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鹿児島(飲食店店長)低酸素脳症発症事件
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 鹿児島(飲食店店長)低酸素脳症発症事件
- 事件番号
- 鹿児島地裁 − 平成19年(ワ)第335号
- 当事者
- 原告個人3名 A、B、C
被告K産業株式会社 - 業種
- サービス業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2010年02月16日
- 判決決定区分
- 一部認容・一部棄却(控訴)
- 事件の概要
- 被告は、鹿児島県内を中心とする九州地方において飲食店約50店舗を経営する株式会社で、原告A(昭和49年生)は、外食産業等に勤務した後の平成13年6月被告に入社し、平成15年9月、S店の支配人に就任した。原告Aは、同年10月以降は横浜から転居してきた両親(原告B及び同C)と共に鹿児島県内に同居するようになった。
S店には、平成16年4月まで5名の正社員が配置されていたが、平成16年6月から同年11月10日までの期間、原告A、E、Fの3名となり、EはS店の1番の実務経験者で、原告Aに対して厳しく注意・叱責することがあったが、体調不良のため遅刻、早退がしばしばあった。またFは、本件発症当時は入社2年目の20歳であった。
被告店舗における業務のうち、支配人固有の担当業務は、勤務スケジュール表の作成、パート人員の募集・面接、各種報告書の作成、クレーム対応、訪問営業、支配人会議への出席であるが、原告Aは接客等の現場の仕事も行っていた。S店の営業時間は午前11時30分から午後10時までであったが、閉店後においてはレジの締め、報告書の作成などの業務があることから、原告Aはほぼ0時頃まで拘束されるほか、深夜に業務を行うこともあった。
被告では、月毎に各店舗の売上げ目標が設定され、正社員が3名となった平成16年6月から10月にかけて毎月目標を達成できないでおり、営業報告書に反省・謝罪を記載することも頻繁にあった。この目標を達成できなかった場合、減給や降格などをされることはなかったが、支配人会議で説明を求められ、サービス残業を余儀なくされるなどした。
平成16年11月9日、原告Aは午前6時頃自宅を出て支配人会議に出席し、午後からは休みの予定であったが、Eから体調が悪いとの連絡があったため、結局帰宅せずに午後8時頃S店に出勤し、店を出たのは翌10日午前0時15分頃であった。その後自宅に戻った原告Aは、就寝中の午前4時15分頃、うめき声を上げて意識不明となり、病院へ搬送されたが、心室細動による低酸素脳症(本件発症)に罹患しており、それ以降意識不明の寝たきり状態にあって、原告Aの父である原告B及び母である原告Cが、自宅において24時間態勢での看護を行っている。
原告らは、原告AはS店における常軌を逸した長時間かつ質的に過重な労働により本件発症に至ったものであり、被告には安全配慮義務違反があったとして、原告Aについて、逸失利益7977万円余、後遺障害慰謝料2800万円、将来付添費1億6315万円余、弁護士費用2800万円等合計3億1868万7500円を、原告B及び同Cについて、固有の慰謝料各1000万円、弁護士費用各100万円を請求した。
これに対し被告は、S店においてはパート、アルバイトを含めれば十分な数が配置されていたこと、原告Aについて量的・質的に特に過重な業務ではなかったこと、原告Aはパニック障害のため副作用を伴う薬を服用していたこと、呼吸器系疾患等の素因もあるのに1日20本程度の喫煙をしていたこと、健康人よりも健康に気を配らなければならににもかかわらず、睡眠時間を削ってまでデートをするなどしていたことから、本件発症は原告Aが健康管理を怠った結果であるして、自らの安全配慮義務違反を否定するとともに、万が一本件発症につき被告に何らかの過失責任があるとしても、少なくとも8割の過失相殺を認めるべきであるとして争った。 - 主文
- 1 被告は、原告Aに対し、1億8129万5233円及びこれに対する平成16年11月10日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
2 被告は、原告Bに対し、315万円及びこれに対する平成16年11月10日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
