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学習書籍出版社営業社員虚血性心疾患死事件

事件の分類
過労死・疾病
事件名
学習書籍出版社営業社員虚血性心疾患死事件
事件番号
千葉地裁 - 平成4年(ワ) 第1431号
当事者
原告個人4名 A、B、C、D

被告株式会社O社
業種
サービス業
判決・決定
判決
判決決定年月日
1989年01月01日
判決決定区分
棄却(控訴)
事件の概要
 被告は、書籍の出版、販売等を業とする株式会社であり、T(昭和14年生)は昭和33年2月に被告に入社し、以来同社に勤務していた。Tは、営業に通算13年勤務した後、間昭和56年10月に、新設された教育事業局推進部中国課長に就任したが、その主たる業務は出張業務と内勤業務に分かれ、これがほぼ1週間ごとに繰り返されていた。

 Tの中国課長としての業務は、飛行機で広島市に赴き、ホテルに宿泊して、そこを拠点にレンタカー等で広島県や山口県内の高校等を訪問し、教師らに面会して教科書や参考書等を売り込み、被告主催の模擬試験への参加を勧誘するというものであり、内勤業務は、本社での会議に出席するほか、出張の準備、出張後の業務報告書の作成提出、都内における営業活動等であって、Tの出張回数も、本件狭心症を発症するまでの間に6回・46日に及んでおり、それまでに比べて格段に多くなっていた。

 Tは、昭和57年3月12日午前4時頃息苦しさを訴え(安静不安定狭心症)、更に午前6時30分頃には胸痛、冷汗、息苦しさを訴えて(安静不安定狭心症)、自宅付近の医院で受診し心電図検査を受けたところ、医師から「心臓が弱っているから休むように」と言われたが、翌々日からの出張の準備のため、同日午前11時頃に出社した。そして、Tは昼食後自席に戻ったが、午後1時30分頃身体の不調を訴えて離席した後、社屋トイレ内で、心筋梗塞により死亡するに至った。

 Tの妻である原告A、Tの子である原告B、同C及び同Dは、Tの業務が過重であるところ、被告は安全配慮義務を怠ったためにTが死亡するに至ったとして、逸失利益9941万5830円、慰謝料3000万円、葬儀費用100万円を各原告の相続分に応じ(原告Aが2分の1、原告Bらが6分の1ずつ)支払うよう請求した。
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。
判決要旨
1 Tの業務について

 原告らは、Tの中国課長としての業務は極めて過重であった旨主張する。しかしながら、(1)出張業務においても、訪問先が主として高等学校であれば、さほど遅くまで業務を遂行していたとも認められず、また当時においては推進部にはノルマというほどのものはなかったこと、(2)Tは、本件中国課長に就任してから死亡するまでの間の155日間において56日間は休んでおり、勤務した99日の内の46日は出張業務であったものの、53日は内勤業務であって、内勤業務では残業はほとんどなかったこと、(3)Tの出張業務を推進部の他の7名の課長と比べても、その出張日数等においてはほぼ同じであること、(4)Tは、かつてかなりの間営業に従事したことがあり、特に広島市には4年近くも住んで、中国支局長等として勤務していたこと、(5)Tは、死亡する前々日と前々々日に2日続けてゴルフに行っていること、以上の諸点を考慮すると、たとえ出張先でのTのレンタカーの運転を勘案しても、Tの中国課長としての業務が同人の健康を害するほどにそれ自体過重ないしは極めて過重なものであったとは未だいい難いというべきであり、原告らのこの点に関する主張はにわかに採用することができない。

2 Tの業務と死亡との間の因果関係について

 Tは、昭和57年3月12日までにその冠動脈に強度の内腔狭窄を有するに至っており、このような状態のもとにおいて、同日の午前4時頃と午前7時頃の2回にわたって、何らかの原因により冠動脈内の動脈硬化部に生じたプラークが破裂して血小板血栓が生じ、これが右狭窄と相俟って冠動脈の血流を一時的に低下させたため本件狭心症が発症したものと推認される。

 Tは、中国課長に就任した後の出張によりその睡眠や食事等に変化を受け、レンタカーの運転も加わって、それ以前に比べて身体的により重い負担を強いられたであろうことは想像に難くなく、Tが中国課長に就任する約5ヶ月前の定期健康診断においては異常がないと診断されていたことも事実である。

しかしながら、(1)Tの業務それ自体が同人の健康を害するほどに過重とはいえないこと、(2)Tが本件中国課長に就任してから本件狭心症発症までの期間は僅か5ヶ月であること、(3)狭心症を発症させる要因としては、加齢のほかに、永年にわたる高コレステロール血症、高血圧、喫煙、糖尿病、肥満、運動不足、ストレス、A型行動等があるところ、Tはやや肥満であり、喫煙量も少なくないこと、以上の点を考慮すると、本件において、Tが中国課長としての業務を遂行することによって冠動脈の硬化による内腔狭窄が生じこれを基盤として本件狭心症を発症させるに至ったものとは未だいえないというべきである。したがって、Tの業務と本件狭心症との間にはいわゆる条件関係はないものというべきである。

原告らは、Tは当日本来安静にしておくべきところ、翌々日からの出張の準備のためにやむなく出社して業務に就いたため、これが原因となって本件心筋梗塞が発症した旨主張する。しかしながら、本件においては、仮にTが出勤してその日の業務に就かなかったとしても、Tに心筋梗塞が発生した可能性は十分にあるものと認められる。けだし、Tは当日既に2度にわたり狭心症を発症させていたものであり、Tはその後午前11時頃出社したが、既にラッシュアワーは過ぎていたものと推知され、出社後の業務内容も内勤業務であって特に負担となるものではなく、Tにとって過重なあるいは不用意な運動負荷というべきものは認められず、しかも心筋梗塞は安静時ないし睡眠時にも多く発生するものだからである。したがって、Tの業務と本件心筋梗塞の発生との間には条件的因果関係がないものというべきであり、原告らのこの点に関する主張も採用することができない。

3 安全配慮義務違反について

 仮にTの業務の遂行と本件狭心症及び本件心筋梗塞との間に条件的因果関係及び相当因果関係があるとしても、Tの中国課長としての業務が同人の健康を害するほどに過重なものであったといえないことは前示のとおりであり、Tは「健康状態不良」と記載した業務報告書を提出し、上司からその後の状態を尋ねられて「その後は大丈夫であった」旨答えているのであるから、被告においてTにつき適切な健康診断を実施し、またその業務軽減措置を講ずべきであったとまではいい難く、昭和57年3月12日の出社については、Tは課長であって自己の判断と責任において決定したものと認められ、上司に出社の要否を尋ねたり休暇の申請をしたりしたわけではないから、たとえTに出張の準備のために出社しなければならない事情があったとしても、上司にこれを控えさせる義務があったとまではいえず、Tは出社後は一応通常どおりに仕事をしていたのであって、外形的には何ら異常と認めるべき事情はなかったのであるから、上司にTをして直ちに医療機関で受診させるべき義務があったとはいえず、またTをして1人で離席させてはならない義務があったものともいえない。
適用法規・条文
収録文献(出典)
労働判例725号78頁
その他特記事項
本件は控訴された。