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京都上労基署長(電子メーカー営業所長)心筋梗塞死事件
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 京都上労基署長(電子メーカー営業所長)心筋梗塞死事件
- 事件番号
- 京都地裁 − 平成5年(行ウ)第3号
- 当事者
- 原告個人1名
被告京都上労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1964年01月01日
- 判決決定区分
- 認容(確定)
- 事件の概要
- H(昭和28年生)は、昭和57年4月、電子機械製造を業とするR社に入社し、昭和60年4月11日付けで鳥取営業所長に就任した者である。営業所長の業務は、営業所の統括事務、京都本社との営業の打合せ、主要取引先との直接の営業業務、販売拡張などであり、Hは最も主力の取引先を担当していた。
同月下旬頃、品質問題から納期の遅れが生じ、そのトラブルは深刻な状態であって、そのためHは、できるだけ早く製品を届けようとして、同月23日から28日まで作業に従事した。また、同年5月20日頃にも品質トラブルが発生し、そのため完成検査を京都本社で行わなければならなくなったことから、製品の納期が遅れる事態が生じるようになった。そのためHは、5月下旬頃から6月上旬にかけて、京都本社に度々出張し、京都本社において、自ら製品の選別作業に立ち会い、梱包作業を手伝うなどの作業を行った。
同年6月3日、Hは本社の社員らと午後7時頃から9時頃まで飲食を共にし、その後スナックに行った。翌4日午前8時30分頃、Hは京都本社から鳥取営業所に電話をかけ、風邪をひいて休む旨連絡し、社用車を運転して出発したが、帰還途中の午後0時10分頃、路上において対向車線縁石に乗り上げて停車し、痙攣を起こしているところを後続車に発見され、病院に搬送されたが、同日午後1時07分、急性心不全により死亡した。
Hの妻である原告は、Hの死亡は業務上の事由によるものであるとして、昭和61年4月10日、被告に対して、遺族補償年金及び葬祭料の支給を請求したが、被告は同年11月28日付けで、これらを支給しない旨の処分(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 被告が原告に対して昭和61年11月28日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しないとの処分を取り消す。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務起因性の判断基準
労災保険法12条の8第2項は、業務災害に関する保険給付は、労基法75条ないし77条、79条及び80条所定の災害補償の事由が生じた場合に行う旨規定し、また労基法75条は、療養補償の支給要件として「労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかった場合」と、同法79条及び80条は、遺族補償及び葬祭料の支給要件として、「労働者が業務上死亡した場合」とそれぞれ規定しているところ、右にいう「労働者が業務上死亡した場合」とは、労働者が業務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、したがって、右負傷又は疾病と職務との間に相当因果関係のあることが必要であり、その負傷又は疾病が原因となって死亡事故が生じた場合でなければならないものと解するのが相当である。
労働者災害補償制度との関係で要求される相当因果関係は、これが医学的知見に全く反するものであってはならないが、他方、厳密な医学的判断が困難であっても、所与の現代医学の枠組みの中で基礎疾患の程度、業務内容、就労状況、当該労働者の健康状態等を総合的に検討し、当該業務が負傷又は疾病を発症させた蓋然性が高いと認められるときは、法的評価としての相当因果関係があるというべきである。
負傷又は疾病と業務との相当因果関係の判断基準について検討するに、相当因果関係の有無については、経験則、科学的知識に照らし、その負傷又は疾病が当該業務に内在又は随伴する危険の現実化したものと判断されるかどうかによってこれを決すべきであると解すのが相当である。虚血性心疾患等が当該業務に内在又は随伴する危険の現実化したものといえるかどうかについては、被災労働者においてその直接の死亡原因となった疾病の発症前に従事した当該業務が、過重負荷、すなわち虚血性心疾患等の発症の基礎となる病態(血管病変等)をその自然的経過を超えて急激に増悪させ得ることが医学上・経験則上認められる負荷といえる態様のものであるかどうかを基準に判断するのが相当である。すなわち、虚血性心疾患等については、もともと被災労働者本人に、素因又は動脈硬化等による血管病変等が存在し、それが何らかの原因によって増悪して発症に至るのが通例であると考えられるところ、血管病変等の原因については、医学上、先天的な奇形等を除けば、加齢や日常生活等がその主要な原因であると考えられており、血管病変等の直接の原因となるような特有の業務の存在は、医学経験則上認められていない。しかし、個別的事案によっては、被災労働者がその直接の死亡原因となった当該業務に従事した結果、虚血性心疾患等の発症の基礎となる病態(血管病変等)をその自然的経過を超えて急激に増悪させて、虚血性心疾患等を引き起こしたと医学的に認められる場合もあり得るのであり、このような場合には、虚血性心疾患等は、当該業務に内在又は随伴する危険が現実化したことによって発生したものとみることができる。
虚血性心疾患等と当該業務との相当因果関係が認められるためには、当該業務が疾病発生の唯一かつ直接の原因である必要はなく、労働者に疾病の基礎疾患があり、その基礎疾患も原因となって疾病を発症した場合も含まれるが、その場合には、当該業務が加齢その他の原因に比べて相対的に有力な原因と認められることが必要であり、かつこれをもって足りると解するのが相当である。
