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三田労基署長(銀行員)くも膜下出血死事件
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 三田労基署長(銀行員)くも膜下出血死事件
- 事件番号
- 東京地裁 − 平成4年(行ウ)第193号
- 当事者
- 原告三田労働基準監督署長
被告労働保険審査会 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1989年01月01日
- 判決決定区分
- 棄却(控訴)
- 事件の概要
- T(昭和11年生)は、昭和30年3月S銀行に入行し、幾つかの支店勤務を経て、昭和57年5月に、旅行代理店を営む会社へ在籍出向し、総務課総務係長として給与計算、人事、秘書、税務、福利厚生などの業務に従事していた。
Tは、昭和57年12月30日午前7時頃、自宅便所において排便中に倒れ、頭痛、嘔吐を訴えたので、同日医師の往診を受けたところ、落ち着いて頭痛、嘔吐がなくなり、意識も正常で心臓・肺その他胸部に異常所見がなく、運動障害や知覚障害もなかったが、血圧が170‾100と高かったので、鎮静剤、降圧剤の投与を受けて自宅で静養していた。昭和58年1月3日の往診の際、Tは依然頭痛、嘔吐を訴え、同月5日医師からの勧めで総合病院への転医をしようとしていた矢先の翌6日午前4時頃、Tは意識がなくなり、病院に搬送されたが、くも膜下出血が認められ、同月9日午前11時19分死亡した。
Tの妻である原告は、Tの死亡は業務に起因するものであるとして、労災保険法に基づき、被告署長に対し、遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したところ、被告署長はこれを支給しない旨の処分(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。また原告は、被告労働保険審査会がした再審査請求を棄却する旨の裁決の取消しを求めた。 - 主文
- 1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 「業務上」の意義について
労災保険法12条の8第2項、労働基準法79条及び80条にいう業務上の死亡とは、当該業務と死亡との間に相当因果関係の存在することをいうところ、本件のような脳血管疾患等の場合には、複数の原因が競合して発症したと認められることが多いことに照らせば、相当因果関係が認められるか否かは、当該業務が死亡の原因となった当該傷病等に対して、他の原因と比較して相対的に有力な原因となっていると認められることを要すると解すべきである。なお、労働者が予め有していた基礎疾患などが原因となって傷病等を発症させて死亡した場合であっても、当該業務の遂行が労働者にとって精神的、肉体的に加重負荷となり、それが自然経過を超えて基礎疾患を著しく増悪させて傷病等を発症させ死亡させたと認められる場合には、右の加重負荷が死の結果に対して相対的に有力な原因になっているとして相当因果関係が認められると解するのが相当である。そして、右の加重負荷の判断は、業務内容、業務環境、業務量などの就労状況や基礎疾患の病態、程度、予後、傷病等の発症のプロセスといった医学的知見などの諸事情を総合考慮してなされるべきである。
2 Tの基礎疾患及び危険因子の存否
Tは昭和48年頃から高血圧の傾向が見られ、昭和50年以降は境界域、昭和54年7月には高血圧を示し、同年12月以降は境界域を示したものの、昭和57年7月には再度高血圧を示すなど、高血圧症又はその傾向がみられ、少なくとも同年12月30日の脳動脈瘤破裂が発症するまでその状態が継続していたと推測されること、E社出向後は降圧剤服用を中断していたため、いわゆるリバウンド現象が生じていたこと、塩分制限、減量を指示されていたが、これらを試みた形跡は窺われないこと、会社では平均して1日20本程度の喫煙をしており、また自宅で毎日晩酌をしていたほか、同僚らと飲酒を共にしていたこともあったことが認められる。
原告は、S銀行及びE社の安全配慮義務違反を主張するが、S銀行はTに対し、昭和57年12月17日の健康診断受診の通知をしているし、過去の健康診断で高血圧、肥満及びその改善を指摘されているのであるから、T自身、自己の責任で健康管理をすべきであるのに、改善の試みをしていたと窺うことができないことに照らすと、原告の主張するような安全配慮義務の存在及び同義務違反を認めることはできない。
