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北九州西労基署長(土木工事設計等会社所長)自殺事件

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
北九州西労基署長(土木工事設計等会社所長)自殺事件
事件番号
東京地裁 − 平成18年(行ウ)第135号
当事者
原告個人1名

被告国
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2009年02月26日
判決決定区分
認容(確定)
事件の概要
 T(昭和16年生)は、大学院修士を修了した後の昭和43年4月、港湾・漁港・海岸及び河川構造物の設計及び施工並びに土木工事の設計及び施工等を業とするP社に入社し、平成4年7月1日に本社技術部副部長に異動し、平成7年2月、子会社E社に出向を命じられ、取締役兼北九州事業所長として、家族を茨城県に置いて単身赴任した。

 Tが携わることとなったB基地は、国家事業として計画された国家石油備蓄基地の1つであり、昭和59年10月に着工したところ、施工途中で異常な高波に遭い、防波堤が崩壊する事故が発生した。同事故後、委員会において原因究明及び対応策が検討され、工事中断から3年経過した平成2年に工事が再開された。

 E社は、同事故を契機に、設計波算定業務等を受注し、その後B基地の港湾施設に関わる調査、設計、施工管理等港湾関係の全業務を受注するに至り、平成2年に北九州事業所を設置した。Tが赴任してからの北九州事業所における施工管理援助業務体制は、Tを総括管理員として、東防波堤第5工区(第5工区)工事等の3つに分かれ、各担当は正社員1、2名と業務委託先の社員1ないし3名で構成されていた。

 平成7年6月又は7月の建設推進会議の席上、Tは第5工区の安全性について、危険があるとの指摘をしたところ、この問題はTの前々任所長が専門家を交えて検討し、安全性に問題がないとして解決済みであったことから、Tは出席者からひんしゅくを買った。Tはその後も第5工区問題を取り上げたため、備蓄会社とTを交えた検討の場が設けられたが、Tの指摘は採用されなかった。

 北九州事業所において第5工区担当チームの主任管理員であったJは、肝心な作業が行われるときに無断欠勤することが少なくなく、業務委託先社員から苦情が出された。Tの前任所長で専務のEは、平成8年2月22日、Tが所長として適任ではないのではないかと判断し、Tに転勤の希望の有無について尋ねたところ、Tは3月1日付けで東京に帰して欲しいと申し出があったが、Eはそれは急過ぎるとして、4月1日を目処にTが東京に帰れるよう努力する事を約束した。
 同年3月6日、Tは体調を崩し、翌7日は無断で午前中欠勤し、昼頃出社した上早退した。同月8日もTは欠勤し、午後3時、マンションから飛び降り、病院に搬送されたが、同日午後7時36分に死亡した。Tの妻である原告は、北九州西労働基準監督署長に対し、平成9年10月8日、Tの自殺は業務に起因するものであるとして、労災保険法に基づき遺族補償年金及び葬祭料を請求したが、同署長は、平成12年6月1日付けで不支給の決定(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
主文
1 北九州西労働基準監督署長が原告に対し平成12年6月1日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しないとした決定を取り消す。

2 訴訟費用は被告の負担とする。
判決要旨
1 精神障害の業務起因性

 労働者の死亡等を業務上のものと認めるためには、業務が原因で死亡等の結果が発生したという条件関係があるだけでなく、業務が精神障害を発症させる程度に過重であり、業務に内在する危険性が原因となって結果が発生したという相当因果関係があることが必要である。

 一般に、労働者が精神障害を発症し、自殺に至った場合、精神障害の原因や自殺を決意した原因として業務以外の事由を想定し得ないときには、原則として、業務と精神障害の発症及び精神障害の発症と自殺との間の条件関係はそれぞれ認められるといえる。しかし、精神障害の発症及び自殺原因として業務以外の事由を想定し得ないからといって、そのことから直ちに業務が精神障害を発症させる程度に過重であり危険性を内在させるものであったとはいえない。精神障害の発症が、本人の性格や傾向等の個体的な要因にも左右されることは一般に理解されているところであり、現在の医学的知見では、環境由来のストレスと個体側の反応性、脆弱性との関係で精神的破綻が決まり、ストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし、逆に脆弱性が大きければストレスが小さくても破綻が生じるとするストレス脆弱性理論が広く支持されていると認められる。この理論を前提とすれば、個体側の反応性、脆弱性が平均的労働者を超えて大きいときには、平均的労働者に精神的破綻を生じさせない程度のストレスによっても精神的破綻が生じ得るのであって、そのような場合にまで労災保険法による災害補償の対象とすることが法の趣旨であると解されないことは明らかである。したがって、業務が精神障害を発症させる程度に過重であり、危険性を内在するものであったかどうかは、業務の過重性ないし心理的負荷が、平均的労働者を基準として、精神的破綻を生じさせる程度のもであったかどうかによって判断されなければならない。

2 Tの精神障害の発症要因

 Tには、適応障害又はうつ病エピソードの症状が遅くとも平成8年1月頃から認められ、その頃から同年3月初旬までに、Tが適応障害又はうつ病エピソードの精神障害を発症したことについては、原告と被告の主張の間に大きな違いはない。また、Tに適応障害又はうつ病エピソードの症状が発現した平成8年1月の直前あるいは数ヶ月ないし1年程度前の業務の状況を見ると、11ヶ月前に転勤があり、職務内容が変わり、単身赴任となり、第5工区問題等もあり、これらが心理的負荷となっていたことは明らかである。他方、私生活その他業務以外の心理的負荷となり得る出来事として、Tの母親の体調が悪かったことが考えられるが、それも入院を要する程度ではなく、その体調も少しは良くなってきたという話も伝えられていたから、仮にこのことが心理的負荷となっていたとしても、その程度はごく弱い。したがって、Tは業務が原因で精神障害を発症し自殺に至ったと考えるほかない。

