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国立病院医師急性心臓死事件

事件の分類
過労死・疾病
事件名
国立病院医師急性心臓死事件
事件番号
東京地裁 − 昭和41年(行ウ)第17号
当事者
原告1名

被告厚生大臣

被告人事院

被告国
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1970年10月15日
判決決定区分
一部認容・一部却下
事件の概要
Kは、昭和30年3月に大学医学部を卒業し、同31年7月医師免許を取得の上、同年8月京都大学医学部附属病院整形外科副手に任命され、同33年4月から厚生技官として、国立京都病院整形外科に勤務し、医療業務に従事していた。

 昭和38年4月末にH医師が退職して以後、Kは副医長格であったが、医長は非常勤のため、外来患者診療、入院患者診断施療、育成医療、レントゲン透視、諸検査、ギブス、手術、診療のために必要な文献等の調査研究、実験、機械の整備、関係書類の作成、当直、日直、会議への出席、インターン生と看護婦との指導に従事していたほか、週1回肢体不自由児を収容する養護学校の校医として児童の診断を担当していた。

 昭和38年6月及び7月におけるKの超過勤務時間をみると、6月は10日にわたり50時間、7月は11日にわたり38時間に及び、その内容は手術、宿日直等となっている。同年7月15日以降のKの勤務状況をみると、15日は午前9時から10時30分まで医長の回診に随行し、その後再来の重症患者30名を含む約70名を単独で診察し、午後は下腿内副子抜糸外2件の手術を行って午後7時勤務を終了し、16日は午前中病棟を回診して31名を診療し、午後から他の医師1名とともにギブス17件を行い、17日は午前9時から外来患者95名を単独で診療し、午後は病棟を回診して重症患者を含む少なくとも30名を診療したほかレントゲン透視及び諸検査を行い、18日は午前9時から医長の回診に随行し、午前11時から医長の新来患者20名の診療助手を務めた上、午後は1件手術を行い、19日は重症患者を含む入院患者中、少なくとも30名を診療し、20日は重症患者を含む入院患者中少なくとも31名を回診して2時間超過勤務し、21日は日曜日で休み、22日は午前中再来患者70名を単独で診療し、午後は執刀医として手術に従事するとともに医長の手術の補助医を務めて3時間30分の超過勤務を行い、23日は重症患者を含む少なくとも29名を診療し、ギブス8件を行って1時間30分の超過勤務を行い、24日は外来患者70名を単独で診療した後、重症患者、入院患者等少なくとも30名を診療し、25日は午前中医長の回診に随行し、引き続き医長の新来患者の診察を補助した後、執刀医として手術したほか、名誉教授の執刀する手術の補助医を務めて3時間30分の超過勤務を行い、26日は午前中外来患者90数名を単独で診療し、午後は重症患者を含む入院患者30名を診療し、27日は肢体不自由児キャンプに療養指導のため近江八幡市に出張して療養指導に従事した。同日、Kは午前11時半頃児童ら約100名とともにキャンプ場に到着し、昼食後、午後2時から開会式に参列し、午後3時から炎天下の琵琶湖畔水泳場において脊椎生小児麻痺、脳性小児麻痺等の疾患を有する児童60名に15分水泳した後15分休憩を取らせることを3回繰り返し、その間リーダー40名とともに児童を監視し、夕食後午後7時半から9時まで児童とともにボンファイアに参加し、個々の児童の疾病、疲労度等を診断し、午後10時までに4名を治療し、午後10時からリーダー会議に参加して児童の健康管理上必要な注意をリーダーに伝え、午後11時過ぎに就寝したところ、午後11時半死亡した。

 Kの妻である原告は、Kの死亡は公務に起因するものであるとして、被告厚生大臣がなしたKの死亡につき公務上の災害と認められない旨の処分、被告人事院が右処分に対する原告の申立てにつきなした棄却裁決の取消しを求める(昭和41年(行ウ)17号)外、被告国に対し、遺族補償及び葬祭金1,621,800円の支払いを請求した(昭和44年(ワ)897号)。
主文
1、原告の被告厚生大臣及び被告人事院に対する各訴えを却下する。

2、被告国は、原告に対し金162万1800円及びこれに対する昭和38  年7月28日から完済まで年5分の割合による金員を支払え。

3、訴訟費用中、原告と被告厚生大臣及び被告人事院との間に生じた分は原  告の、原告と被告国との間に生じた分は被告国の、各負担とする。
判決要旨
適用法規・条文
国家公務員災害補償法1条、15条、16条 1項、24条、
行政事件訴訟法3条2項
収録文献(出典)
判例時報610号21頁
その他特記事項
・法律  国家公務員災害補償法、行政事件訴訟法