心症は、消防職員として通常の勤務に就ける程度にまで改善されており、自然的増悪はなかったこと、しかし過重な運動負荷が加わると不整脈の症状が出ていたこと、公務である本件訓練が厳寒期になされた登山で、通常の勤務とは内容及び条件が異なるし、同人にとっては季節的、年齢的、勤務条件的(夜勤明けの非番)に厳しいものであったこと、Uは登山道のうち最も険しい場所で心臓疾患者特有の倒れ方をしていることが認められる。右によれば、Uが罹患していた労作性狭心症は、公務である本件訓練によって悪化させられ、その結果不整脈を生じて死亡したものと認めるのが相当であり、公務とUの死亡との間に相当因果関係があると認めることができる。
2 安全配慮義務違反について
被告消防本部は、職員の健康保持を目的として衛生管理要綱を定め、総括衛生管理者、法定の衛生管理者、衛生管理員が置かれ、衛生関係者会議、衛生委員会が開催され、健康に異常のある者の健康管理に関する事項、健康障害の原因及び再発防止等を審議することとなっていた。また、同要綱では、各年1回以上の健康診断、必要ある職員に対する特別健康診断、右健康診断の結果異常のある職員に対する精密検査をそれぞれ受けさせ、その結果により、要療養者には就業禁止や入院治療、要観察者には勤務時間の短縮や配置換え、要注意者には過重な勤務及び時間外勤務の抑制等の措置をとることとされていた。被告消防本部では、Uに対し、職場復帰後の昭和59年、60年に各年1回、昭和62年以降年2回の定期健康診断を受けさせていたが、ほぼ全て「特疾なし」の総合判定が出たため、Uを他の職員と同様健康者として扱っていた。
被告消防本部は、本件訓練に関し、事前に体調不良の者は申し出るように通知、注意をしていたが、個々の職員の年齢、勤務状況、健康状態等を検討しておらず、本件訓練に関し、Uに対し特別の考量は全くなされなかった。右事実によると、被告消防本部としては、Uが長期の休暇を取る頃から同人が心臓に疾患を有する者であったこと、職場復帰の際にはそれが完治しておらず、軽作業程度の勤務が可能であったことを認識していたものであり、更にUの直属の上司は、その後もUの疾患は完治しておらず、本件訓練も通院治療中であったことを認識していたのであるから、被告消防本部も組織体として右の事実を認識していたと認めるのが相当である。そして、本件訓練は厳寒期における登山であって、Uの担当職務(消防、救急業務)以外のものであり、しかも肉体的負担の大きいものであったから、心臓疾患を有するUを本件訓練に参加させる必要性は認め難いし、また参加させた場合には不測の事態が発生する可能性もあったのであるから、被告消防本部は、同人に対し、本件訓練への参加を免除し、公務遂行の過程において、同人の生命、身体が危険にさらされないように配慮すべき義務があったのに、これを怠り同人を右訓練に参加させ、労作性狭心症による不整脈により同人を死亡させたのであるから、被告は同人の死亡による損害を賠償する義務がある。
被告は、本件訓練によりUが不整脈によって死亡することを予見することは不可能であったと主張し、その理由として、同人は職場復帰後、外形上正常で、定期健診でも特別な疾病がなく、昭和62、63年の耐寒訓練でも何ら健康上の問題を生じなかったのであり、本件訓練に当たっては事前及び直前に体調不良の者は申し出るように通知、注意されたのに、何らの申し出をしなかったことなどを指摘している。しかしながら、被告消防本部は、Uの職場復帰の際には、同人の労作性狭心症が完治していないことを認識していたのであるから、同人に負荷の高い運動をさせれば、心臓発作等により不測の自体が発生する可能性を予見することは可能であったと認められる。しかも、職場復帰後も職員にはUがニトログリセリン舌下錠を服用するなど同人の病歴を認識していた者が少なからずいたことが認められることも考慮すると、被告消防本部には、Uの職場復帰後、継続的に同人の健康状態を把握する義務があったにもかかわらず、その義務を尽くさなかった故に、本件訓練の時点では被告主張のような予見可能性になってしまったのである。すなわち、もし被告において、Uに対して継続的な健康把握義務を尽くしておれば、本件訓練の時点でUが労作性狭心症による不整脈で死亡する事態を予見することも決して不可能ではなかったのである。そうすると、被告の主張は、予見可能性の時点を限定し過ぎているのみならず、自己に要求される義務を果たさなかった結果として、予見可能性がなかったと主張しているに等しく、論理が逆であり、その主張は採用できない。
Uは、定期健診の問診の際に、狭心症で通院中であるなどの話をしていなかったこと、本件訓練について主治医に相談せず、被告にも不参加の申し出をしていなかったことが認められ、本件被災の発生、拡大にUの不陳述、非相談が関与していたことは疑いないが、一方で、心臓疾患であることを認識しながら、長期間にわたって継続的な健康把握義務を怠っていた被告の過失も重大であること、職場復帰当初、Uが事務系統への異動を希望していたのに果たされなかったこと、同人は私生活では療養に十分努めており、病状悪化の危険因子となるのは仕事関係だけであったこと、本件訓練は、特に現場勤務である消防署の一般職員には参加に義務感を感じさせるものであったことなども認められる。しかしながら、Uの死亡は、同人の心臓疾患という素因に基づくものであることが明らかであるから、同人が本件訓練に不参加の上申をしなかった点は同人の過失として、損害額の算定に当たり3割を斟酌すべきである。
3 損害について
Uの昭和63年度の年収は710万4484円であり、同人(死亡当時52歳)は定年後67歳までは稼働できたと認められるところ、同人の右期間の年収は同人の右年収の5割と認めるのが相当である。しかして、同人の生活費を収入の4割として同人の逸失利益を算定すると、合計金3746万1374円となるところ、これに前記過失相殺をして金2622万2961円に減額する。Uの被災状況、被告の過失の態様・程度等を勘案すれば、本件訓練により死亡したUが受けた精神的苦痛を慰謝するためには金1540万円が相当である。また、弁護士費用は、各原告につき金200万円とするのが相当である。 - 適用法規・条文
- 02:民法415条、418条、709条、722条2項
- 収録文献(出典)
- 労働判例630号68頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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