判例データベース

小諸労基署長(坑夫)くも膜下出血死控訴事件

事件の分類
過労死・疾病
事件名
小諸労基署長(坑夫)くも膜下出血死控訴事件
事件番号
東京高裁 - 平成6年(行コ)第113号
当事者
控訴人小諸労働基準監督署長

被控訴人個人1名
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1998年03月25日
判決決定区分
控訴棄却(確定)
事件の概要
 A(昭和17年生)は、昭和59年1月に建設会社に雇用され、導水路巻替工事現場において坑夫として就労し、導水路用既設トンネルのコンクリート作業等に従事していたところ、同月31日、坑内の作業用仮設ステージのズリ落とし用開口部から約60cm下のズリ上に倒れ込み、死亡するに至った。

 Aの妻である被控訴人(第1審原告)は、Aの死亡は業務上の災害に当たるとして、控訴人(第1審被告)に対し、労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求した。これに対し、控訴人はAの死亡は業務外の理由によるものであるとして、不支給処分(本件処分)としたため、被控訴人はこれを不服として審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消を求めて本訴を提起した。

 第1審では、Aの死因は基礎疾患である脳動静脈奇形の破綻によるくも膜下出血であるとした上、Aの業務の血圧上昇因子がAにとって過重な負担となり、その基礎疾患を自然的経過を超えて増悪させて発症を早め、通常の基礎疾患発症の自然的経過を超えて死亡の結果を生じさせたとして、業務起因性を認め、本件処分を取り消した。そこで控訴人は、これを不服として控訴に及んだ。
主文
1 本件控訴を棄却する。

2 控訴費用は控訴人の負担とする。
判決要旨
1 Aのくも膜下出血は、作業現場の仮設ステージから転落したため生じたものか

 当裁判所も、Aのくも膜下出血は、Aが作業現場の仮設ステージから転落して頭部を強打したために生じたものとは認められないと判断する。

 Aは、本件現場においてピックハンマーによるコンクリート破砕作業中、突然仮設ステージからズリ上に転落し、その直後に同僚らに発見された時には既に意識がなく、救急隊員が心肺蘇生措置を実施したにもかかわらず、全く意識を回復することのないまま転落から約15分後には死亡するに至ったものであるところ、この死亡の直接の原因は脳底部における広範なくも膜下出血であるというのである。しかるところ、剖検所見においては、脳実質の挫傷、体表面の外傷、頭蓋骨骨折及び亀裂、脳硬膜損傷、硬膜下出血のいずれも認められなかったというのであり、医師らはAのくも膜下出血が外傷性のものであることには否定的である。そして、仮設ステージからAが転落したズリ上までは約60cmの落差しかなかったことは、Aに脳実質の挫傷、体表面の外傷、頭蓋骨骨折及び亀裂、脳硬膜損傷、硬膜下出血のいずれも認められなかったとの剖検所見の正確性を支持する事実というべきである。右の認定説示よりすれば、Aのくも膜下出血の原因が脳動静脈奇形の破綻によるものであるか、脳動脈瘤の破綻によるものであるかはともかく、いずれにせよ作業現場の仮設ステージから転落して頭部を強打したために生じたものと推認することは到底できないというほかない。

2 Aのくも膜下出血の原因は、脳動脈瘤の破裂か、脳動静脈奇形の破裂か

 当裁判所は、Aのくも膜下出血の原因は、脳動脈瘤の破裂であると判断する。

 Aのくも膜下出血の原因が脳動静脈奇形の破裂と認めるに足りる直接的な証拠がない一方、脳動脈瘤の破裂であると認めるに足りる直接的な証拠も存在しない。このようなところからすると、Aのくも膜下出血の原因については、Aの発症から死亡に至るまでの経過及び発症の様式を踏まえ、脳動脈瘤破裂及び脳動静脈奇形破裂それぞれの一般的な臨床症候の特徴、傾向、くも膜下出血の原因となる疾患に占める脳動脈瘤破裂及び脳動静脈奇形破裂の割合等を比較検討し、総合的にみて、いずれがAのくも膜下出血の原因である可能性が高いと判断するのが合理的かという観点から検討されるべきものということができる。