3 被告は、原告Cに対し、315万円及びこれに対する平成16年11月10日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
4 被告は、原告Aに対し、732万4172円並びにこれに対する平成16年12月11日から平成17年1月31日まで年6%の割合による金員及び平成17年2月1日から支払済みまで年14.6%の割合による金員を支払え。
5 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
6 訴訟費用はこれを5分し、その1を原告らの、その余を被告の負担とする。
7 この判決は、第1項ないし第4項に限り、仮に執行することができる。 - 判決要旨
- 1 原告Aの業務過重性について
原告Aの労働時間は、本件発症前1ヶ月間で344時間15分、本件発症前2ヶ月から6ヶ月間で月平均368時間30分で、法定労働時間を超える時間外労働時間は、それぞれ176時間15分、200時間30分に上り、休日以外の勤務日における拘束時間は平均して1日当たり12時間を超えていた。また原告Aは、休日でも大体午後10時頃には出勤して夜中まで仕事をしており、平成16年4月20日に丸1日休日を取って以後、203日連続で出勤していた。更に、原告Aは、勤務時間中には、統括業務、クレーム処理、パート面接等の支配人固有の業務に加え、慢性的な人手不足のため原告Aが手伝うことが常態化していたことから、原告Aが勤務時間中にこなさなければならなかった業務の量は、相当程度過重であったといえる。原告Aが支配人に就任した当時は、S店の正社員は5名であったところ、本件発症前4ヶ月間は正社員が3名に減少しており、この数が過少であることは、本件発症後のS店の正社員数が5名ないし6名に増員されていることからも推認される。また、正社員は3名いたとしても、食材搬入立会のための出勤回数は原告Aだけが圧倒的に多く、深夜にまで及ぶ報告業務も毎日原告Aが行っているなど、仕事の負担は実質的には原告A1人に偏りがちであったと考えられる。
以上のとおり、S店と原告Aの置かれた具体的な状況に照らせば、平成16年6月以降のS店は、正社員の数、配置及び質の点において深刻かつ慢性的な人手不足状態にあり、これに伴う負担が店舗責任者であり、ホール部門唯一の正社員であった原告Aに集中している状態であったということができる。
一般に、企業経営において経営目標を高めに設定すること自体は珍しいことではなく、S店がノルマを達成できていなかったという点のみを捉えて原告Aに過重な負担が生じていたということはできない。しかしながら、本件においては、原告Aが支配人として店舗運営の責任を負わなければならない立場にあったこと、S店の正社員の中でも原告Aが最も人手不足のしわ寄せを受けていたこと、支配人は日々目標達成の成否を問われ、反省を求められていたことなどを考慮すると、原告Aの心理的負荷は相当程度高かったといわざるを得ない。よって、原告Aの従事していた業務は、身体的にも精神的にも過重なものであったというべきである。
2 原告Aの業務と本件発症との因果関係について
原告Aは、平成4年頃パニック障害を発症し、そのため本件発症まで投薬治療等を行っていたが、本件発症1年前には発症は認められず、定期健康診断の結果いずれも異常所見は見られなかった。これら事実によれば、本件発症前において、原告Aがパニック障害以外に何らかの持病を有していたとの事実を認めることはできず、病院の検査や健康診断でも特に異常を指摘されることはなかった。また本件発症後の検査でも原告Aの冠動脈に問題はなく、心室細動の原因が虚血性心疾患であったという可能性はなく、原告Aが本件発症の原因となり得る基礎疾患を有していたと認めるに足りる証拠はない。
本件発症直前の原告Aは時間外労働が月100時間を優に超える長時間労働に従事していたこと、この長時間労働によって相当程度の疲労の蓄積があったと認められること、人手不足とノルマ等の制約の中で、原告Aには精神的にも過重な負荷がかかっていたと考えられること、業務による過重な負荷、特に長時間労働については、疲労の蓄積による心臓疾患発症への影響が指摘されていること、仕事のストレス要因は循環器疾患の発生に密接に関与するとされていること、原告Aには他に発症の原因となり得る基礎疾患等も認められないことなどを総合考慮すると、本件発症は原告Aの従事していた過重な業務に内在する危険が現実化したものと推認するのが相当であり、原告Aの業務と本件発症との間には相当因果関係が認められるというべきである。
3 被告の安全配慮義務違反について