3 業務とTの精神障害の発症及び自殺との間の相当因果関係の有無

 Tは、昭和54年から平成4年6月まで専門である波等の研究を行ってきたが、出向、転勤後は、北九州事業所という施工管理現場の責任者の職務を行うようになり、自ら直接に現場の仕事に携わることはない立場ながら、職場全体の管理が求められ、多くの関係団体、関係会社との調整や交流が少なくなく、それまで主として技術研究を中心とする職務を行ってきたTにとっては、強度の負担やストレスとなったことは疑いない。また、入社後の勤務地は関東地方と東北地方であり、北九州での勤務、生活が初めてのTにとって、かなりの負担となったことは容易に想像される。加えて、Tは53歳という年齢になって初めて単身赴任となり、家族と同居して生活していたときとは比べられない程の心理的負荷があったところ、赴任先である北九州市は自宅のある取手市とは遠く離れ、簡単には自宅に戻れないことも鑑みると、単身赴任の期間が1年半と予定されていたことや、妻が月のうち10日ほどTのマンションを訪れていたことを考慮しても、Tにとって極めて大きな負担となる変化であったことは明らかである。

 Tが北九州事務所長になったのは平成7年2月であるが、精神障害が発現した平成8年1月の直前あるいは数ヶ月前に、転勤及び単身赴任による負担やストレスが解消又は軽減していたとは認められない。Tの自殺前の労働時間をみると、休日出勤が極端に多いわけではなく、残業時間も1ヶ月当たり30時間ないし34.5時間であり、接待などで遅くなることがあったとしても、恒常的に過重といえるような長時間の労働をしていたとはいえないが、職務の大きな変化、勤務地の変化、初めての単身赴任等であることを考えると、労働時間だけを重視するのは相当でない。

 以上のとおり、Tは、精神障害が発現した平成8年1月までの11ヶ月前に、職務に極めて大きな変化があり、その職務は入社以来長期間従事してきた職務とは大きく異なるものであり、勤務地が大きく変わり、しかも初めての単身赴任となり、そのような状況が継続していたというのであるから、Tに対する心理的負荷の程度は、平均的な労働者を前提として考えても、極めて大きかったというべきである。

 施工管理は、工事の工程管理、品質管理、安全管理等を行うのであり、平成7年度は、第5工区の建設工事がまさに進められていたのであるから、同工事の問題点を指摘し、又は検討し、解消することは、施工管理業務ないし施工管理援助業務に含まれ、又は関連している業務というべきである。Tは、備蓄会社との間で第5工区問題についての検討する場が設けられた後も、第5工区問題について検討を続けているが、Tは業務として又は業務に関連して検討を始めたのであるから、少なくとも労災保険給付における業務起因性の判断においては、Tが続けていた第5工区問題も業務に含まれ又は業務に関連するものというべきである。

 B基地の完成まであと約1年という差し迫った時期に、現に建設工事が実施されている第5工区に危険があると考え、施工管理業務の責任管理員の立場において、その問題を何度も指摘したにもかかわらず、備蓄会社その他工事関係者に取り合ってもらえず、その指摘が採用されなかったことは、Tを落胆させ、危機感を抱かせたと想像できる。Tは、関係者に取り合ってもらえないことが明らかになった後も、孤独な状況で、第5工区問題の検討のために相当の時間を費やしていたと推測されること、第5工区にTが考えていたような瑕疵があったとすると、工事が完成し運用が開始された後に危険が現実化した場合には、計り知れないような重大な災害が予想されたこと等の事情も考え併せると、Tが責任を追及されていたわけではないこと等の事情を考慮しても、Tは相当に強度の心理的負荷を受けていたと推測される。また、Tは、北九州事業所長に就任した時から、第5工区担当チームのJの無断欠勤が多くその対応に迫られたこと、業務委託社員を正社員にすべきであると考えたが実現できなかったことはTの心理的負荷を増大させたと推測される。更に、Tは関連会社との良好な関係が構築できず、問題が顕在化していたことが窺われ、このことがかなり強い心理的負荷となっていたと推測される。

 以上のとおり、Tにとって、それまでの研究技術を中心とする職務からE社への出向、北九州事業所長への異動、勤務地の変更、単身赴任が極めて大きな心理的負荷となり、これが継続しているところで、第5工区問題によって相当に強い心理的負荷を受け、加えてJの欠勤等への対応、業務委託先社員の問題、関連会社と良好な関係を築けないことが心理的負荷となったものであり、こうした事情は、通常の勤務に就くことが期待されている平均的な労働者にとっても、強度の心理的負荷を与える過重なものであり、社会通念上、精神障害を発症させる程度の危険を有するものということができる。他方、Tには社会適応状況に特別の問題があったとは認められず、アルコール依存傾向もなく、精神障害をもたらすような個体側要因は認められない。そうすると、Tの精神障害の発症及び自殺に至る一連の過程は、これらの業務に内在する危険が現実化したものというべきであるから、Tの自殺には業務起因性が認められる。
適用法規・条文
99:その他労災保険法12条の2の2第1項、16条の2、17条
収録文献(出典)
労働判例990号163頁
その他特記事項