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地公災基金千葉県支部長(高校教諭)心筋梗塞死事件

事件の分類
過労死・疾病
事件名
地公災基金千葉県支部長(高校教諭)心筋梗塞死事件
事件番号
千葉地裁 − 平成3年(行ウ)第19号
当事者
原告個人1名

被告地方公務員災害補償基金千葉県支部長
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1996年09月25日
判決決定区分
認容(確定)
事件の概要
 K(昭和27年生)は、昭和56年4月千葉県公立学校教員として採用され、昭和60年4月から県立S高校に教諭として勤務していた。

 Kは、昭和62年度においては教務部を分掌し、クラスの正担任で社会科の教科主任であり、陸上部の顧問、文化委員会のチーフ顧問を担当した。この分掌に基づき、Kは週16時間の社会科の授業とロングホームルーム、2時間の必修クラブを受け持っていた。文化祭の企画・準備については、文化委員会顧問に仕事が殺到し、特にチーフ顧問は雑務が殺到するので、Kは文化祭の不安を同僚に漏らしていた。

 Kは、昭和62年度陸上部の顧問に就任し、自ら高校時代のマラソン大会で2年連続優勝したこともあるので、熱心に取り組み、平日は午後4時頃から7時頃まで、土曜日は午後1時頃から5時頃まで、日曜日は通常午前9時頃から正午頃まで、生徒と一緒にグラウンドで練習指導した。なお、Kは高校卒業後特に継続してスポーツをしたことはなかった。

 Kは、昭和62年7月21日に三者面談のため登校したが、登校直後から具合が悪くなり、昼食も摂らずに午後まで横になっていた。Kは夏期休暇の終わり頃から、肺の辺りがおかしいと感じるようになり、煙草も吸わなくなったが、7月21日以来、時々胸の不調を訴えていた。死亡前1週間の状況は、9月16日は千葉市に出張し、17日は台風のため臨時休校、18日は通常どおりの授業、19日は午後から陸上部の練習に参加したが、疲労の様子が見られ、20日(日)の練習指導は出なかった。21日、22日は校内競技大会で、21日のソフトボール大会にKも参加したが、ゴロを打って走り出したとき、通常のKとは思えないモタモタした走り方をし、22日は1限に授業をし、3限以降にサッカー戦の応援をした。

 同年9月23日、Kは午前10時15分頃からグラウンドで陸上部の指導を開始し、午後0時40分頃下校し、近くの親類宅に行き、妻と娘を連れて中華料理店で昼食を取ったところ、そこで具合が悪くなり、食後車を運転したが具合が悪化し、意識不明になって救急車で病院に搬送されたが、既に昏睡状態で呼吸が停止し、同日午後4時16分死亡が確認された。Kの血圧は、昭和61年時は136‾80、62年時は139‾74であり、胸部レントゲン撮影の結果異常はなく、尿検査の結果、蛋白、糖、潜血いずれもマイナスであった。またKは煙草を1日2箱ほど吸っていた頃もあったが、徐々に減らしており、普段は晩酌をしなかった。

 Kの妻である原告は、Kの死亡は校務上のものとして、被告に対し、地方公務員災害補償法に基づき公務災害認定の請求をしたところ、被告はこれを公務外とする処分(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却されたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
主文
被告が原告に対してした昭和63年8月12日付け公務外認定処分を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。
判決要旨
1 公務上死亡の考え方について

 地公災法にいう公務上死亡とは、職員が公務の遂行に基づく負傷又は疾病等に起因して死亡した場合をいい、右死亡と公務の遂行との間に相当因果関係のあることが必要である。そして、右の相当因果関係があるとは、当該公務の遂行が当該職員の持っている基礎疾病や素質的因子等他の要因との関係で死亡原因としての相対的に有力な原因となっていることが認められ、その死亡は当該公務に内在する危険が現実化したことによるものとみることができる関係にあることを意味するものと解するのが相当である。