使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないように注意する義務を負うと解するのが相当であり、使用者に代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う権限を有する者は、使用者の右注意義務の内容に従ってその権限を行使すべきである。これを本件について見ると、被告は、原告Aが業務遂行に伴う疲労や心理的負荷等の過度の蓄積により心身の健康を損なうことがないよう注意し、労働時間、休憩時間及び休日等につき適正な労働条件を確保するなど必要な措置を講じて、原告Aの心身の健康を守る義務を負っていたものである。
被告の所定労働時間は1日8時間(現業職は原則拘束9時間実働8時間の交替制)で、時間外労働は36協定の範囲内で行われることとされていたが、実際には正社員の就業時間は午前10時から午後11時までであり、各店舗において36協定は締結されておらず、変型労働時間制又は裁量労働制も採用されていなかった。そうすると、被告においては、所定労働時間ないし法定労働時間という概念が極めて形骸化し、労働時間を管理する機能を有しない状態であったといわざるを得ない。更に被告は正社員に対しては時間外労働に対する賃金も一切支払っておらず、原告Aの長時間労働に対する無関心ともいえる被告の姿勢は、正社員に対して一切の残業代を支払わないという労務体制にその根があるといっても過言ではない。
被告は、原告Aの実際の労働時間が勤怠記録より長時間になっていたとしても、知る由もなかったというが、食材搬入に立ち会っていた者や電話報告を受けていた者は、原告Aが早朝出勤し、午前0時頃まで店舗に残って仕事をしていたことを当然に認識していたし、休日出勤についても、原告Aが休日に営業報告書を作成していたことなどから、被告本社は認識していたものと認められる。そうだとすれば、被告としては、勤怠記録は原告Aの実際の労働時間を反映しておらず、これに現れている以上の長時間労働が存在しているということも、当然に認識し、又は容易に認識し得たというべきである。
また、被告としては、S店では深夜にも作業をしないと必要な業務をこなしきれない状況にあり、この深夜作業は原告Aが行っていることなども認識していた上、更に原告Aらからの人員補充要請も受けていたのであるから、S店が慢性的な人手不足にあること及び原告Aが最もそのしわ寄せを受けていることの認識もあったというべきである。しかしながら、被告は、これらを認識し、又は容易に認識し得たにもかかわらず、長時間労働の実態を正確に把握しようともせず、原告Aの労働が過重なものとなっていることを知りながら、人員補充要請に至ってもなお、S店に十分な数の正社員を配置することなく人手不足の状態で店舗を運営させた。これらの事実は、被告が原告Aの過酷な労働環境に対して、見て見ぬふりをし、これを漫然と放置したことを意味するものであって、被告に安全配慮義務違反があったことは明らかであり、同義務違反は原告Aに対する債務不履行のみならず不法行為にも該当するというべきである。そして、遅くとも原告Aらから人員の補充要請があった時点で、被告がこれに応えていれば、原告Aの負担は相当程度軽減されたはずであり、本件発症を回避し得る蓋然性が高かったといえるから、被告の上記安全配慮義務違反と本件発症との間には因果関係がある。
4 過失相殺について
原告Aは、平成16年夏頃から疲労が蓄積していることを十分に自覚し、本件発症直前の数週間の健康状態を見ると、扁桃腺炎に罹ったり、食欲が落ちたり、胸の痛みを感じたりしており、より顕著な異常が現れていたというべきである。その一方で、原告Aは仕事が終わった後、深夜に恋人とドライブや食事に行くことがあり、時に帰宅が午前4時頃になることもあった。また、本件発症前日にも恋人と食事をし、自宅には戻らずにそのまま出勤した。このように、原告Aがただでさえ短い休息時間をプライベートに充てていた結果、仕事による疲労の回復が更に困難となったことは否定できないし、上記のとおり本件発症直前に原告Aに体調面の異変が見られたことも考えると、自己の健康管理に対する原告Aの意識次第によっては、本件発症が回避できた可能性も否定はできない。