3 業務の状況
本件発症前3ヶ月間におけるTの就労状況をみると、10月の総労働時間は211時間15分、所定外労働時間は69時間45分、11月の総労働時間は211時間10分、所定外労働時間は62時間40分、12月の総労働時間は166時間10分、所定外労働時間は57時間40分である。本件発症前1ヶ月間におけるTの業務内容をみると、12月3日から6日まで香港へ海外研修へ行き、翌7日から通常どおり出勤し、同日は午後10時30分まで就労し、翌8日ないし10日も2時間ないし3時間の残業をしているが、11日、12日は休日であった。本件発症前10日間をみると、21日から24日までは2時間ないし4時間30分の残業をし、25日は半日出勤であったにもかかわらず午後8時まで就労し、翌26日は休日であった。翌27日及び28日の就労時間は記録がなく明らかでないが、同月は会社の決算時期であり、年末の多忙な時期でもあることに照らせば、その1日の総労働時間は前2週の平均である10時間49分を下回らなかったと推認することができる。本件発症前日である同月29日は、午後1時から会社の大掃除及び納会の準備を行い、午後4時から納会が始まり、午後5時30分には終業した。その後、Tは同僚らと酒を飲み、午後8時頃から午後9時頃まで翌年1月の仕事の準備をして退社した。
5 業務起因性について
右に検討してきたことを総合考慮すれば、Tは、業種の異なる慣れない職場での業務や残業、特に昭和57年12月には会社の決算時期を迎え、10月、11月に比して1日当たりの残業時間が長い上、海外研修旅行後休む間もなく就労し、25日は半日出勤にもかかわらず午後8時まで就労していたこと、更には片道2時間以上という遠距離通勤の事情などから、ある程度の疲労がたまり、ストレスが生じていたであろうことは推認するに難くない。しかしながら、Tの会社における業務は、銀行と比較して勤務時間に大差がなく、担当職務も業種が銀行と旅行代理店という違いがあるものの、ともに総務と総称される内容で異質とまではいえないこと、銀行から会社へ出向して既に7ヶ月が経過していること、海外研修旅行後である12月11日、12日、19日及び26日の休日はいずれも消化しており、蓄積された疲労が解消されないで慢性疲労状態にあり、過度のストレスが生じていたとみることも困難であることに加え、遅くとも昭和50年以降高血圧症という基礎疾患に罹患し、降圧剤の服用中断に伴うリバウンド効果もみられたこと、高血圧及び肥満による塩分制限、減量を指摘されながらこれを試みた形跡は窺えず、会社では喫煙、飲酒をしていたなど自らの健康管理を怠っていた面があったことなどに照らせば、Tに生じた脳動脈瘤は、高血圧症という基礎疾患に加えてリバウンド効果、肥満、喫煙、飲酒更には疲労やストレスが共働原因となって徐々に増悪して脆弱化していたところ、年末休暇である12月30日午前7時頃という冷気下に排便をしたために、急激な血圧が脆弱化していた脳動脈瘤に加わって破裂してくも膜下出血を来たし、結局死に至ったとみるのが相当であり、Tの会社における業務遂行が過重負荷となり、それが自然経過を超えて基礎疾患を著しく増悪させたとは到底認められない。したがって、Tの業務と死亡との間に相当因果関係を認めることはできない。よって、本件処分は適法である。
6 本件裁決の違法性の有無
当事者の鑑定申立を採用するか否かは、被告審査会の合理的な裁量に委ねられているのであり、被告審査会が当事者の鑑定申立てを採用しなかったからといって、右裁量の範囲を著しく逸脱したものと認められない限り、違法とはいえない。これを本件についてみるに、被告審査会が原告の鑑定申立てを採用しなかったことにつき、その裁量の犯意を著しく逸脱したものと認めるに足りる証拠はないから、これを違法ということはできず、本件裁決に固有の瑕疵は認められない。 - 適用法規・条文
- 07:労働基準法79条、80条、99:その他 労災保険法12条の8、16条の2、17条
- 収録文献(出典)
- 判例タイムズ940合187頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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