 (1)Aは転落から全く意識を回復することのないまま約15分後には死亡するに至った経緯、(2)Aのくも膜下出血は、脳内血腫、脳室内出血を伴わない純粋なくも膜下出血であること、(3)脳動脈瘤破裂は、脳内血腫、脳室内出血を伴わなくても、急速な経過で死亡する例も稀ではないのに対し、脳動静脈奇形破裂によるくも膜下出血は死亡の頻度は10%ないし19%であり、死因の大部分は大きな脳内血腫によるものであること、(4)脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血は非外傷性くも膜下出血の70%ないし80%を占めるのに対し、脳動静脈奇形破裂によるくも膜下出血は非外傷性くも膜下出血の約10%に止まること、(5)脳動脈瘤破裂は40歳台から50歳台に多く発症するのに対し、脳動静脈奇形によるくも膜下出血の発症年齢は10歳台から30歳台が全体の70%ないし91%を占め、10歳以下及び50歳以上の症例は少ないこと(男性においては40歳台の発症も少なくない)ことを総合的に考察すれば、Aのくも膜下出血の原因は脳動脈瘤破裂であると推認するのが相当というべきである。

3 くも膜下出血を原因とするAの死亡の業務起因性

 Aは、脳動脈瘤の基礎疾患を有していたものであるが、これまで特段の既往歴はなく、本件業務に従事する際に受けた健康診断においても、血圧その他に格別の異常は認められなかったところであり、本件発症当時41歳6ヶ月と、脳動脈瘤破裂の発症年齢に関する一般的傾向を考慮しても比較的若年であったのであるから、Aの脳動脈瘤が確たる発症因子がなくてもその自然の経過により脳動脈壁が脆弱化するなどして破裂する寸前にまで進行していたとみることは困難というべきである。

 これに対し、昭和59年1月16日からAが従事した本件業務は、全体として、狭い既設トンネル内での高い騒音に囲まれ、作業に伴う粉塵が飛散し、しかも厳冬下のトンネル内外の大きな温度差に曝されるという劣悪な作業環境下での、1日10時間もの長時間労働、1週間ごとの昼夜交代勤務等の厳しい労働条件にあったと認められるのであり、同月27日からは、削岩機、ダルダ、ピックハンマー等の重量があり、かつ高い騒音と強い振動を発生する作業機械を手で持ち上げて行う重筋労働が開始されたところであって、これらの作業環境、労働条件、作業内容が、一方ではAの脳動脈瘤壁の脆弱化を促進する全身血圧の上昇を継続的、反復的に招来し、その蓄積効果をもたらし、かつ、このような重筋労働による交感神経の刺激がカテコールアミンの分泌を促して、Aの脳動脈瘤壁の脆弱化の過程(障害過程)を促進する方向に作用したのであり、他方では、脳動脈瘤壁の脆弱化に拮抗する修復過程の機能を阻害してしまったものと認められるのである。とりわけ、ピックハンマーによるコンクリート破砕作業は、バルサバル効果を伴う上肢を主体とする静的筋労作であって、Aばかりでなく、同僚のトンネル坑夫らにとっても、肉体的・精神的に強度の負担がある厳しい作業であったところであり、この作業による肉体的、精神的負荷は、Aの脳動脈瘤壁の脆弱化を強める大きな要因となったものと推認される。

 このようなところからすると、Aの脳動脈瘤破裂は、自然の経過に伴って発症したものであるよりは、本件業務によるAの動脈瘤壁の脆弱化の過程を経て破裂に至る準備状態が形成されたところに、発症当日におけるピックハンマーによるコンクリート破砕作業がいわば引き金になって、遂に破裂するに至った蓋然性が高いものと推認することができる。

 以上によれば、Aの死亡原因となったくも膜下出血は、Aが有していた基礎疾患である脳動脈瘤が、本件業務の遂行に起因する高度の肉体的、精神的負荷により、その自然の経過を超えて急激に悪化し、破裂したことによるものとみるのが相当であり、その間に相当因果関係の存在を肯定することができるというべきである。したがって、Aの死亡は、労働者災害補償保険法にいう業務上の死亡に当たるものである。
適用法規・条文
99:その他労災保険法12条の8、16条、17条
収録文献(出典)
判例タイムズ984号158頁
その他特記事項
本件の第1審は「長野地裁-平成元年(行ウ)8号、1994年6月16日判決」