労働者は、一切の余暇を犠牲にして疲労の回復に努めることまでを求められるものではないとしても、一般の社会人として自己の健康の維持に配慮することが当然に期待されており、いかなる態様・程度の健康維持が求められるかは、当該労働者が提供する労働の内容、労働時間・賃金等の労働条件、労働者自身の健康状態等の諸要素に照らして、総合的に判断されるべきものである。本件では、原告の労働が過重なものになったことにつき、被告に多分の非難可能性があることは前述のとおりであるが、その点を斟酌してもなお、原告Aの労働の実態、生活状況全般及び本件発症直前の健康状態等に照らせば、疲労が蓄積しているにもかかわらず睡眠時間を削って深夜にドライブや食事をするのは、健康維持の観点から労働者に合理的に期待される生活態度を逸脱しているというほかない。また、原告Aは本件発症に至るまで1日20本程度の喫煙を続けており、このことも原告Aの健康管理に対する姿勢が必ずしも熱心でなかったことを窺わせる事情ではある。
真面目で責任感の強い性格故に、原告Aが人手不足で業績の落ち込むS店に対して強く責任を感じていたこと、割切って休めなかったこと、自分が負担を引き受けてしまったことなども、原告Aの労働がこれほど過重なものとなった原因の一部であることは否定できない。しかしながら、業務の負担が過重であることを原因として労働者の心身に生じた損害の発生又は拡大に、当該労働者の性格及びこれに基づく業務遂行の態様等が寄与した場合において、その性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでないときは、使用者が賠償すべき額を決定するに当たり、その性格等を斟酌することはできないというべきであり、本件においても、原告Aの性格が、同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものであったとは認められない。
以上によれば、原告Aの健康管理の不備が本件発症に寄与している可能性もあったという点を考慮し、民法418条ないし722条2項を適用して、その損害額から2割を控除するのが相当である。
5 損害について
(1)原告Aの損害
原告Aは、本件発症により、平成16年11月10日から平成17年8月14日までの278日間の入院を要したと認められ、入院中の付添看護費・雑費は152万9000円、入院慰謝料300万円、休業損害227万5669円となる。
原告Aの年収は350万7768円であったが、長時間の時間外労働に一切割増賃金の支払いがなされていなかったことからすると、基礎収入の額は、中卒男子全年齢年収438万2000円(賃金センサス平成17年)とするのが相当である。そうすると、原告Aの後遺障害逸失利益の額は、労働能力喪失率100%を前提として、症状固定時の31歳から67歳に至るまでの約36年に相当するライプニッツ係数16.5469により中間利息を控除した結果、7250万8515円となる。
原告Aの後遺障害慰謝料は2800万円を相当と認める。将来の付添介護費は、近親者に係るものとして、1日1万2000円とし、原告Cが67歳に達するまでの約11年に相当するライプニッツ係数8.3064により中間利息を控除すると、3638万2032円となる。また原告Cが67歳となって以降については、職業付添人による介護費用を認めるのが相当であり、1日2万5000円とし、31歳の男性の平均余命は約46年で、前記の11年を除いた35年について8735万9100円となる。また、介護器具の購入、自宅の改修等の費用も本件発症と相当因果関係を有する損害といえ、市の助成を除いた原告らの自己負担分127万2452円が損害となる。以上の損害の合計額(2億3232万6768円)に、過失相殺規定を適用して2割を減額すると、1億8586万1414円となる。
原告Aが労災保険に基づいて支給された休業補償給付、傷病補償年金等を控除すると、原告Aが賠償を受けるべき損害額は、1億6529万5233円となる。また、原告Aに係る弁護士費用は1600万円とするのが相当である。
(2)原告B及び原告Cの損害
原告A及び原告Bにつき、慰謝料としてそれぞれ300万円を認めるのが相当であり、弁護士費用は、各自15万円とするのが相当である。
6 未払賃金請求権について (略) - 適用法規・条文
- 02:民法415条、418条、709条、722条2項
- 収録文献(出典)
- 労働判例1004号77頁、労働経済判例速報2066号3頁
- その他特記事項
- 本件は控訴されたが、被告が原告に対して2億4000万円を支払う内容で、訴訟外の和解が成立した。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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