2 公務と死亡との間の相当因果関係の有無

 Kについては、動脈硬化性の病変が同年代の者に比べて強いということはなく、血栓の形成が特徴的というのであるが、古い病変でも昭和62年7月21日頃発症のものであり、またそれ自体としては死に至るほどの広がりを持っていなかったこと、更にKを解剖し組織学的な検討をした医師も、Kの血栓の形成要因をどれか一つに特定することはできないとしていることからすれば、Kに血栓を形成しやすい素因や基礎疾病があるとは直ちに認めることはできない。それ故、仮にKの血管又は心臓に心筋梗塞を発症させる器質的病変があったとしても、同人の直接の死因となった心筋梗塞は右の病変の自然的増悪により引き起こされたと認めることはできず、むしろ、発症前の公務の過重性が右の病変の自然的経過を超えて急激に著しく増悪させるに至ったものと考えるのが相当である。

 ペース走の400m約120秒というペースは、長距離のトップクラスの選手よりも少し遅いくらいのスピードであり、400m83〜84秒はトップクラスの女子マラソンランナーと同じくらいのスピードであり、最後の200mの全力疾走は、男子でも30秒を切れない者の方が多く、女子はほとんど出すのが無理なスピードであることが認められる。そして、Kと同程度の年齢の同僚数名が、死亡当日Kが走行したのと同じ内容の走行をする実験を行った結果、同程度の年齢の余り運動をしていない者が同内容の走行をすると、最大心拍数が上限の200近くにもなってしまうこと、被験者の中には苦しさに耐えかねて実験途中で止めざるを得なくなった者もいたこと、大部分の被験者の消耗の程度が激しいことから、実験ではKが走行した内容の一部を省略せざるを得なかったことが認められ、死亡当日の練習指導は同程度の年齢の同僚にとって過酷な運動であったことが認められる。

 被告は、Kがもともと陸上部の長距離走選手であり、陸上部の顧問として連日1万メートルくらいは走行していたから、当日の練習指導のKにとっては特に過酷であったとはいえない旨主張する。しかし、陸上部の顧問になる前は、Kはたまに走ることはあったが、習慣的にジョギングをしていたわけではなく、陸上競技の現役というにはほど遠く、更に陸上部の練習も9月になってからはほとんどできず、19日の練習指導に参加して2回目であったから、Kにとっては久しぶりに激しい運動量の走行指導をしたことになる。右事実とその後の死亡に至る経緯を見れば、右練習指導の各走行の反復により血栓の形成が誘発され、死亡につながる心筋梗塞を発症した蓋然性が高いと認めるのが相当である。

 夏期休暇中は、三者面談やクラス活動指導を行ったり、陸上部の合宿や強化練習に通算22日間参加しており、さほど疲労の回復はできなかったことが想像できる。更に9月に入ってからは文化祭の準備に連日忙殺され、死亡の約2週間前に当たる9月7日から13日までの間に32時間の超過勤務を行っている。そして、文化祭の準備は肉体面の疲労のみならず、精神的ストレスも大きかったことが窺われる。

 以上検討したところによれば、Kの死亡につながる心筋梗塞は、昭和62年度1学期からの過重な校務の遂行による疲労が蓄積し、少なくとも2度にわたる心筋梗塞が発症していたところに、死亡当日激しい運動量の走行練習指導が行われたことにより、新たに血栓の形成が誘発され、大きな広がりをもって発症するに至ったものと認めることができる。そうすると、仮にKの血管又は心臓に心筋梗塞を発症させる器質的病変があったとしても、Kの校務の遂行こそが死亡につながる心筋梗塞を発症させたものといって差し支えない関係にあるものと認められ、同人の死亡と校務遂行との間に相当因果関係があるというべきである。したがって、Kの死亡は公務上のものと認めるのが相当であり、これを校務外と認定した本件処分は違法である。
適用法規・条文
99:その他 地方公務員災害補償法31条、42条、45条
収録文献(出典)
判例タイムズ939号118頁
その他特記事項