これに対し被告は、虚血性心疾患等に関する業務起因性については、労基則35条別表第1の2の第9号に定める「その他業務に起因することの明らかな疾病」と認められることが必要であり、また右「その他業務に起因することの明らかな疾病」の認定に関しては、認定基準に該当する事実の存在することが必要である旨主張する。しかし、認定基準は、あくまでも下部行政機関に対する運用のための通達であって、行政の事務促進と全国斉一な明確かつ妥当な認定の確保を図り、労災補償保険給付申請者の立証責任を軽減するための簡易な基準であるに過ぎないと解されるから、業務外認定処分取消訴訟の場においては、裁判所は相当因果関係の存否の判断に当たって右基準に直接拘束されることなく、医学的に未解決な部分の多い虚血性心疾患等について、右基準に拘泥することなく、被災労働者の疾病の発症と業務との間の相当因果関係が認定されることは十分あり得るものといわなければならず、この点に関する被告の主張は採用できない。
2 Hの業務の過重性
Hは、出張日数が出勤日数の大半を占めていることが明らかであり、営業担当範囲が広範囲にわたっていたこと、取引先のほとんどを担当していたことから、出張業務がHの所管業務のウェイトの大半を占めていたことが推認できる。のみならず、鳥取地方の地域性及び交通の便を考慮すれば、Hが出張するに際しては必然的に社用車を使用する場合が多くなると推察されるが、自動車運転は運転者に一定の精神的緊張を要求するものであって、これが長時間にわたると、運転者の肉体に疲労をもたらすものであることは経験則上明らかであり、したがって、出張業務がHにとって相当な負担になっていたであろうことは想像に難くない。
開設したばかりの鳥取営業所長になったHが、取引先ないし京都本社からのクレームに誠実に対応しなければならないとの気持ちを持つに至ったことは容易に推認できるところであり、このような心理状態の下で、たびたび長時間にわたって、取引先に社用車で製品を取りに赴いたり、京都本社において自ら製品梱包の手伝い等の作業をしたりしたものと推察され、右クレーム処理は、肉体的疲労に留まるものではなく、精神的疲労としても相当程度のものがあったと推察できる。Hは休日出勤が多く、その結果連続出勤日数も多くなっていることが明らかであり、特に発症前については、5月20日から被災日まで2週間近く連続して勤務していた。したがって、その間、Hは肉体的・精神的負荷による疲労を回復するための十分な休息を取ることができず、その結果、その身体に肉体的・精神的負荷による疲労が徐々に相当程度蓄積されていったことが容易に推認できる。また、Hは週1回くらいの割合で、京都本社に外泊出張することがあり、その場合寝台列車で1泊することが多かったが、寝台列車は睡眠スペースが必ずしも広くないことや列車走行中の振動音等のため、通常のビジネスホテルと比較すると相対的に疲労回復の程度が低いことは経験的に明らかである。したがって、寝台列車利用による京都出張は、Hの疲労回復にとって一つの阻害要因になっていたということができる。
発症前1週間のHの拘束時間は、所定拘束労働時間43時間45分の1.976倍に相当するものであって、量的にみて、Hが発症直前の1週間内に極めて長時間の労働を行っていたことは明らかである。また、発症直前1週間におけるHの社用車の運転歴についてみると、779.0kmにも及ぶが、Hは京都本社においてIC製品の選別・梱包等作業にも従事していたこと、長時間の自動車運転が精神的緊張による疲労をもたらすものであることを考慮すると、右のような距離の自動車運転は、Hにとって看過できない負荷になっていたものと推認される。Hが自宅で睡眠を取ったのは、5月28日、29日と6月2日の夜のみであり、他は全て外泊で、そのうち5月30日、31日及び6月3日にはカプセルホテルに宿泊していることからすれば、Hの疲労回復は、この面でもやや阻害されていたものと推認される。
本件発症当日、Hが京都を社用車で出発する時点において、肺ないし呼吸器に重篤な症状を来していたものと認められ、これに肉体的・精神的負荷との時間的・量的関連性を併せると、右症状は過重な負荷によって生じたものと推認するのが相当である。このように、Hは、既に身体的・精神的に相当の負荷がかかった状態の中で、京都本社から鳥取営業所に向けて社用車を運転して帰途についたものであるが、トンネルを抜けて正に鳥取市が見えた途端に急性心筋梗塞を発症して死亡するに至ったものであり、右運転自体も京都本社から鳥取市の近くまで約200kmを走行したものであるから、それ相応の精神的・肉体的緊張感による負荷を伴うものであったと推認し得る。
本件において、Hには冠動脈の動脈硬化などの病変があったことは確定されていないが、以上の事実を総合すれば、Hの業務は、長時間・不規則・出張の多い過重な業務であった上、クレーム処理や納期管理による継続的な心理的ストレスも加わった過重負荷であったと認めるのが相当である。そして、これに京都本社から鳥取営業所への自動車運転が直接の引き金として加わって、急性心筋梗塞の発症の原因となったことは否定できないと解される。そして、本件では、他に心筋梗塞を発症させる有力な原因があったという事実は全く確定されていない。してみれば、Hの死因となった急性心筋梗塞の発症とHの業務との間には、相当因果関係の存在を肯定することができるというべきである。 - 適用法規・条文
- 99:その他 労災保険法12条の8、16条の2、17条
- 収録文献(出典)
- 判例タイムズ939号130頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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